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第15話:別の嵐に巻き込まれた彼

「そろそろ迎えに行こうか」


 少し早いが、雨なので早めがいいだろう。

 そう考えて、アレンは長椅子から立ち上がった。


「いつまでもこんな風に座っていても、何も変わらない」

 そう呟いて台所に立ち、冷えきった水で顔を洗う。

 日に日に井戸水が冷えてゆく。たちまち指を強張らせる水温が、冬の到来が近い事を彼に伝えた。


 顔を上げ、アレンは暗い家の中を振り返った。


 かつて彼は、王都の小さく明るい家に住んでいた。——彼の妻と二人で。

 彼の妻リュシエンヌはまだ若くて友人も多く、頻繁に家を空けていたが、在宅している時は常に明るい笑顔でアレンを迎えてくれたものだった。


「…………」

 濡れた顔を拭い、アレンは頬を叩いた。

 未練は未だに彼に絡み付き、リュシエンヌが戻ってくるという、毒のような幻を彼に見せ続けている。


 アレンは雨よけの外套を羽織り、家から出た。

 外はひるむほどの嵐だ。いつの間にここまで雨足が強まったのだろうか。

「!」

 アレンの耳に、馴染んだ不吉な音が届いた。彼が騎士団に在籍していた頃、頻繁に耳にした音だ。


 だが……。


「……」


 彼の勘が、間違いないと告げた。

 先ほどの甲高い音は、嵐に乗じ、押し込み強盗を働くたちの悪い一団が合図に使う、指笛の音だった。

 騎士団の士官だったアレンの耳は誤摩化せない。

 それに、音の流れて来た風上には、彼の姉夫婦の家がある。

 彼の身重の姉と、幼い姪、鋤と鍬の扱いしか知らない温厚な義兄の、平和で無力な家庭が。


「くそ、行くか」

 アレンは玄関脇に無造作に投げ出していた剣を手に取り、その具合を確認する。

 誇りを被っている。ずいぶんと放置され、手入れをされていない事を物語っていたが、納得したように鞘に戻した。

 その後、納屋に体を突っ込み、かつての道具を入れた袋と縄を担ぎ上げる。


 そのまま彼は家を飛び出し、嵐の中、真っ暗な道を走った。

 叩き付ける雨が、たちまち引き締まった長身を濡らす。


「小さな明かり……四つか、良し……」


 アレンの細い体を、目に見えぬ気迫が包んだ。


******


「ううう……モココちゃーん……ごめんね、怖いなんて思って……」

 細いモココの体に取りすがり、ナナはヨロヨロと坂道を下った。

 うっすらと、家々の明かりが見える。

 それに、風が少しずつましになって来た。


 足は捻挫したようだ。

 アレンに借りたブカブカのブーツが、脱げるのか不安なほどにパンパンになっている。

 目に真っ赤な水が流れてくるので、頭を切ったのだろう。

 それに喉が痛い。汚れた水をがぶがぶ飲んでしまったからだ。


「げほっ、げほっ」

 咽せた瞬間に泥水が出て来たので、ぺっと吐き出して大分すっきりした。

 ああ、酷い目に会ったな、と思う。


「ぐるる、ぐるるるるる……」

 モココが目をぎらりと輝かせて唸った。

 もう、このお化けトカゲの子を怖く感じない。

 イイヤツだ。自分に合わせて、ゆっくり歩いてくれているのが分かるし。


「も、もうすぐダンテさんのお店だぁぁ……ありがと、モココ」

 大分遠いが、ダンテさんのお店が見えた。

 明かりも付いているので、まだいるだろう。


「がおぅぅぅ……ぐるぅぅぅぅ……」

 まるでお返事をするかのように、モココがゴロゴロした低い声を出す。

 その時だった。

 雨合羽のような服を着た人が、坂を駆け上がって来たのが見えた。

 なんというキレのいい走りっぷりだろう。


 マラソン選手だろうか……と思ったら、ダンテさんだった。


「ナナさん!何でモココも居るんだ? その子はハーマンさんの所のモココだよな?」

「はいぃ、ナナです!それとモココもいます!」


 泥水でがさがさになった喉で、必死に答えた。

 ホッとしすぎて涙が出そうだ。


「様子を見にきたんだ。こんな嵐になると思わなくて……うわ!」

 血まみれ泥まみれ、ヨロヨロの自分が見えたのか、ダンテさんが驚きの声を上げた。

「大丈夫か」

「看板が当たったので、あんまり大丈夫じゃないです」

「手当てしよう、おいで」

 ひょい、と肩を貸され、ずいぶん歩きやすいように補助してもらう。

 高々バイト店員にこれほどまでお優しい上なんて、なんという素晴らしい店長なのか。


 日本でバイトしていた時の、マクロビレストランの店長を思い出す。

 あの人も美人さんで気っ風も良くって、バイトにも分け隔てなく仕事を叩き込んでくれる人だった。

 自分は、上司運に恵まれているのだろう、本当に有り難い事だ。


「す、すみません……ダンテさん……」

「謝るのは僕の方だよ、店で待たせれば良かったんだ」

「いえ、出て行った私が考え無しでした」

 それにしても……すごい。

 アレンもムダの無い筋肉をしていたが、ダンテさんも40過ぎとは思えないがっしりした体をしている。


 だが、そんな事を考えている場合ではない。

 良からぬ思いを打ち消し、ダンテさんの肩を借りて歩き出した。

「うう、助かった……店長、ありがとうございます……」

 

