第17話:勇者エドワード、ご来店。
「エドワード様」
にっこりと微笑むディアン管理官を振り返り、勇者エドワードはかすかに頭を下げた。
「どうも」
「こんばんは、ご気分はいかがですか」
「別に」
そう答え、エドワードは身を横たえていた長椅子から体を起こした。
「何の用?」
「この前ね、あの大嵐のちょっと前かな。アレン・ウォルズに会いましたよ」
「……」
伸びきった金褐色の髪の間から、茶色とも緑とも付かない、薄い色の瞳が覗いた。
「……。ドラゴンスレイの話じゃないんだ……興味ない」
「ん?なんです?どらごんすれい?」
「何でもない、寝てるから放っておいて」
再び長椅子に横たわった勇者の傍に屈み、ディアンが優しい声で言った。
「元気出して下さいよ。まだ『もとの世界に帰りたい』なんて思ってるんですか? こっちの世界で、最高の妻、最高の栄誉を得て、幸せじゃないんですか? 幸せでしょう、あなたは」
「……」
エドワードは一瞬顔を上げてディアンを見たが、すぐに目をつぶってしまった。
「いや、帰りたいよ。日本に帰りたいね。いつになったら僕は用済みになるのかな」
*******
「ググググ」
カフェタイム開始から一週間。
アレンは根が生真面目なのか、頑張ってダンテさんのお店を手伝ってくれている。
ああして体を動かしていればきっと、ドヨーンと落ち込む時間も減るに違いない。
だが自分の腰が限界を迎えた。
「ウググググ」
「大丈夫か」
眉をひそめ、アレンが言った。
「ご、腰がイダイイイ……」
片足を庇う姿勢がきっと悪いのだ。
痛くて痛くて涙が出て来た。
「ちょっと待って」
一週間でスッキリと痩せ、更に精悍になったアレンが立ち上がった。
「湿布がある、腰に張ってあげるから」
「す、すみません」
床にごろりと転がったまま、ハラハラと涙を流す。
もはや色気もヘッタクレも無い。
アレンと働けてときめく……という気持ちすらぶっ飛ぶ程忙しい。
「むうう」
この男がイケメンだからお店が大繁盛なのだ。
いや、いいのか、それで。
それにしても、いそがしすぎる。
ダンテさんも自分も、賄いを作る元気すら無い。
一方、良かった事は、色んなドリンクのレシピを覚えられた事だ。
スイーツはダンテさんが作っているが、ドリンクなら大分分かるようになった。
このお家でも台所を借りて作ってみよう。次の休みにでも材料を買いに行ってみて。
それから、傷みにくいおかずを選び抜いて、お弁当も作ってみよう。
それを半日ほど持ち歩き、外で食べて実験してみたい。
なんにせよ、まずは腰痛を何とかせねば。
転がって鈍痛に耐えていたら、玄関がノックされた。
「ウォルズさーん!ウォルズさーん、いらっしゃいますかぁー。村の騎士団ですけどぉ」
部屋に引っ込んで湿布を探していたアレンが、走って出て来た。
「はーい、今出ます!」
そこに立っていたのは、同じような地味の制服を着ている二人組だった。
騎士団とは警察みたいなものだ、と聞いたが。
「夜分に済みません。この前の嵐の朝にね、木に縛られた盗賊たちが見つかったのでね、物騒だから警戒して下さいってお声掛けに来ました~」
「そうですか」
盗賊が出たと聞こえた。何だか物騒で怖いな、と思う。
「盗賊を捕まえた人を表彰したいんだけど、心当たりありますか?」
「全く無いです、申し訳ない」
アレンが素っ気なく答えるのが聞こえた。
「わかりました~。じゃあ戸締まりに気をつけて下さいね、おやすみなさい」
「こちらこそ、見回りお疲れさまでした」
パタン、と玄関を閉め、アレンが溜め息まじりに戻って来る。
「何日前の話だ。今頃回って来るなんて。弛んでいるな」
なにやら、アレンがブツブツ言っている。
「とうぞく……」
なんだか物騒な感じがして、怖いのだが。
そう思ってじーっとアレンを見上げると、彼がかすかに笑った。
「!」
イケメンの偉大なる微笑みにキュンとなる。
本当に自分が情けない。そう思って慌てて目をそらす。
「大丈夫だ、賊は捕まったから」
「はい……」
アレンがそう言うなら大丈夫なのだろうか。
平和そうな村だと思っていたけれど、物騒な事があるものだ。
「誰がつかまえたんでしょうね?」
そう尋ねるとアレンが首をひねり、自分をごろりとうつぶせに転がした。
