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第18話:思い出スープ、再び。

「……」

 ナナは、ゴクリと息を飲んでエドワード様を見つめた。


 彼は何故来たのだ、どのつら下げてアレンに会いにきたのだろう。

 ナナはそっと息をのんだ。


 この人がカイワタリの勇者、エドワード。

 

 アレンの友達で、アレンの奥さんと再婚したという、何だかモヤリとさせられる勇者様なのか。

 意外と若いし、思ったより細身で優男だ。何とも言えない迫力が全身からにじみ出ているが。

 言われてみれば、こっちの世界の人とちょっと違う感じがする。

 たとえば、目の色。

 こっちの人は目の色が極めてくっきりしているのだ。

 アレンやダンテさんの目の色は混じりけの無い緑だし、デイジーもサファイアのような青い目をしている。

 けれど、エドワード様の目は、色々な色が混じり合った緑褐色だ。


 じーっと様子をうかがっていると、エドワード様がふと気付いたようにこちらを向き、それから大きく目を見開いた。


「え、君……日本人!?」

「あ、は、はい」


 エドワード様が立ち上がり、つかつかとやって来て自分の肩を掴む。


「日本人だね!目が黒い人はこの国には居ないから……いや、間違いなく日本人だよ、懐かしい、そのぺったりした顔!」

「ぺ、ぺったり……」


 先ほどまでのどんよりした様子はどこへやら、彼の目はきらきらと輝いていた。

 体を押し包んでいた、不思議な、どこか威圧的なオーラも同時に消え去る。


「そっか、君も来たんだ。どうやって来たの。僕は秋葉原駅で、酔っぱらいに突き落とされて電車に轢かれた。それで気付いたら瀕死でこの世界に倒れていたんだ。どうやらカイワタリって、命の危機に乗じてこちらにやって来るらしいんだよね……君はどうだったの? もう怪我や病気は治ったの? あ、でもすぐに治るよね。こっちに来ると体が変わるから」

「え?」


 捲し立てるエドワード様の言葉に首を傾げた。


 命の危機?

 体が変わる……?

 自分は健康そのものだった。

 体だって何も変わっていないのだけれど。まだねんざも治らないし。


「あ、あの」


 何から話すべきか。

 でも、でも嬉しい。同じ日本から来た人が居るなんて。

 しかも『秋葉原』なんて、バイト先の傍ではないか。


「何?」

「日本語上手ですね、今私たちが日本語喋っているのか、定かじゃないですけど」

「あー、うん、言葉ね。とりあえず僕は、母が日本人とのハーフで、生まれた時からずっと日本に住んでる。だから日本語しか喋れないんだよ。あっちではモデルをしてたんだ。名前はエドワード・泰三・スミスっていうの。よろしくね、えっと君は……」

「ナナです、鈴木菜菜。菜っ葉の『菜』を二つ重ねて、ナナといいます!」

「へえ、面白い名前だね」


 エドワード様が笑った。

 ……いや、エドワード様というより『タイゾー君』と呼びたくなるような気さくな男の人だ。

 これまたアレンに負けず劣らずのイケメンさんだが、日本的な、あちらの世界的な意味で洗練された感じがするし、モデルさんだったというのも頷ける。


「えっと、エドワード様」

「タイゾーでいいよ、あっちじゃ皆そう呼んでた」

「じゃ、じゃあ、タイゾー君!モデルなんて凄いですね!」


 そう言うと、エドワード様が鼻をこすった。

「下着モデルとか、ちょっとエロ系の生々しいお仕事は外人系のモデルが好まれるからさ、仕事はあったんだよねー。実際の俺は、ただのアニメオタク。さらには、両親は日本の歴史マニアだったせいで、神社仏閣オタクと言う属性まで兼ね備えてたんだ。電車も相当好きだったよ、轢かれてから嫌いになったけど。こっちじゃ乗らずに済むからいいよね」

