第19話:キノコ狩りに出発……?
「……もう結構です、充分いただきました」
そう言ってタイゾー君が立ち上がった。
涙を拭い、残った『雨降り茶』を飲み干す。
まだお魚料理は出て来てないのに。
それに、スープもひと匙すくって飲んだだけなのに。
「菜菜さん、また話そうね、えーとこれ、日本語で俺の住所書いとくから遊びにおいでよ」
「エッ……いや……」
奥さんが居る人の家に遊びに行くとか、気まずいのだけれど。
しかも奥さんはアレンの元奥さんだし、一粒で二度気まずい。
何を考えているのだろう。
悪意をまるで感じないから違和感を感じる。
だが、そんな事を口にする勇気も無いまま、わりときれいな字で書かれた紙を受け取った。
曖昧にうなずき、エプロンのポケットに入れる。
タイゾー君が、懐から出した金色の硬貨を机の上に置いた。
「帰ります、アレンによろしくお伝え下さい。ええと……ディアンから話は聞いてます、『色々ご存知』の店長さん。ごちそうさまでした。じゃあね、菜菜さんまたね!」
そう言って日本人らしく頭を下げ、タイゾー君は出て行った。
「?」
色々ご存知?
どういう意味だろう。
それにまだ、料理の提供も終わっていないのに。
「ダンテさん……」
何を彼に聞くべきかしばらく考えたが、仕事中だ。色々自分の好奇心を満たすのは止める事にした。
「お客さん、あんまり召し上がりませんでしたね、どうしましょう」
「そうだね、お魚、お代を頂いて出さずじまいになっちゃったなぁ」
ダンテさんが腕組みをして、ほとんど手を付けていないスープを台所に下げて行った。
タイゾー君は、あのスープを『覗き込んで』、何を見たのだろう。
それに、アレンはどこに隠れてしまったのか。
「アレンさーん」
小声で呼びながら、お店の中を探した。
二階は店長のプライベートなので勝手に行ったりはしていないだろう。
裏口だろうか、と思って顔を出そうとした瞬間、アレンと鉢合わせした。
「おっと」
アレンが僅かに肩をすくめ、持っていたコップを流し台に置いた。
「ふわふわ茶、美味かった」
「えっ?」
「ナナさんが作ったんだろう。ごちそうさま」
そう言って水で手を洗い、アレンが黒いエプロンを締め直す。
それから自分を振り返って、いつもの素敵な笑みを浮かべた。
「さ、夜の部のお客さんが来るよ、気を引き締めてかかろう」
タイゾー君、いや、勇者エドワードの事を、アレンは何も聞こうとしなかった。
*********
今日は、ダンテさんのお店はお休みだ。
お料理を作りっぱなしだったダンテさんが体力の限界を宣言し、お店を一日閉める事になった。
自分としては初休暇だ。
思えば毎日働きっぱなしで、よく頑張ったと思う。
ぐうぐう寝てしまった。もうお昼近いのではないだろうか。
むくりと起き上がり、アレンに借りた古着に着替えて、井戸で顔を洗った。
髪もついでに団子にする。音速で完成した。
「ん、アレンさんの湿布が効いた」
足首も腰も、大分マシになった。
この処置をしてくれたアレンはどうしているのだろう。
家に帰ってすぐに寝てしまったので、ろくに会話もしていないのだが。
「あー」
昨日起きた事を思い出し、がくりと頭を垂れた。
とんでもないお客さんが来たけれど、精神的に彼は大丈夫だろうか。
また寝ずに悩み続けたりはしていないだろうか。
……。
まさかとは思うが、変わり果てた姿などに……。
「おおう!」
ブルブルと首を振って、慌てて裏口から屋内に戻った。
「アレンさーん、おはよーございますー、アレンさんどこー!生きてますかー!」
「オハヨー」
甲高い声がして、奥のアレンの部屋からチョコチョコとデイジーが出て来た。
「オハヨー、ナナちゃん!」
「あれ? デイジーちゃん、おはよう!どうしたの?」
「遊びにきたんだよ!モココも玄関に居ますヨ!」
デイジーが気取った仕草で小首を傾げた。
今日は黄緑のワンピースを着て、黄色のお花の刺繍をした白い襟を付けている。
「アレンさんは?」
「アレン兄ちゃんは寝てる、頭痛いんだよ、お酒飲んだからですって」
デイジーがそう言ってほおを膨らませた。
「今日はおかーさんが、ニンプ、健康診断……だから、遊びにきました」
「そうなの」
しゃがみ込んで、デイジーに頷きかけた。
「アレンさんは二日酔いなんだね。えーと、酔っぱらいって言えば分かるかな」
「そう、おとーさんも怒られてるよ!たまにね!まったく、モー!」
全てを心得た顔でデイジーが頷いた。
本当に口が達者で、おかしい事この上ない。
「ナナちゃん、お腹空いた」
「え? ご飯は」
「アレン兄ちゃんに貰いなさいって、お母さんが!でも、二日酔いでしょー、イヤニナッチャウ」
「そっか……じゃあ、えっと……」