「分からない。ごろつき崩れの奴らだし、仲間割れじゃないのかな。とりあえず腰に湿布をするから服をめくってくれないか」
アレンは盗賊の話に興味が無いようだ。
たぶん、とくに心配の無い、よくある話なのだろう。
******
「店長、ほぐしネギって腰痛の湿布になるんですね」
カウンターにもたれてストレッチをしているダンテに向かってそう言い、ナナはアレンの持って来たオーダーを覗き込んだ。
ほっこり茶となごみ茶、すっきり茶のオーダーが入っている。
ほっこり茶は体温を上げ、なごみ茶はイライラを鎮め、すっきり茶は倦怠感を取り払ってくれる。
体調の不良やメンタルの落ち込みをサポートしてくれるのが、この世界の『お茶』と呼ばれる飲み物なのだ。
だが、お茶の原料が葉っぱや花とは限らない。
木の枝のお茶もあるし、野菜を干したものを煮出したお茶もあるし、お砂糖を加えた野菜のすりおろしをお茶と呼ぶ場合もある。
「そうだよ、ネギは打ち身とか神経痛に効くよ。体中ネギ臭くなるけどね」
ダンテさんが笑いながら言った。
実際、今の自分からは相当なネギ臭がするのだろう。
日本のネギもこちらのネギも、相当刺激的な匂いがするのは変わらない。
だが、体にこのネギ臭さが染み込んで、何とも言えぬ和らぎに変わるのだ。不思議な湿布だった。
「いろかわり玉出せますか?」
カウンターにやって来たアレンが、伝票を置きながら言った。
「ありますよ!」
4粒の虹色ボンボン……正式には『いろかわり玉』を、小さなお皿に、ピラミッドのように積み上げた。
美しいゼリーのようなお菓子が、ゆらゆらとおのおのが色を変えながら、淡い照明の光を弾く。
いつ見ても綺麗なお菓子だ。
そして食べると、心のもやっとした感じが流れる気がするお菓子でもある。
このボンボンの制作過程で、虹色麦を炒った粉末を混ぜ込んだら、まさに夢のような色合いに仕上がりそうだな、と思いついた。
七色に輝きながら、移り行く時とともに色を変えるお菓子。
いつか作ってみたい……。
うっとり眺めながら、お皿を提供台に置いた。
このメニューも大人気だ。
がっつりしたお芋ベースのパンケーキも人気だし、真っ赤でココアみたいな香りがするしっとりしたケーキも人気だ。真っ赤なケーキには表面にはゼリーのようなものが塗ってあって、一口で二度美味しい。
ダンテさんのレシピの多さに日々驚かされる。
どれほどの数があるのだろうか。
「いらっしゃいませー」
カウンターに居たダンテさんが声を上げた。
フードを被った長身の男性が、ゆらりとお店に入って来た。
そして、フードを払いのけて端正な面立ちを露にする。
「……」
何人かいたお客さんが、一斉に男の人を振り返った。
自分も、言葉も無くその人を見つめてしまった。なんというか、目が離せない人……と言う感じがする。圧倒的な存在感が、その人にはあった。
「雨降り茶と、思い出スープはありますか。具は受容芋が良いんですけど」
低く、なんだかゾクリとなるような不思議な声で男の人が言い、長い金褐色の前髪を掻き上げた。
格好いい人だ。格好いいんだけど、なんだろう、何だか、怖い。
「……」
アレンもまた、凍り付いたように男の人を見ている。
瞬きもせず、切れ長の目を見開いたままだ。
「……久しぶりだね、アレン。ここに居るとディアンに聞いて来たんだ」
緑と茶色の混じったような色の目を細め、男の人が言った。
「へえ、ディアンは君の為ならどんな情報でもかき集めるんだね、エドワード様」
緊迫した空気に割り込んだのは、いつも通りの飄々とした笑顔のダンテさんだった。
なんだその、訳知りな台詞は。
ビックリしてダンテさんを振り返り、慌ててアレンを見て、それから入って来た『エドワード様』を見た。
何なんだ、一体、何が起きたのだろうか。
キョロキョロと皆の顔を見比べた。
ダンテさんは平常運行だが、アレンは凍り付いたままで、エドワード様は目が死んでいる。
「いらっしゃい。ご注文の品ありますよ。でも汁物ばっかりで良いの? ウチのオススメは、今日は魚だよ、ファルレの月夜焼きなんてどうかな」
ダンテさんの言葉に、虚ろな目をしたエドワード様がゆっくりと頷いた。
「わかりました、ではその注文でお願いします」