第21話:キノコ鍋、アレンさん風
「おとうさーん!」
ドアを開けて入って来たダントンさんに、デイジーがピョンとしがみ付く。
もう夕方だ。そろそろ迎えに来るだろうな、と思っていたところだ。
「デイジー、さあ帰ろう、お母さんがご飯を作ってくれたから。先生もいかがです? ナナさんと一緒に、良かったらいかがです」
デイジーを軽々と肩に乗せたダントンさんがそう言ってくれたが、アレンは首を振った。
「いえ、お気持ちだけで。久しぶりの休みなので今日は家で過ごします」
「おお、そうですか、先生ついにお仕事を始められたんですね!」
「え、ええ……」
「よかった、母さんも先生の事を心配してたから。伝えておきます」
アレンが、ダントンさんの言葉に曖昧に笑った。
「姉によろしく伝えて下さい」
「アレン兄ちゃん、また遊びにきてあげるね」
お父さんの頭にしがみ付いたデイジーが、そう言ってニッコリ笑った。
モココにデイジーを乗せ、その手綱を引いて帰ってゆくハーマンさんの姿を、アレンと二人で見送った。
「あの、アレンさん」
「ん?」
「二日酔いはどうですか」
「大分マシになったよ、飲み物を作ってくれてありがとう」
やつれた顔を両の手のひらで擦り、アレンが気まずげに言った。
「酒は何も救ってはくれないね。秋の日の良い一日を奪い去っていくだけの悪魔だと理解した。後ろ向きな行動だったよ、もう痛飲は止そう」
そういって、手のひらを離し、自分を見てニッコリ笑った。
なんという『イケメンは無罪』スマイルだろう。
「……」
「どうしたの、ナナさん」
「い、いいえ。あのー、デイジーとキノコを採って来たので、それを夕飯に食べたいんですけど」
そう言った瞬間、アレンが切れ長の瞳を見開いた。
「キノコ?!」
「え?」
なんだ、この真剣な表情は……。
「キノコ? そう言えばデイジーが何か言っていたな。もしかして家に『お願いキノコ』があるの?」
「え、あ、はぁ」
あるけど……。
「それは朗報だ、じゃあ今夜はそれを食べよう!」
今までのグニャグニャした二日酔いぶりはどこへやら、アレンが力強い足取りで台所へと向かう。
「美味しいんですか?」
「美味しい。ちょうど酒もあるし、スープにしよう。キノコはどこ?」
慌てて、自分の部屋の窓際に陰干ししていたキノコを取りに行く。
巨大な、本当に笠のようなキノコだ。実際に被れたし。
「コレです」
「良いね、食べ応えがありそうだな」
そう言って、アレンが手をポンと叩いた。
「作り方を教えてあげるよ。具は……えっと、これで良いかな」
毛糸の玉のようなものを取り出し、アレンが自分を振り返って微笑んだ。
「コレは保存用の麺。最も汎用的な穀物である『からだ麦』で出来ているものだ。この乾麺は、スープで煮込んで食べるのが一般的だ、さて野菜は、と」
色々な野菜を流し台の下から取り出し、アレンが調理台の上に置いた。
「仕事を始める前に、市場で買い置きしておいたんだよね」
「そうなんですか」
「忙しくて君に伝えるのを忘れていた。使って良いからね。とにかく今日のご飯はコレを使おう」
自分もしゃがみ込んで、流し台の下を覗き込んだ。
ダンテさんのお店で見た事がある野菜もある。癒し芋とか、受容芋、微笑みの根菜などだ。
どれも日持ちがするので、ここに入れてあるのだろう。
「アレンさん、お料理なさるんですね」
「うん。奥さんが全然しなかったからさ。暇さえあれば台所に立ってたよ。あんまり暇もなかったけどね」
「……へー」
ずきっと心が痛んだ。
未だに彼にとっては、リュシエンヌさんはだいじな奥さんなのだろう。
「や、優しいダンナ様です……ね」
「『元』ダンナ様だけどね。家事は出来る限り、何でもしたなぁ」
「ハハ……」
コレは痛い……。
「教えてあげるよ、簡単だから。お願いキノコは凝った調理をしなくても十分美味しいんだ」
「は、はい!」
手桶の水で大きなお願いキノコをざっと洗い、アレンが器用にそれを二つに切った。
「お願いキノコは、細かくした方が出汁が良く出るから。こういう風に切って」
「分かりました」
「他の野菜も大きさを揃えて切ってくれるかな、僕はスープのもとを作ろう」
そう言って、アレンが台所のツボから種火を出し、大きなガラスの瓶をどこからかもって来た。
「あ、それがお酒なんですか」
「そうだよ」
アレンの手から大きな瓶を受け取り、匂いを嗅いでみた。
「おお!本当にお酒だ……!」
向こうのお酒と同じ。
むせ返るようなアルコールの匂いと、酵母の匂いが鼻をつく。
「これ、昨日飲んだヤツですか? 量が半分くらいになってますね」
「……もう飲まないよ、本当に辛かったから。心から反省したんだってば」
そう言って、アレンが肩をすくめた。
普段の彼らしくない、意外と気さくな口調だった。
陶器の大きなボウルにそのお酒を垂らし、塩と大きめの乾いた葉っぱ、それからお芋から採ったいつもの茶色い砂糖をそのボウルに入れ、火に掛けた。
「お塩は?」
「野菜とキノコに火が通ったら入れる」
