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第22話:妖精の訪い

「いい、鈴木さん、野菜の切り方に気をつけてね、全部意味があるから」

「ハイ!」


 ナナはぼんやりと瞬きをした。

 今よりちょっと若い自分と、自分より遥かに小柄で華奢な女性の姿が見える。

 四方田店長だ。

 これは、まだあのマクロビのお店が息をしていた頃の、夢……。


「野菜っていいよね。私、昔農村に住んでた事があってね」

 店長が白い小さな顔でニッコリ笑う。

 十歳ほど年上の筈だが、若々しくて綺麗な人だ。

 それに可愛くて、一児の母とも思えない。


「店長って、東京出身ですよね」

「うん、東京。隅田川の近く。昔ちょっとだけ結婚してた頃に住んでたの」

「そうなんですか……野菜、とれたてって良いですね」

「良かったわよ、鈴木さんも農家に嫁いだら」

「あはは」

 思わず声を上げて笑う。

 農家の人、良いかもしれない。でもどこで出会えば良いのだろう。


 そう思って、ふと足元を見た。

 いつものスニーカーではない、ブカブカの靴を掃いている。

 それに服も、デニムにTシャツ、パーカーではなくて、もっと不思議なゆるゆるしたものだ。


「あら、鈴木さん、どうしたのその格好」

 店長が瞬きをした。

「え、えっと……」



 ――そうだ、今自分はペレの村にいるのだ。

 日本では見た事も聞いた事も無かった、不思議な村に……。

 そう思って、目をあけた。

 見慣れ始めた古い木組みの天井が目に飛び込んで来る。

 どこかから、力強い朝の鐘の音が響いて来た。 

「うう……」

 伸びをして、ベッドから出た。

 そのまま寝巻を脱ぎ捨て、エレナさんから貰ったサラシのような布を巻く。

 洗濯機が欲しいが、残念ながら、服は全て手洗いだ。なかなかもとの世界のように便利に過ごすのは難しい。

 洗い物を小脇に抱え、裏口の井戸に出た。

 アレンが屈み込んで、何やら井戸を覗き込んでいる。


「おはようございます」

「おはよう、何だか汲み上げの水が濁っているんだ。様子を見ているんだけど……君は何をしてるの」

「えと、顔と服を洗いに来ました」

 そう言うと、アレンが少し笑った。

「なんだよ、ずっとここで洗ってたのか。風呂場に水を組み置いてあるから使ってよ」

 

 朝からまぶしい笑顔だった。


 家においてもらい、美味い飯まで作ってもらって、悲しいかな六割くらい惚れ始めている。

 何故こんなに惚れっぽいのか、自分がチョロすぎて切ない。


「ありがとうございます」

 頭を下げ、お風呂場に走る。

 綺麗な水が浴槽に湛えられていたので、ありがたく使わせてもらう事にした。

 あまり迷惑を掛けたくないし、色々と貰ったり借りたり、使わせていただくのは気が引ける。

 早くお金を貯めて、自力で生活出来るようにならないと。まずは字を読めるようにならなければ。

 イケメンにドキドキしている場合ではない。


 顔を洗い、服や下着を洗って急いで干した。

 朝から晩まで本当に忙しい。今日もお客さんが押し寄せる事だろう。


*******


 ダンテさんが、パン、と手を叩いて気合いを入れた。


「よし、今日も一日頑張ろう!ピピの花粉がたくさん入荷したから、赤いお菓子やパンの日にしようと思うんだ。ピピの出す赤い色、見た事あるかい?」

 ピピの花粉……。

 たしか、加熱するとトマトのような可愛い赤になる、栄養価も出て来るというお花の花粉の事だ。エレナさんがパンに練りこんで焼いていたのを思い出す。


「あります!可愛い色ですよね」

 リコピンのような、透き通るようなあかね色を思い出して、頷いた。

「そうか」

「あの、私が住んでいた所では、あれはリコピンっていう成分の色なんです!アレンさんに聞いたら、効能も似たようなカンジで」

 ダンテさんにとってはどうでも良い事だろうが、思わずそう口にした。

 だが、なんだか違和感を感じて、口をつぐむ。


 ダンテさんが『信じられない』とばかりに表情を凍らせていたからだ。


「…………」

 あまりの表情の変わりぶりに、自分まで言葉を失った。

「店長……?」

「あ、ああ、すまない、驚いた……」

 長い指で胸を撫で下ろし、ダンテさんが取り繕うように微笑んだ。

「ごめんごめん、そうか、リコピンっていうのか。美しい名前だな」

「え、ええ……」


 曖昧に頷き返し、アレンの言っていた事を思い出す。

 彼は確か『勇敢な響きだ』と言っていたと思う。

 色々と人によって、感じ方が違うのかもしれない。

 でも、あんな驚愕の表情で凍り付くほどの事を、自分は言っただろうか。

 ダンテさんは聞いても絶対に答えてくれないだろうけれど。


「さ、ピピの花粉を炒ろう。コツがあるから、おいで」

「はい!」

 今日も、料理の事を教えてくれるらしい。

 ありがたく思い、ダンテさんの傍でフライパンのような調理器具を覗き込んだ。


「油は引かないんだ、代わりにこの、海からとれた薄い青の塩をひとつまみ入れる。ピピの花粉は必ずこの袋に入って定量で取引されているんだけど、この袋に対し、海塩はこの量だよ」

