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兵主部弐 ビブロフォビア─ひょうすべの日本史─  作者: ずずつすず
罔象の水辺
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一 難破船の船出

  その五、まつろわぬ民

  

 

 

 徐福が、藤原刷雄の邸宅を訪ねたのは、四日後のことだった。

 雨が降る。

 親王禅師の呪詛は阻んだものの、天意は別だ。

 天が望むーーーこのひずみ(歪み)と無理の上に建てられた、

 無理を通して道理を引っ込めた都を、許さない・・・そう言っているかのように。

 

 あるいは、これこそがお前たちは妥当なのだと、あざ笑い、追認するように。

 

 呪いがなくとも水位は増し、ひたひた、水害の危険が増す。

 (む?)

 刷雄の家は、軒先に、一基、吊り灯籠が下がっている。

 そこに点っている妖火が、雨天の下、

 チロチロ、

 明滅する。

 刷雄は、目を細めた。

 

 あの夜、慟哭し、悩乱する徐福を、刷雄も世道も、声一つかけられず、見守ることしかできなかった。

 鬼にーーおぬ(隠)になる。

 死者ですらない、歴史から忘れ去られたものにーーーー

 ひょうすべが、まったく、既往を見失い、輪郭をなくした、わけのわからぬものに。

 『(び、貧乏神か)

 え、

 へ、

 へへへへ。

 ヒョー、という、笛のような鳴き声とともに、そんな、照れたか、こちらにおもねるかのような、なさけない笑いを、しまりのない顔に浮かべ、刷雄をのぞき込んだ。

 そのみじめさ、

 いたたまれなさ、』 

 

 その宿命と向き合った男は、剥落し、瓦解し、あらわになった空虚の限りから、声を放った。

 老体が、叫びを形作れなくなっても、まだ、かすれた声に、悲痛で凄愴なものを響かせつづけていた。

 それさえ絶えると、

 蹌踉と、

 力なくーーー

 亡者のように、悪所のいずれかへ、消えた。

 かける言葉はなかった。

 してやれることなぞ皆無だった。

 徐福が向き合ったものは、それほどまでに、大きい。

 人も、その矜持も、その連なりもーー笑い飛ばす。

 

 笑殺する。

 

 蚩尤の名は、あざわらう(嗤う)にも、通じるのに。

 

 人も、神もあったものかーーそのむすび(産霊)と睦み合いの、連綿たるあざないの果てに結んでしまった悪縁が・・したたかで辛辣で、生贄を求めるなにかが、極悪な陥穽のように、彼らを葬ったのだ。

 

 「結ばれぬ」

 とでも、せせら笑うかのようにーーー

 

 お前たちの営為も、尽力も、切望も。

 ・・歴史も。

 

 どうして、かくも獰悪なスマイルが立ち現れる。

 なんで、かくも救われぬ様相が牙を剥く。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ーーーそううそぶくなにものかが、伏在しているかのように!

 

あの老人は、そういうものと、向き合ってしまったのだ。

 人為のーーー懇請の限りが・・・しょせん、空約束に過ぎぬのだと謳うなにものかに。

 

 

 吊り灯籠の明かりの揺らめきは、陰陽の達者から見れば、示唆に富んでいる。

 刷雄は、立ち上がる。

 

 降りつづけている。

 (とも)もなく、差し掛けられる傘とてないまま、老人は、家を出た。

 

 雨が、ゆっくりと、狩衣を濡らしていく。

 邸宅の前の通り。その向こうから、ゆっくりと、近づいてくるものがいる。

 昼日中ーーーではあるものの、厚い雲があり、暗い。

 それでも、全身に真紅の道服をまとっているその人影は、見まがうことがない。

 高齢ながら、結構な長身で、目尻と鼻の先が垂れた、特徴的な・・

 秦氏の風貌。

 徐福が、杖を手に、刷雄に、近づく。ずいぶん長い間、雨を吸っているのだろう。

 濡れ鼠の道服は、泥や木枝で、ずいぶん汚れていた。

 老人の眼窩は落ちくぼみ、そこに宿る目の光は、おそろしい、というよりも

 ・・ひとが、巣穴の奥の獣のような目の色をすべきではない。

 刷雄は、清潔なサラシが巻いてある、おのれの右手を掲げる。

 「良うなった。おぬしの仙丹が効いたらしい」

 白髪を雨で額に引っ付け、仙人、というより、野人じみている老人は、ゆっくり、かぶりを振る。

 「金丹となれば、センセキ(仙籍)に連なることさえ叶うーーまさか、鬼籍に近づくことはない」

 「礼を言うぞ」

 刷雄が、そっと、言った。

 「おぬしのーーーおぬしらのしてくれたこと、すべてに対して、じゃ。ひょうすべよ」

 「・・・」

 「今となれば、ご不浄の女神を招来する至当より、あるいは、こちらの方が良かったのではないかと、そう思うことさえあるわいーーーいや、良かった、というよりも」

 刷雄は、適当な言葉を探す。それは、結局、ひとつしかなかった。

 「それこそが、適当ではなかったのか、と、のう。妥協の折衝のと、いろいろな都合はあるものの、それこそ、この、都に合う条理」

 息を吐く。

 「適当にして、神道なのだと」

 「タオ・・・」

道士が、口にする。

 「図書頭」

 この、亡霊のような、打ちひしがれ、岸辺に打ち上げられた浮木のようになり果てた男が、言った。

 (いや)

 刷雄は、かすかに目を(みは)る。浮木ーー流木、

 そうではない。

 人・・人の手・・・人工の・・・

 同じ木切れでも、ただ、育つがまま、流されるがままの、自然木などであるものか。

 同じ、浜辺に打ち上げられた一片に過ぎないにしてもーーそこに見出せるのは、かつて、船底を担っていた、板きれだった。

 難破船から剥離した、ただの破片になってすら、浮こうとしている・・・荒波に揉まれながら、

 目的意識に満ちていて・・

 

 誰かを、向こう岸へ送り届けようとしている。

 

 「頼みがある」

 

 

 



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