「分かりました」
「麺は、最後に入れるから」
「はーい」
手順はだいたい、普通の鍋料理と一緒のようだった。
「おお、良い匂いがする!」
鍋代わりらしきボウルの中を覗き込んだ。
淡い黄色の透明な汁がフツフツしている。
キノコうどん。おそらくそんなカンジのものになるのだろう。期待出来そうだ。
「キノコ麺にするんですね」
「そう、野菜たっぷりの、キノコ野菜麺だよ。美味いよ、期待して」
「ハイ……」
本当に美味しそうで、わくわくして来た。
元気キノコを山のように千切りにし、アレンがそれを手づかみで鍋に放り込んだ。
刻み野菜たちもまた、どんどん鍋に放り込む。
鍋が野菜と茸の山のようになった。
具を入れ過ぎではないだろうか。
「野菜はこの蓋をして蒸すだけで良いから。この大きな蓋をすれば、蒸気が回って野菜に味が沁みる」
妙にとんがった大きな蓋を、アレンが鍋代わりにかぶせた。
「お願いキノコは蒸気が美味いんだ。デイジーと一緒にお祈りした? その時、このキノコが弾けたでしょう。揮発性のうまみ成分が含まれてるからね」
「揮発性のうまみ成分ですか?そんなのは初耳です。それにしてもこのキノコ、どうしてかぶってお祈りすると、爆発するんでしょうね?」
「体温に反応するんじゃないかな、原理は分からないんだけどね。僕の祖母は『お願いの気持ちに反応するんだ』なんて言ってたよ」
アレンがそう言って、火元に突っ込んだ棒を左右させながら、火加減を器用に変えた。
「一回弾けさせると、これまた多種多様のうまみに変化が加わって良いんだよ。君のお願いは、どんな味に変わったかな」
「私のお願いですか?」
何頼んだんだっけ……と考えて、そう言えば、アレンとタイゾー君のあの気まずすぎる関係の緩和を祈ったのだ、と思いだす。
他は異世界で巧くやっていけますように、とか。料理が上手になりますように、とか。
そんな平凡な願いだった気がする。
「わ、私のお願いはとくに、あの、フツーでした。いい味出てると良いんですけどね……あの、洗濯もの取り込んできますです……」
そう言って、台所を飛び出した。
お酒とキノコ出汁で煮込む鍋。とても美味しそうで楽しみだが。
「はぁ」
洋服を取り込み、畳みながら溜め息をついた。
「間が持たない……イケメンとは間が持たない……」
ああ、それにもう一つ。
アレンは本当に、酷い事をされたとしても奥さんが好きなんだな、と言う事もかなり刺さる。
コレは、のぼせ上がればのぼせ上がるほど、自分が痛々しい存在になってしまうパターンだろう。
「ナナさん」
「はひ!」
気配無く二階に上がって来たアレンの声に、ビックリして跳び上る。
「出来たよ、下りておいでよ」
「は、はい!」
扉を開けたら、アレンが笑顔で立っていた。
「僕の自信作だ」
「ありがとうございます」
テーブルにつくと、アレンがとんがり帽子のような蓋をしたままの鍋を運んできた。
「じゃあ、蓋を開けるよ」
「ハイッ!」
金色の湯気が鍋の辺りにもわんと広がった。
何とも香ばしいような、美味しそうな良い香りがする。
「へえ、金色の湯気を出す『お願いキノコ』なんて初めて見た」
アレンが驚いたように言い、しんなりした野菜をお皿に取り分けてくれた。
「いい香りだ、コレは期待出来そうだね。さ、うまみが逃げる前に野菜を食べよう」
「は、はい……あの、この料理って、作る度に湯気の色が違うんですか?」
「うん」
何でもない事のようにアレンが頷いた。
「僕が昔良く作ったときは、桃色だったよ」
「桃色……ですか……」
確かデイジーが『お願い』をした時、キノコはピンクに光っていた筈だ。
何か関係があるのだろうか。
「いただきます」
再びとんがり鍋蓋で蓋をして、アレンがスープを頬張った。
「美味い。ちょっとナナさん、早く食べてよ。美味いから」
はしゃいだ様子のアレンに釣られ、自分も慌ててきらきらした金色のキノコ鍋を口に押し込んだ。
「あち、あちっ、あ、おいしー!」
「だろう」
アレンが嬉しそうに目を細め、形良い頬に指を軽く当てて言った。
「僕の料理も捨てたもんじゃないな」
「美味しいです!」
良い笑顔だった。
こんな明るいアレンを見るのは初めて、と言っていいだろう。
……。
あまり魅力的な所を見せないで欲しい。
振られた時、死ぬほど落ち込むだろうから。
「…………」
だがそんなことはアレンには関係ない、自分の問題だ。
そう思い直し、精一杯の明るい表情を作って深々と頷いた。
「あの、心に効きそうですね。心の凝りのほぐれそうな味です」
「そうか!」
褒められて嬉しかったらしいアレンが、機嫌良くスープを継ぎ足してくれた。
「まだまだお代わりあるよ、ナナさん」
「はい!」
「よかった、美味しいと言ってもらえると嬉しいな、ダンテさんが食堂経営を止められない理由が何となく分かるよ」
「はい、楽しいですよね、お料理って」
お願いキノコに込めたお願いは、アレンの心にもう効いているのかもしれない。
彼は今夜、いつになく楽しそうだから。