「あはは!」


 話が面白くて思わず口元を覆って笑ってしまった。

 なんというトーク上手だ。

 この人はあっちでもモテモテだったに違いない。


 そこまで考えて、我に返った。

 だけどこの人は……。


「どうぞ、良かったねナナさん、日本の人と会えてホッとしたでしょ」

 表面がちゃぷちゃぷ波打つお茶を手に、ダンテさんが笑顔で言ってくれた。

「あ、は、はい、すみません、話し込んじゃって」

「いいよ、気にしないで」


 ダンテさんがそう言って、もう一つお茶を置いてくれた。

 同じく、雨が叩き付ける水たまりのように、表面がちゃぷちゃぷと跳ねていた。

 不思議なお茶だ。

 どんな効果があるのだろう。


「休憩していいよ、このお茶は僕からナナさんに。同じ境遇同士、色々お話ししたら?」


********


「……」

 店の裏手で踞っていたら、ダンテがひょいと顔を出した。


 アレンは慌てて立ち上がる。

 それから、そっと胃の辺りを押さえた。


「胃が痛いんだ?」

 微笑むダンテから目をそらし、アレンは小さく首を振った。


「大丈夫です、何でもありません」

「あのさ、エドワード様、『思い出スープ』食べたいんだって。どういう事かな」

 素知らぬ顔でそう呟くダンテに、アレンはもう一度首を振ってみせる。

「さぁ。思い出スープ……ですか」

 緑の瞳で空を見上げ、アレンはぼんやりと瞬きをした。

 騎士団の激務で、ほとんど共に過ごせなかった妻のことが、そして妻の不貞を受け入れ、自分を裏切った『親友』の事が、生々しく彼の心をよぎる。


『止めよう』

 アレンは痛む胃を手のひらで押さえ、背筋を正した。

『止めよう、リュシィが幸せになれば、それで良いじゃないか……』

 こみ上げる苦いものを飲み下し、平素の表情を顔に貼り付かせ、アレンはダンテを振り返った。


「離婚は、僕が悪かったんです。僕のせいだ。多忙を理由に、リュシィに寂しい思いをさせたから」

「そう思うの? まあ、そうだとしたら、アレンくんもまだ若いってことだね、はい、お茶をどうぞ」


 縦長の陶器の杯を渡され、アレンは中身を覗き込んだ。


「昨日ナナさんが仕込んだ『ふわふわ茶』だよ。竜果実の種を上手に炒ってあるだろう。君はギチギチに自分を縛り付けないで、ちょっとフワフワした方が良いと思うから淹れてみたんだ」

「フワフワ……ですか……」

「うん、なんだか君は、自分を罰し続けているように見えるから」

 ダンテが小さく笑い、軽い口調でそう言った。

 アレンが持ち合わせていない、歳を重ねた分の『ゆとり』のある笑顔だった。——少なくともアレンの目には、彼の笑顔はそのように映った。

「ダンテさん……申し訳ない、いただきます」

 アレンは渡されたお茶を一口啜る。

 そして、思わぬふくよかな味わいに、目を見開いた。


「へえ、美味しいな」

「おいしいだろう? ナナさんは毎日勉強して、お茶を入れるのがどんどん上手になる。僕は頼りにしているよ」

 アレンは、ダンテの言葉を繰り返した。

「どんどん、上手に……」

「ああ。人は毎日変わる。彼女のように、君も少し良い方に変わってみたら? せっかくの男前が台無しだよ、毎日土砂降りみたいな気持ちで過ごしていたらね」


 ダンテがそう言って、盆を片手に店に戻っていった。


******


「はい、思い出スープ。魚はもうすぐ焼けますからね」


 ダンテさんがそう言って、沼みたいに底の見えない不思議なスープを運んできた。

 たしか、初めてこっちに来た日に、エレナさんが作っていたものだ。

 デイジーが中を覗き込んで「ひいおばあちゃんが見えた」と笑っていた事を思い出す。


「……」

 覗き込んだ。

 自分の顔が、淡く映し出されているだけだ。


「ありがとうございます。このスープ、香りとか何にもしないですね」

 エドワード改め、タイゾー君がそう呟いた。

 ダンテさんが頷き、笑顔で言う。

「そうだよ、覗いた人に思い出を見せて、思い出の味を蘇らせるものだから」

「……」

 

 ダンテさんの言葉に、タイゾー君がスープの入った壷を覗き込んだ。

 そのまま、じっと動かない。

 彼の目には何が映っているのだろうか。


 小さなおたまを手に取り、タイゾー君が壷の中のスープをすくう。

 そして、そのすくい取ったスープをじっと眺めた。


「ああ、そうだな、僕が初めてまともに摂った食事は、踊り麺……」

 髪の毛に半ば隠れたタイゾー君の頬を涙が伝った。


「……」

「……」

 何も言えず、スープに手を付けようとしない『勇者様』の姿を見つめる。

 ダンテさんも同じだった。

 何も言わず、腕を組んで彼を見守っている。


 お客様も、ディナータイムの前の微妙な時間帯なので、もう居ない。


 がらんとしたお店の中で、おたまを持ったタイゾー君だけが声をあげ、そして泣いていた。


「……よく見えるよ、思い出が。この麺を啜っていた呑気な僕に戻りたい、竜殺しの勇者などではなく……」


 長い指で涙を拭ったタイゾー君に、ダンテさんが静かに言った。


「雨降り茶を飲んだらどうでしょう。泣きたい気持ちを雨で洗い流してくれるからね」

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