第23話:憑き物は、突然落ちる
アレンは、リュシエンヌの訪れで完全に気鬱状態……にはならなかった。
おや、と思う。
シャキシャキ動いているし、表情も暗くない。
今は店の外の掃除をしているようだ。
「アレでまたグダグダされたら、僕がケツを蹴っ飛ばしてたよ……いや失礼」
お客さんが一段落した合間にお茶を啜りながら、ダンテさんがそう言って笑った。
「ダ、ダンテさん」
「ははは」
笑いながらダンテさんがお茶を流しに置いた。
「アレンは小さいときから可愛がってたからなぁ、リュシィをさ」
「…………」
「リュシエンヌは幼い頃両親に死なれてね、家庭環境が可哀想な子なんだよ。『私には親もいない。私の事を皆が虐める』……そう言われて、突き放そうとする度に泣かれて、放っておけなかったんだろうな。アレン君はボンボン育ちだからなぁ……。まあ、大やけどしてこうして戻って来た訳だけど」
「…………あのー、そんな話、しちゃって良いんですか」
「モヤモヤするだろ、させておくれよ、愚痴話くらい。僕がアレン君の結婚話を知ってたら止めた、っていうのはそう言う事。リュシィはとにかく、人の罪悪感を掻き立てる子なんだよなぁ、天才なんだよ、その辺が。素直な時は本当に可愛いし、優しいしね」
「そ、それは、なんというか、手強いッスね!」
溜め息が出た。
親がいないから、ぐれてしまったのだろうか。
元レディースの自分には、その気持ちは分かる。
だがアレは小悪魔過ぎるだろう……。
タイゾー君は本当にあの小悪魔が欲しかったのか。
いや。
何かありそうだが、分からない。
「あの、店長、聞かなかった事にします」
「別にいいのに。アレン君は元から内省的な子だったんだけどさぁ。リュシィに付け込まれて、完全に壊されて返品されたんじゃなぁ。あれじゃ、まさに男の優しさを食い荒らす魔女だ。ああ腹が立つ」
「て、店長」
店長はアレンびいきなのだろうか。
いや、それだけの知り合いではない気がする。
この人も、何か訳知りだ。でも何も教えてくれない。
そうだ、今のタイミングでもう一度言ってみよう。
「リコピン……」
その単語に、ダンテさんがまた反応した。
一瞬目を見開き、すぐにおかしそうに吹き出す。
「はは、ナナさんは手強いな、僕の様子がおかしかったんだろう、その言葉を聞いた時。何が知りたいの」
ズバリと切り込まれ、自分の方が跳び上った。
「あ、あわ、あのっ、えっと」
「奥さんの名前だよ」
ダンテさんがそう言って笑った。
「奥さんの名前。他に聞きたい事ある?」
「……」
すーっと血の気が引いた。
自分はなんという事をしてしまったのか。
「……そうだよね、ナナさんは分からない事だらけで、字すら読めないのに、僕もアレンも、おそらくディアンも、君には何も話してないんだろうな」
「え?」
「エドワード様の所に遊びに行って来たら?」
ダンテさんがそう言って、台ふきんを持ってお店に出て行った。
今ダンテさんは何を言ったのだろう。
「あのー」
「おっと」
ダンテさんを追おうとした瞬間、台所に入って来ようとするアレンとぶつかりそうになり、慌てて謝った。
「ごめん、どこかぶつかった?」
平静な声だった。
やっぱり、普通だ。
自分としては、アレンはまたグダグダと悩み始めるのでは、という思い込みというか、予測というか、なんというか、そうなってこその彼だろう、という気がしていたのだけれど。
「大丈夫です」
だが、自分には踏み込めない。
アレンは、ただの同居人の大家さんだ。
何を考えているのか、何を思っているのかなんて話す機会は無い。
この関係は、何も分からない世界でイケメンに優しくされ、自分が舞い上がっているだけの関係だ。
しかもあのリュシエンヌは、どう見ても手強すぎる小悪魔という事が明らかになったし。
いや、なんというか、小悪魔という表現すら当てはまるのかどうか……。
「あ、お茶だ、僕も貰っていいのかな」
「は、はい……」
アレンが形良い喉を鳴らし、美味しそうにお茶を飲み干した。
「はー、僕、このお茶好きなんだ。美味しいな」
さっぱりさわやかな顔だった。
……。
もしかして、とうとう壊れたのだろうか。
******
月が照らす道を、無言でさくさくと歩いた。
