第11話:一緒に行きましょう
「あのー」
ぼんやりと長椅子に腰掛けているアレンに声を掛けた。
今日は晴れている。雨が続いたので、すっきりして気分がいい。
だから、光を一杯浴びる為にカーテンを開ければ良いのに。
「ああ、おはよう、ナナさん」
「朝ご飯は」
「今日はいいや、君は早く公会堂に向かうと良い」
アレンが取り繕ったような笑みを浮かべ、首を振った。
また目の下が真っ黒だ。
寝ているのだろうか。
「晴れてるし、お外で食べましょうよ。私お給料前借りしたので、お金ありますから」
嫌がられるかも、と思ったが、思い切ってそう声を掛けた。
あんな顔色の人を放っておくのは良心がとがめる。
「そうだな、体を動かさなくなってから、物憂い気持ちが酷くなったように思う、ちょっと待ってくれ」
アレンは、嫌がらずに頷いてくれた。
彼自身も今の状態は良くないと思っているのだろう。
「はい」
「顔だけ洗って来るよ」
そう言って、アレンが重たい動作で立ち上がった。
顔はやつれきっているものの、体の芯がしっかり通っている。
もしかしたら何かスポーツをしていたのかもしれない、と思う。
痩せて肉が落ち始めてはいるが、筋肉質な感じだ。
剣道とか水泳などを経験していた男性のような、しなやかで見事な体だ。
——お医者さんと聞いたけれど、今の所、働いている形跡はない。
ダンテさんもそうなのだが、アレンもまた、びしっとした綺麗な背中をしていた。
自分はずっとお料理ばっかりしていて、立ちっぱなしのせいか足が太い。
下半身太りでやや猫背だ。
猫背なのは、背が高いせいかもしれないが、足取りもなんかドスドスしていて恥ずかしい。
「行こうか」
アレンが、少し水滴の残った顔で言った。
非の打ち所の無い綺麗な顔だったので、照れくさくて慌てて目をそらす。
「何?」
「い、いえ」
どぎまぎする。
正直、容姿のレベルが違いすぎるので、相手にされないのは分かっているのだが。
「晴れたな」
「はい」
家を出た瞬間、目の前を大きな大きな、草食恐竜のような生き物が横切ってゆく。
前だけを見てゆっくりと、足音も無く滑るように遠ざかって行く、恐竜。
「アレ、初めて来た日も見ました」
「運搬用のパピルだ、この村を超えて、山を越えて、向こうの国へ行く隊商のパピルだと思うよ」
「へえ、何を乗せているんですかね」
「多分ガラスの加工品だ」
そう言って、アレンが坂道を下り始めた。
「勇者エドワードによって、ガラスの原料が採掘される山に巣食った悪竜は退治された。エルドラのガラス産業は息を吹き返し、活発な輸出が再開された所だ」
「へえ」
あの大きな恐竜、ガラスを積んでいるのか、と思う。
不思議なくらい足音がしない。
ふわふわするすると遠ざかり、あっという間に小さな姿になってしまった。
「今は亡き聖女閣下といい、勇者エドワードといい、カイワタリは凄まじい力を持っている事が多いと聞くが、君は普通だよな」
口を開けてパピルを見送っていたので、慌てて少し先を歩くアレンに追いついた。
「え? 凄い力ですか?」
「うん、一太刀で竜の首をたたき落とし、竜が放った、最期の呪いの炎を薙ぎ払った力。精鋭の一個中隊をしのぐ力だ。戦の神に等しき力と讃えられえているよ」
何となく解ってきた。
この人は、『竜殺しの勇者エドワード』の話をしていると、元気がなくなってくるのだ。
ケンカでもしたのだろうか。
「…………」
「…………」
アレンと並んでとぼとぼ歩きながら、目の前に広がる畑を見つめた。
気持ちがいい、澄み切った空気だ。
ぴいぴいと言う鳥のような声がし、大きなモココとしか表現出来ない足蛇が、軽やかな足音を立ててすれ違う。
モココは吠えて叫んで騒がしいけれど、大人の『足蛇』はほとんど吠えないのだな、と思う。
そう思い、黒みを帯びた緑の鱗の足蛇と、騎乗した裕福そうな男性を見送った。
「あの、ハーマンさんちのモココは、まだ鱗が明るい緑ですよね」
「そうだね」
「子供だからですかね」