 何にせよ、命があっただけで良かった。

 あとは頭の中で出血などしていなければ良いが、コブになっているので大丈夫なような気もする。


「がるぐぁぁぁぁ……ぐぁぁぁぁぁぁぁ!」

「モココ、君にもあとで餌をあげるからね」


 ダンテさんが、優しい声でモココに語りかけた。


*****


 とりあえず、お店の二階、ダンテさんのお宅でお風呂をお借りし、服を借りて一息つく。

 足はパンパンだが、ドロドロだった体を綺麗にしただけで生き返ったようだ。

 しかし……。


 さすがに、ダンテさんのお宅にいつまでも居るのは気が引ける。

 そう思い、片足立ちで立ち上がり、借りた木の棒で歩こうと試みる。

 ダメだ。

 しかも足が痛くて地面につけない。


 疲れた。眠いし、できれば帰りたい。

 そう思ってボンヤリしていたら、ダンテさんがお皿を箱を手に上がって来た。

「ナナさん、足に湿布をしようか。それと賄い。食べなさい」

「ありがとうございます!」

 お皿の上に、薄切りにした生のお芋が乗っている。色は淡い黄色。ジャガイモよりちょっと黄色いだろうか。

 皮の青い部分がちょっと残っていたので、優し芋だろう。

 生で食べられるとは知らなかった。おいしそうだ。


「足を出して」

「は、はい」

「取りあえず湿布するね。傷も消毒する。アレン君が迎えに来るだろうから、その時に手当てしてもらおう」

「スミマセン」

 足に湿布を張ってもらい、頭の傷を沁みる薬で拭ってもらった。


「それ、優し芋とほぐれネギの和え物。あとスープは、夢見草のスープだ。怪我をして興奮している時には、心を落ち着かせるスープが良いと思うよ。具は、刻んだ癒し豆だ。とろみがあって良いだろう」


 きつね色のスープを覗き込む。

 ほんのり桃色の刻んだ豆が浮いていて、荒漉しのお味噌みたいで美味しそうだ。

「優し芋は生でも食べられるんですね」

「そうだよ、生のほうがより体に優しい……と習ったけど、どちらも美味しいね、僕に言わせれば」

「そうなんですか……」


 ああ、メモを取りたい。

 メモ帳がどこかに行ってしまったのが痛い。


「夢見草って、初めて食べます」

 草、とは言うものの、かなり食べ応えのある葉っぱなのだろう。

 白菜のようなしゃくしゃくしたものの千切りも入っていた。


「普通、食事処では出さないね。夢見草が使われるのは家庭料理だ。夜寝る前に食べるものだから」

「そうなんですか……」

「お酒に漬けておくと、金色の綺麗な酒になる。寝酒にどうかと思ったけど、けが人には勧められないな。今日は泊まって行きなさい、歩かない方が良い。アレン君に付き添いを頼もう……ここは客間だからどうぞ心置きなく二人で過ごしてくれ」

「はぁ」


 頷きかけ、手が止まった。

「は?」


「優し芋は昂った心が落ち着く。ほぐれネギも似たようなカンジだね。ケガをした時は、必ず心も傷ついているものだから。今夜はそれ食べて、ゆっくり休みなさい」

 そう言って、ダンテさんは出て行ってしまった。

 なんかとんでもない事を言われた気がするのだが、と悩みつつも、食欲に負け、お皿に手を伸ばす。

「ううう、おいひいぃ」

 ムシャムシャと生芋のサラダを食べ、スープを飲み、さっき自分で焼いた元気パンを頬張る。

 美味しい。

 とくに優し芋は生でもおいしいと知って感動した。

 軽く振ってあるお酢と塩が、しゃくしゃくした歯触りを引き立てる。


 こっちの世界の酢の物は本当に美味しい。

 ただ酸っぱいだけではなく、かといってしつこくもなく、心が軽やかになるような感じがする。


「ウーン……!」

 やはりダンテさんの料理は匠の技だ。

 美味しいだけでなく、なんというのか、五臓六腑に染み渡るというべきか。

 料理が、じわじわと体をほぐしてくれるような感じがする。


「おいしー」


 無心に食べていたら、お店の辺りが騒がしくなった。

「?」


 様子を見に行きたいが、歩けないので必死に耳をすます。


 しばらくして、ダンテさんがずぶぬれのアレンを連れて部屋に入って来た。

「アレンさん!」


 彼もボロボロに見えるのだが。

 自分を迎えにきてくれて、彼も怪我をしたのだろうか。

 眉をひそめる自分の前で、ダンテさんが溜め息をついて腕を広げる。


「なんて事だ、けが人続出だよ。アレン君も飛んできた何かで切ったのかい?」

「そんな所です」

 血の滲む二の腕を押さえ、アレンが淡々と言った。

「大丈夫かな、医者を呼ぶ?」

「僕も医者なので、自分で縫います。利き腕ではないので大丈夫です」

 表情を変えず、顔を伝う水滴を拭ってアレンが言う。

「そうか。じゃ、まずは体を洗って来たらどう?」

 ダンテさんの言葉に、アレンが頷いた。


「そうですね、出血は酷くないので、お言葉に甘えます……ん、ナナさんはどうした?」

「女の子なのに大変な怪我させちゃったよ。アレン君、あとで見てやって、頭を打ってるから」

「……わかりました」


 アレンが自分をちらりと見る。

 様子を観察するような目つきだ。

 だが、モグモグ食べている様子で安心したのか、そのままお風呂に行ってしまった。


「あの、アレンさんはどうしてケガされたんでしょうか……嵐は止んでいたように思うんですけど」

 そう尋ねると、ダンテさんが腕を組んで、静かな声で言った。


「さあ? 『別の嵐』に、彼が自分で突っ込んで行ったのかもしれないよ。僕はそんな気がするね」

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