アレンは今日の賄いは珍しい魚だったね、などとどうでも良い話を楽しそうにしている。
自分は……悶々が止まらない……。
だが追い出されたりしたくないし、不躾なヤツだと思われたくもないので、何も聞けない……。
「あのさ、今日はごめんね、アイツが邪魔しにきちゃって」
「……」
アイツ……。
あのすんごい美人……の、大事な元奥さん……。
「いやあ、久しぶりに顔を見たら安心した」
「そ、そうですか」
どんだけ愛してるんだよ、間違ってるよ、その愛。
そう言いたいが、曖昧、半笑いで頷く。
「死ななそうだし」
「え?」
何を言うのだろう。
あの子は、殺そうとしたって、相手の凶器を奪って反撃した挙げ句『怖ーい』とか言うタイプだろうに。
そう言う匂いがプンプンするのだけれど。
アレンは馬鹿なのか。
本当に女を見る目が全くないのか。
だんだんイライラして来た。
「うん、死ななそうだよね」
「はぁ……」
つっけんどんに頷き、足元の石を蹴った。
面白くない事この上ない。
やっぱり、顔だけいい男だ。
自分の見る目の無さも筋金入りだ。
「すぐ死ぬ死ぬって言うからさ、リュシィ。僕は馬鹿だから、子供の頃から本気で心配していた。でもさぁ、アイツ何なんだよ。不倫して捨てた男の所に乗り込んできて、キノコをとりに行きたいから家に泊めろって……絶対死ぬ気ないよね。そう思ったら、ようやくすっきりした。ダンテさんの言う通り、アイツと距離を取って良かったと思う」
「…………」
アレンが月を見上げ、せいせいした顔で言った。
「結局、兄と妹だったんだろうな、俺たちは夫婦じゃなかった。リュシィにとって僕は、何でもしてくれる、『無償の愛をくれるお兄さん』だったんだろう」
「アレンさん……」
「僕はアイツに何をされても愛してたけど、その愛の質を問われると自信がないな。いい家族になりたかったけど……この話はここで止めよう。これ以上愛した人を悪く言うのは、男の沽券に関わるし、僕が惨めだ」
「…………」
今度は二人とも無言になり、砂利の坂をさくさくと踏んで上がった。
「ナナさん」
「はい」
「関係ない君に、変な話をして済まない」
「い、いいえ」
またしばらく無言で歩いているうちに、アレンの家が見えて来た。
「あのー」
「ん?」
「……いえ、アレンさんは何も悪くないと思いますので……夜中の反省会は……」
「ああ、そうだね。反省のネタっていくらでも出て来るから、なるべく気をつける」
それは半ば鬱病だと思うのだ。
まあ、とやかく言わなくてもいいか。良くなっているようだし。
「団長、いや、ダンテさんには頭が上がらないな」
アレンがそう呟いた。
団長?
一体何の団長だ。
消防団か何かなのか。
確かにダンテさんは年中キレのある動きをしているので、消防団か自警団のようなものかもしれないな、と思う。
「団長さんなんですか、ダンテさんって」
「うん、大分前に辞めてしまったけど、僕の居た東方第一騎士団の団長だよ。そんな人には見えないだろ? すっかり優しくなっちゃって……。勇者エドワードとダンテさんだけが、今この世界にいる『竜殺し』だ。強いなんてもんじゃなかった。まさに鬼だったね。十五で入隊したひよっこの僕は、あの頃まともに話しかける事すら出来なかった」
……。
今、アレンはなんと……。
「十五?」
「そう、医技武官選抜を受けた見習いは、騎士団で医師の資格を取らされるから、入隊は十五だった」
そんな話どうでもいい。
「あ、いや、年齢の話じゃなくてですね、えっと、ダンテさんは実は凄いお方なのですね、あのう、何でお料理屋をやってるんでしょうかね?」
「奥さんが病気になったからだよ。これからはゆっくり暮らすと言って、故郷のこの村に戻って、ずっと一緒に過ごせるようにお店を出したんだ。あの人、本当に何でも出来るからなぁ」
「……」
なんだそれは。
やはり奥様はお亡くなりになってしまったのか。
それに、あの柔和で、時折チクリとナイスな毒を吐くダンテさんが、実はすごく強い、たいへんな人だなんて。
全くそんな人には見えないのに。
『そっか、知り合いなのか、いや、知り合いどころか上司なのか……。だからアレンさんの事をあんなに色々……』
だめだ、色々ありすぎて、頭の中がゴチャゴチャになって来た。




