第12話:虹色ボンボン
「えっと、鈴木ナナさんね」
焦げ茶の髪に、アレンと同じようなエメラルドのような目の男性が、そう言って手元のうす水色の紙に何かを書き付けた。
自分の目には象形文字のような形に見えるのだが。
「日本から来た? 皆そう言うね。日本、と。うん、歴史上、日本以外から来たカイワタリって居ないんですよ」
そう言って、彼がじーっと自分の目を覗き込む。
齢の頃は、30代半ばくらいだろうか。結構若いひとだ。
「はぁ」
「取りあえず王都に移動して、色々検査しましょうか。どんな力を持っているのか調べないとね」
「え?」
移動?
慌てて首を振った。
明日からまたダンテさんの店で働くのに。
「ちょっと明日は仕事が」
「そうなの、じゃあちょっと今見ちゃおうかな……失礼」
そう言って、お役人さんが指をチョンと振った。
「え?」
なに?と思う間もなく、体が後ろ向きに吹っ飛ばされた。
「……っ」
今一体、何が起きたのだろう。
「ああ、ナナさん済みませんっ!ありがとう、ウォルズ少尉」
お役人の声がした。
「うぅ」
壁にぶつかるかと思いきや、アレンの胸に抱きとめられて無事だったのだ。
今、椅子から吹っ飛ばされたのだが、一体何が起きたのか。
「ディアン管理官、一般人に魔導を使うなんて!」
自分を抱きとめたまま、頭の上でアレンが抗議の声を上げた。
庇ってくれたのだろうか。だがビックリしすぎて声が出ない。
「すみません、まさか防ぐ事すら出来ないなんて!今までの私が出会ったカイワタリと全然勝手が違ってねぇ」
慌てたようにディアン管理官、と呼ばれた男の人が立ち上がり、自分の前に跪いた。
「申し訳ありませんでした。どこか痛い所はありますか?!本当に申し訳ない。あなたが弾き返す筈だと思い込んでいて。弾き返せないカイワタリを見た事がなくて」
「だ、大丈夫です」
絶妙の体勢でアレンにキャッチしてもらったので、大丈夫だ。
ノロノロと身を起こし、びしっと立て膝を付いているアレンにお礼を言った。
「アレンさん、ありがとうございました」
それにしても凄い身のこなしだった。
彼は、いつの間に椅子から下りたのか。
「いや、どこも痛くないか?」
「はい!大丈夫です!」
アレンはかなりガッシリしていた。
今さら照れくさくなってシャキンと姿勢を正し、平身低頭しているディアン管理官さんに向かって言った。
「あの!えーと、危ない事止めて下さい」
「スミマセン!」
もはや土下座になっている管理官さんの様子に溜め息をついたが、手を伸ばして体を起こしてあげた。
「今の、何なんですか?」
「初歩の衝撃派です。カイワタリは通常、強靭な魔力で守られ、私どもの使うような魔法など弾き返す筈だったんですけど」
「ディアン管理官、危険な行為は断ってからして下さいよ!」
アレンさんが抗議の声を上げた。
「申し訳ないっ」
まだ土下座している。
アレンは、この管理官と知り合いなのだろうか。
よく分からない。
「あ、取りあえずお茶持って来ますね、詳しいお話はお茶をしながら、ね!」
ディアン管理官が、そそくさと出て行った。
思わずアレンと顔を見合わせる。
「何なんでしょうね」
「カイワタリの力を試したのだろう。エドワードには彼の風などかすりもしなかったから。君も同じような存在だと考えたに違いないが、危険な真似をするものだ。君が軽くて良かった」
「軽いぃぃ?」
声が裏返った。
「どうした?」
「い、いえ」
自分は170センチで65キロあって軽くない……のだが……。
いや、これは秘密にしよう。
「あの、ディアン管理官さんはさっきから、先生の事を少尉って呼んでますけど」
気になる事を口にしてみたが、アレンはあっさりと首を振った。
「昔の階級だ。今は違うよ、騎士団は辞めた」
「はぁ」
騎士だったのか。医者ではないのだろうか。
そのとき、愛想笑いを浮かべながらディアン管理官が戻って来た。
「お待たせ、さ、お茶にしよ!」
手には良い香りの、すーっと爽やかなお花みたいな香りがする何かを持っている。
「お茶で誤摩化すとか、相変わらずですね」
「いやいや、ウォルズ少尉、お褒めに預り光栄です」
愛想笑いをしながら、ディアン管理官がテーブルの上に可愛い陶器のセットと、可愛らしい何かを置いた。
「わぁ」
何だろう。砂糖をまぶしたボンボンのようなお菓子が、不思議な爬虫類の描かれた小さなお皿に紙を敷き、ピラミッドのように積んである。