「うん、成熟すると黒っぽい鱗になる。大人の足蛇はよほど嬉しいか、悲しいか、怒っているかでなければ吠えない。ああしていても静かなものだろう」
アレンがそう言って、気を取り直したように微笑んだ。
「はい、そうですね、モココは本当に子供なんですね」
「ああ」
可愛いとは思えないが、幼くて無邪気とは思えるようになって来た、かも知れない。
そのまま無言で歩き、ダンテさんのお店を通り越して、屋台村のような場所にたどり着いた。
更に奥には果物を積んだり、魚を並べたり、よく分からない加工品を置いた出店が所狭しと並んでいる。
「うわぁなんだろ、アレ、ファルレと虹魚は見た事あります。あと優し芋と癒し豆と、麦かな? 何麦でしょうかね?」
首を伸ばして市場を覗き込む自分を見て、アレンが吹き出した。
「本当に、食材に興味津々なんだな」
「はい!」
「いいことだ、自分の職に関する事で、好奇心を持てるのは。あの店に入ろう」
軽く腕を引かれ、一瞬ドキッとした。
エスコート馴れなど、してない、自分。
いちいち反応してしまい、顔が熱い。
「踊り麺が美味かったんだろう? ここの屋台の踊り麺もなかなかだぞ」
そう言って、アレンが何やら屋台のおじさんに話しかけた。
何とかを大目に、と言っている。
野菜多め!油少なめ!みたいなオーダーだろうか。
聞いた事の無い名称だったのであとで確認しよう。
「わあ、この麺は上下に踊ってますね」
「麦粉を練る時の方向が違うんだろう。ダンテさんの所の麺は回転するように練っているんだ」
「へええ、アレンさんもお詳しいんですね」
「雑学の範囲だよ」
アレンが淡い笑みを浮かべた。
少し元気になったように見える。
透明で塩ラーメンの汁みたいな色を下スープの中で踊る麺を、フォークで掬って口に運んだ。
「お、美味しい!」
思わず叫ぶ。
やっぱり自分はラーメン大好き人間だ。
マクロビオティックも素晴らしいが、ジャンクフードも捨て難い。
この散らしてある赤い花びらと、緑の刻んだ野菜は何だろう。
具にはジャガイモみたいなホコホコした野菜も入っている。
それが、ほんのり油の乗った、鳥ガラスープのような汁の味が沁みていて、最高に美味しい。
ポトフラーメン、とでも言うべきだろうか。
このスープの出汁は何なんだろう。
「おいし、おいしーです、麺が太い、きしめんみたい、おいしー」
「ふっ」
アレンがまた、ちょっとだけ笑った。
「今日は受容芋があったから、具に足してもらった」
「ジュヨーイモ」
始めて聞く名前だ。
「自虐的な人が、自分を受け入れられるようになる成分が含まれていると言われている。今の僕にぴったりだ、はは」
「へええ」
こっそりメモ帳を取り出し、『じゅよう芋、自虐的な人に効く』と書いてポケットにしまう。
じゅよう……受容だろうか。多分その字で合っているだろう。
「おいしいですね、この芋。自虐に効くなら昔の私に食べさせたいです」
本当に、食べさせてあげたい。
手のつけられない不良少女で、どうせ誰も拾い上げてくれないんだと怒り、暴れ回っていた高校生のナナに。
それから、『学歴も無いし、人生終わってる』そう思い込んで、仕事も投げやり、生活も投げやりで、彼氏と毎晩遊び歩いていた20歳くらいのナナにも。
そのまま黙々と踊り麺を啜り、木のボウルを片付けて、アレンに頭を下げた。
「ごちそうさまです、あの、じゃあ、行ってきます」
「うん、そうだ、役人に会ったら、エドワードがどうして居るのか、もと医技武官のアレン・ウォルズが尋ねていたと伝えて、聞いて来てくれないかな」
「はぁ」
医技武官って何だろう。
お医者さんの事だろうか。
「あの、一緒に行きます? お暇だったら」
「えっ」
アレンが身じろぎした。
何でそんな怯えたような顔をするのだろう。
「別に一人で来いって言われてないですし」
「…………」
アレンが白い顔で俯き、何かをしばらく考えていたが、そのままの姿勢で小さな声で返事をした。
「そうだな、そうしよう。27にもなって度胸が無いな、僕はやはり小さな人間だ」
 




