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紅の絆  作者: 伊代
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情炎 - 菊

「それくらいで死ぬわけがないだろう、愚か者」


 死ぬかも、と呟いた菊の頭上から、間髪入れずに低い声が降ってきた。

 一体誰か―――などと、見上げなくても声だけで分かる。

 自分が幼い頃から変わらぬ声、出会った時とまるで同じ台詞―――。

 目線を上げれば、あの頃と変わらぬ男の姿。


(どうして……? もう会わないって言ったのに!!)

 戸惑う菊を余所に、男は平然と菊を見下ろす。


「……と、言いたい所だが、直に死ぬだろうな。その症状―――恐らくマシムに咬まれて毒が回っている。すぐに解毒すれば助かるやもしれぬが、このような所でじっとしておれば血に飢えた獣に食われて終いだ」


 淡々と無情に言い切る男の美しい顔からは表情は読めない。


 マシムとは強い毒を持つ蛇だ。

 水辺の藪に居る事が多く、村でも数年に一度咬まれて死ぬ者がいる。

 ……このまま死ぬのは嫌だった。


「お願い、助けて……」


 男には不思議な力がある。

 彼はいつも自分につけた傷を跡形なく消し去っていたのだから、解毒くらいわけもないだろう。

 だが男はぴくりと眉を上げると、吐き捨てるように言う。


「助ければ、おまえはあの男の元へ戻るのだろう?

 愛しい娘が他の男に奪われるのをみすみす手伝ってやる気にはならぬ。

 ここで見殺しにすれば、誰にもおまえを奪われずに済む……永遠にな」


 男はそれだけ言うと、今度は表情を一転させ慈しむように菊の頬に手を添える。

 瞳に見え隠れする狂気―――。


(何を、言ってるの……?)

 菊はこれ以上なく混乱する。

 優しく頬を撫でるこの男は、自分のことを愛しているとでも言うのだろうか……?



 最後に会ったあの日、男は「もう会いに来るな、もし来れば血を吸い尽くして殺してやる」と言った。

 長い年月を共に過ごし、もっとも近くに感じていた男の脅し文句を、そのまま信じたわけではない。

 ただ、何らかの事情でもう自分とは縁を切りたいのだろうということは分かった。


 男が何者だろうと、無条件に慕っていた。

 今となってはその感情が肉親に向けるものだったのか、異性に向けるものだったのかは分からない。

 だが、とにかく好きだったのだ。

 だから一方的で突然なその別れに、見捨てられた―――裏切られたと、そう思ったのだ。



 そこまで思いだした菊は、ある事に気づく。

 今の言葉とその時の言葉を併せて考えると、符号するのはただ一つのように思える。

(つまり……「殺す」っていうのは、この人にとっての愛情を意味してる……?)

 そう思い至り、知らずぴくりと震えた。


「……ふ、そう怯えるな。ほんの冗談だ」

 男の目が不意に正気を取り戻す。が、冗談を言っているようには到底思えず菊は益々身を硬くした。

 そんな菊の様子を分かっていながら、共に過ごしたあの頃と変わらぬ笑みを浮かべる男。


「助けて欲しいというのならば、代償をもらおうか」

「わ、私……何もあげられない…………」

「良い。おまえには我の名を覚えてもらおう。それが代償だ」

「え?」


 名前を覚える事が何故代償になるのか―――それを考える間も与えず、男は突然噛みつくように菊に口付けた。


 驚く菊が動けないのを良いことに、容赦なく吸い上げ舌を絡ませる。

 その合間に小さく聞こえたのは「空耶くうや」という三文字。

―――それが、この男の名だった。



 やがて男は満足したようにニヤリと笑う。

「我の名を、忘れるな」


 そう言うと、そのまま唇を足首へとずらし血を吸い出した。


 慣れ親しんだ、あの甘やかな感覚は一切ない。

 だが、足の痛みや身体の痺れが確実に薄れてゆくのを感じていた。


マシムは架空の生物です。

モデルはもちろんマムシですが、それよりも毒が回るのが早いという設定です。

紛らわしいですね……。

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