だが、不思議だった。
ひとつぶひとつぶが時間とともに緩やかに青から緑、黄色、橙、赤、紫、そしてまた青へとゆっくりと色を変えてゆくのだ。
綺麗だ。
ネオンサインみたいな、不思議な七色。
見とれていると、手もみしながらディアン管理官が言った。
「女の子はみんなこういうお菓子が好きでしょ!ドーゾ、ドーゾ!」
「あのですね、ディアンさん」
アレンが溜め息をついて何かを言おうとしたが、我慢出来ずに手を伸ばしてボンボンをつまんだ。
「いただきまーす!」
この世界の食材はだいたい食べられる事が分かったので、このお菓子も大丈夫だろう。
こんな風に、色を変えるなんて信じられないけれど。
「!」
葡萄みたいな酸味ある爽やかな甘さが、口の中にパアッと広がった。
美味しい。周りにまぶしてある粒砂糖のようなものは柔らかく、レモンシュガーのような風味がある。
じゃりじゃりしていない。お口ですうっと溶ける。
ボンボン自身もキャンディなのかと思ったが、体温でとろけてしまった。
なんだろう、常温のゼリーを固めたようなこの食感は。
「おいしー!」
「ナナさん、君、何で食べ物を見ると突進して行くんだ」
アレンが呆れたように言ったので、そっと目をそらす。
「そうですか、美味しいですか、良かった。お茶もどうぞ」
ちっちゃな湯のみに、ディアン管理官がお茶らしきものを注いでくれた。
ダンテさんのお店で出している、口の中をさっぱりさせる葉っぱを浸したお水とは違う。
淡い緑だ。緑茶よりもっと翡翠みたいな色をしている。
香りはジャスミンに似ているが、もっと花のような香りがする。
花弁を絞った水を飲んでいるような濃厚な飲み口だった。
「それ、美容に良いからね!ピピの花弁のお茶だよ」
「ピピ……」
花粉を熱すると赤くなり、リコピンのような作用をするというお花のことだ。
「花びらは緑になるんですね!」
メモ帳を取り出し、書き付けた。『ピピの花は花弁を抽出すると緑の水になる』と。
「ナナさん、君、不思議なカイワタリだね。何であんな風も吹き払えないんだろうね。でも別の力もあるかもしれないしなぁ。うーん」
じんわりとボンボンとお茶を味わっている自分を尻目に、ディアン管理官が首を傾げた。
もう関係ないし、支援なども特にしてもらえないのであれば帰ろうかな、と思い始める。
それにしても、このお菓子はなんと綺麗なのだろう。
それに、すっごく美味しい。
どうやって作るのだろう。ダンテさんは知っているだろうか。
そう思って、考え込んでいるディアン管理官の顔を覗き込んだ。
「あのー、帰ってもいいですか」
「うん、君、ウォルズ少尉の所に居るんだよね。居場所さえ分かっていれば良いよ。色々と役に立ちそうなものはあとで届けるね。あのさ……」
言って、また考え込む。
真顔だ。さっきまでヘラヘラしていたのだが。どうしたのだろう。
「あのさ、ナナさん、帰れるようになったら、君を日本に優先して返すからね」
「はぁ、ありがとうございます」
一応頭を下げた。
優先してくれるというなら、お礼を言うべきだろう。
「いや。だから色々、あんまりこっちに根を張りすぎないようにね。適当に過ごしてね」
「え?」
意味がよく分からない。
アレンの顔を盗み見たが、じっとディアン管理官を見つめたまま、微動だにしていなかった。
「どういう意味ですか」
「いつでも帰れるように準備しておいてね、って意味だよ、帰れそうになったら連絡するから。その辺も、ウチのお役所で管理しているからさ」
「そう……ですか」
何となく尻切れとんぼに返事をした。
アレンが何も喋らず、じっとディアン管理官を見つめているのが、何だか怖い。
ぴりぴりした違和感を感じるのだけれど。
「……」
とにかく、ディアン管理官の言った事は、悪い話ではない、と思う。
早く帰らせてくれるよう、色々気を使って下さると言うのだし。
アレンの様子がおかしいような気がするのは、あとで本人と話して、聞けば良いだろう。
薄い紙に乗せられたボンボンをそっと引き寄せ、ディアン管理官に尋ねた。
「あのー」
「うん? どうしたのナナさん」
微笑んだディアン管理官に、思い切って尋ねた。
「このお菓子もって帰っていいですか。すみません、研究したいので」
この期に及んで、お菓子が一番気になる自分を許して欲しい。




