第1話:あれ? ここはどこだ?
バイト先の店が今日で潰れた。
ナナは足元の石ころを蹴った。
見上げた月は仲秋の名月だ。
鏡の円盤みたいにピカピカ輝き、豆電球のように夜の街を照らしている。
——はぁ、新しいバイト先を探さなきゃ。
溜め息をつき、その言葉を飲み込んだ。
マクロビオティックのレストランは、サラリーマンにはウケなかった。
ランチの女性客はいっぱい居たけど、夜の部のお客さんは少なかったから、潰れてしまったのだ。
店長も社員さんもお客さんも良い人ばかりだったが、とても残念だ。あのお店は、山盛りのご飯に、肉を焼いたおかずをランチで出す店に駆逐されてしまった。
「みんな、昼食メニューで1000キロカロリー超えって、食べ過ぎだよー。成人病になるよ。しかも野菜はレタスだけとか!」
無念を込めてブツブツと呟く。
おじさん達も肉や炭水化物ばっかり食べてないで、野菜を取るべきだ。
コレステロールが上がりすぎて、血管が詰まる危険性が高まるのに。
「ん?」
携帯が鳴ったので、チュニックのポケットから取り出した。
専門学校時代の友達、健太郎からメールが来ている。
駅ビルに入っているケーキ屋さんで、パティシエをしている男子だ。
自分の同期の中では出世頭だろう。
地方紙にも「イケメンパティシエ」とか言って顔がのったし。
メールには、お前も早く定職につけよ、と書いてあった。
「むぅぅ、またアイツは難しい事を言いよって」
自分は料理が好きで、いつか自分のお店が欲しい。
だが、個人レストランの寿命の短さに怯んでしまい、チェーン店の強さにもまた怯んでしまい。
それで、『勉強』なんて言い訳をして、色んなお店を転々としているうちに、二十五歳になってしまったのだ。
フリーターの人生は厳しい。
これからも、厳しいだろう。
仕事は絶対遅刻せず、毎日真面目に、必死にやってきた。
でも、フリーターではやはり評価されない。正社員のケンちゃんからみたら、ちゃんとしていないらしい。
仕事に貴賎はないと言うのが建前だけど、そうじゃないのが現実なのだろうか。
だとしたら、亡き祖母には申し訳ない話だが。
確かにフリーターだが、まだ修行中だ。
それに調理師免許は持っている。
内心むくれたまま歩いていたら、思いっきり何かにけつまづいた。
「わあ!」
高価だった新しい携帯が、手を離れて飛んでいく。
空中キャッチする余裕も無かった。
そのまま体がアスファルトの地面に叩き付けられる……と思ったら、そのまま、地面を突き抜けた。
「?!」
足首を掴まれたまま、体がぐるん、と回転するような感じがして、歯を食いしばる。
「何……?」
転んでいない。どこも痛くない。
我に返って、呆然と空を見上げた。
明るい、白い雲がプカプカ浮いた空が目に飛び込んで来る。
「あれ、いつの間に昼になった?」
足元を見た。
優しい色合いの草原がどこまでも広がっている。
「え? え?」
キョロキョロと辺りを見回す。
牧場なのだろうか。赤い屋根の建物が見えた。それから木で出来た柵に、なんかよく分からないモコモコした生き物。
あれは羊だろうか。でもあんな綿の塊みたいな羊、見た事がないけど。
「何? 何が起きたの?」
さわさわと風が吹き、お団子にした頭のほつれ毛をさらってゆく。
いい天気で、気持ちのいい風だった。
高原にいるみたいに空気も澄み渡っている。
でも。
——ここはどこだ……?