市場に連れて行ってあげたいが、今、一文無しなのだ。嵐で小銭の入った袋を飛ばされてしまって。
「なにか作ってあげるね!」
「ハーイ」
デイジーがニコニコ笑って、勝手知ったる振る舞いで、椅子の上にちょこんと腰掛けた。
「何が食べるもの、あったかなぁ」
癒し芋と、元気麦の粉しかない。芋のパンケーキを作ってみようか。
癒し芋なら粘り気が出るので出来る筈だ。
すり下ろした芋と粉を混ぜ合わせ、小さなツボから種火を取り出し、調理台に火をつけた。
蓋をしておけば消えない火なのだが、原理がよく分からない。
火加減はうちわで調節するしかない原始的な機械なのだが、これが意外と使い勝手が良く思えるのが不思議だった。
「よし!」
パンケーキは形になった。
あとはジャムだ。
好きに使ってくれと言われたジャムがあった筈だ。
これは何のジャムなのだろう。
アレンは確かにこれを『ジャム』と言った。まさか塩辛のようなものではあるまい。
日本語と全く同じ意味の単語は、知っている言葉として聞こえるので間違いない筈だ。
そう思ってぺろっとなめてみた。
杏ジャムをまろやかにしたような果実の味だ。
お皿にパンケーキもどきとジャムを盛りつけ、それを持ってリビングに戻る。
「デイジー、お待たせ!」
「わー、ありがと!いただきまーす!」
デイジーが大きな青い目を輝かせ、ジャムが山盛りのパンケーキをパクパク食べ始めた。
「おいしいね!」
「そお? 良かった」
自分もモッコモコのパンケーキを口に押し込んだ。
芋を念入りにすり下ろしすぎたかもしれない。
なんという弾力だろう。
女二人、しばし無言で咀嚼する。
外からは恩人モココの、ぎゃうぎゃう吠える声が聞こえて来た。
「モココ、待ってて、ご飯食べたら一緒に行くからね!」
デイジーが大きな声で、吠えまくるモココを叱りつけた。
「ん? 行くってどこに?」
「お願いキノコを取りに行くの。お母さんの、えー、アンザンをお祈りして、焼いて食べます!」
「お願い……キノコ……?」
何それ……。
「デイジー、お願いキノコってなあに? それ食べ物なの?」
身を乗り出して、パンケーキに食らいついているデイジーに尋ねた。
また不思議な食材が出て来た。
お願いキノコ。
ダンテさんのお店では出していない食材だ。
「取りに行ったら、教えてあげるからね、ナナちゃん」
つれなく言われ、諦めてほおづえを付いた。
「ふーん、どこに生えてるの」
「それも教えてあげるから。慌てないでちょーだい」
まったく。デイジーは、どこでこんな口の利き方を覚えたのだろう。
******
「ヒー……」
かなり登って来たのだが、デイジーの目的地はまだなのだろうか。
ナナはぜえぜえ言いながら、傍らの木に取りすがった。
「デイジーちゃん、モココ、待ってぇぇ……」
二日酔いらしいアレンを放置し、パンケーキだけをテーブルに置いて出て来たのだが……。
「ナナちゃん頑張れ、こんなの山じゃないよ!まだまだ草原!」
デイジーがそう言って、モココの手綱を引いたまま振り返る。
息切れ一つしていない。どんだけ元気なんだろうと思い、そのまま草の上にへたり込んだ。
「休憩しよー、ナナちゃんは足がまだちょっと痛いよぉ」
「えー、そーお? 大丈夫?」
デイジーがチョコチョコと戻って来た。
モココはその辺の草に頭を突っ込み、吠え声をあげて荒ぶっている。
『あー、このままデイジーの面倒を見たとして、お昼ご飯はどうしようか。戻る頃には、アレンさんも起きてるかな……?』
そう思って、登って来た道を振り返った。
なだらかな斜面に優しい緑が広がり、その左右には深い森がそびえている。
ずっとずっとしたの方に、村の家々が小さく見えた。
「ねえ、この上に何があるの」
「もうちょっと。もうちょっと上の林に、お願いキノコが生えるの。それをね、お願いしながら採るんだよ」
デイジーがそう言って、モココに引っ掛けた布袋から、竹筒のようなものを取り出した。コルクのような栓が押し込んである。
袋には何本か筒が入っているらしく、一つを自分に手渡してくれた。
「はい、ナナちゃん、お水」
「おー、ありがとう……あ、美味しい!何、この水」
「ウチの井戸水。この筒に入れると、美味しい味になるんだって」
ぷるんとした小さな唇を濡らし、デイジーが言った。
「へー。何て言う木で出来てるのかな?」
「ワスレタ」
ちょっと質問が難しかったのか、さらりと流されてしまった。
苦笑して、もう一口甘い水を飲む。
さわやかな風に、草木の香り。それから美味しい澄んだ水……。
ここはなんてのどかな場所だろう。
「はぁ、いい天気だね」
「ウン、いいトコロでショー!」
デイジーが頷き、モココがガルガルと喉を鳴らした。