「はい、分かりました!あのー、なんでこの食材だけそんな売り方なんですか」

「軽くていくらでも重さを誤摩化せちゃうからね」

「なるほど……」


 ああ、あの嵐でなくしてしまったメモ帳が手元に欲しい。

 そう思いながら、そっとダンテさんの引き締まった横顔を見上げた。


 『リコピン』と言う単語にあんなに反応をするなんて。

 一体彼は、あの時何を思ったのだろう。


「いらっしゃいませ」

 アレンが上げた声が台所に届いた。


「ああ、もう昼の部のお客さんが来たな。ナナさん見てて。ピピの花粉は弱い火でこういう風に色づいて来る」

「おお!赤くなった!」

「海塩を入れないと、食材に混ぜてもあまり発色しないから。赤くはなるんだけどね」

「わかりました。気をつけます」

 そう返事をすると、ダンテさんが花粉を炒めていた道具を火から下ろし、きの蓋付きボウルにさらさらと落とした。


「炒める時間は今くらい。ピピの花粉についてはコレだけね。とりあえず、お店見て来てくれる?」

「はい!」

 慌てて、カウンターからお店の中を覗き込んだ。


 アレンが接客をしている。

 相手は、一人の女性客だった。

 蜂蜜のような金色のとろりとした髪をし、肌の色は真っ白で、淡い桃色に輝いている。

 振り返った瞳は、海のように優しくくすんだ、えも言われぬブルー。

 小作りな人形のような顔立ちだけれど、完璧に整っていて、ピンクの唇にはえも言われぬ色香が漂っていた。


「だからアレン、今度家に泊めてね。山にキノコを採りに行ってみたいから」

 澄み切ったガラスの鈴のような声が、そう言うのが聞こえた。

「はぁ? 何言ってるんだよ、知らないよ。お金を出して、宿でも取ったら」

「えー、ケチ!そんなんだから友達少ないのよ」

「もう帰ってくれ、今、仕事中だから」

「アレンてば!」


 芸能人でも見かけないような超美少女が、こちらに戻って来るアレンの背中を見てくすくす笑った。


「泊りに行っちゃおうっと」


 誰だ、あのものすごい美少女は誰だ……。

 そう思ってアレンをじっと見上げた。

「アレンさん、お客様のご注文は……」

「水だって」

「は?」

 水……。

 水は、無料なのだが……。


「僕の顔を見にきたんだそうだ。邪魔するなって言ったけど聞きゃしないよ」

「あ、アレンさん……あの方……」

 ゴチャゴチャやっていたせいだろうか。

 ダンテさんがちょっと怖い顔で出て来た。


「何してるの、どんどんお客さんが来てるのに」

 言いかけて、客席を見て顔を曇らせる。

 明らかに、彼女を知っている表情だった。


「ダンテさん!あの、帰らせますから」

 アレンが焦ったように言った。

 だが、彼を振り返ろうともせず、ダンテさんはスタスタとフロアに出て行ってしまった。


「やあ、久しぶり。リュシエンヌ」

 リュシエンヌ。


 ダンテさんの発した名前を聞いて、腰を抜かしそうになった。


 リュシエンヌ、リュシエンヌって……!


「あら、ダンテさん」

 美少女が、明るい笑顔を浮かべた。

「相変わらず素敵。会えて嬉しいわ」

「ごめんね、今日は貸し切りだから帰ってくれるかな」

 美少女……いや、リュシエンヌの挨拶を無視して、ダンテさんがそんな嘘をついた。


「えー、せっかく来たのに。じゃ、アレンの家で待ってよっと」

「今日は夜中まで、アレン君は忙しいよ」

「ふーん……ね、アレン、家の鍵をかして」


 リュシエンヌがそう言ってダンテさんから顔を背け、甘えるようにアレンに向けて手を差し出した。


 アレンは動かない。

「ねえ、鍵をかして」


 ふんわりと綺麗な青い瞳は、ぼんやりとアレンを映したままだ。

 おっとり、のんびり、ふんわり。そんな空気を纏ったまま、かなり図々しい事を言ってのけ、やってのけているのが何だか怖い……。


「鍵……は……」

 アレンが、リュシエンヌから顔を背けた。

「貸せない、他人には。あそこは僕の家だから入らないで欲しい……」

 そう言って、背を向けて店の奥に入ってゆく。


 リュシエンヌの表情が、ほんの一瞬だけ激変した。

 心の冷たい人が、言う事を聞かない犬を見るような目。

 凍り付き、舌打ちせんばかりの表情。

 あまりの表情に、関係ない自分の足がすくんでしまった。


「じゃ、いいわ。帰る」


 リュシエンヌがちらりと自分を見た。

 思わず身構えたが、彼女はにっこり笑い、優しい声で言った。


「さよなら、お邪魔しましたぁ」

 リュシエンヌが、無邪気な笑みを浮かべて自分とダンテさんに手を振る。

「あ、ど、どうも」

 慌てて頭を下げ『お客様』をお見送りした。


 なんて可愛い笑顔だろう。あんな顔を見てしまったら、誰もが彼女を好きになるに違いない。

 でも……正直に言うと、ちょっと怖い。何なのだろう、さっき彼女が垣間見せた、見下すような、そう、『支配的』な表情は。


 ふわふわした足取りで出て行ったリュシエンヌを見送り、ダンテさんがはぁ、と彼らしくもないため息を吐いた。


「相変わらずだな、あの子は」


 ダンテさんの声音は、珍しく辛辣で、冷ややかだった。

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