9.妃那の荒れる心
授業が終わり、ホームルームの自習時間。
いつもなら鉛筆を走らせる時間だが、今日は机に突っ伏している。
教室のざわめきが遠く、空気だけが静かに揺れる。 彼女の肩が小さく震えていた。
呼吸が浅く、手元のノートは無造作に置かれている。
新田は書類整理に気を取られていたが、ふと目に入る。
“ああ、今日は何も言わずに過ごしているのだな”
胸がひりついた。
声をかけるべきか、迷う。
職員室で、新田は書類に目を落とす。
「授業態度は問題ない。提出物も遅れていない」
でも昨日のホームルームの光景が脳裏をよぎる。
“見えないしんどさ”を、どう支えるか。
「本人の負担を増やさず、でも支える方法…」
カウンセリングの日までの一か月を、心配と不安で埋めながら見守る覚悟をする。
帰宅後、母親が台所で声をかけてくる。
「今日は、勉強どうだったの?」
気を使って答える。
でも母の質問は、重く、期待と苛立ちを伴っているように感じられる。
言葉に詰まり、胸の奥が締めつけられる。
部屋に戻り、ノートの隅に小さな傷をつけるように手首をなぞる。
痛みが、言葉にできない感情を少しだけ和らげる気がした。
涙も出ない。声も出ない。
ただ、誰にも見せない行為が、少しだけ心を鎮めた。
ある夜。
私は母に軽く叱られ、言葉が胸に刺さる。
「もっと計画的にやりなさい」
反論もできず、手首に目を落とす。
ノートの隅で小さな傷をつける。
痛みで少し現実感が戻る。
でも、罪悪感と孤独感は消えない。
生きているのがしんどい。受験から、親から、学校から、全部から逃げたい。
放課後の教室。
机に向かいながら、私は小さく声を漏らす。
「……あの、実は、何度か手首を傷つけてしまったんです」
楊は動揺を隠し、静かに聞く。
「そうか……言ってくれてありがとう。危険な状態か確認したいけど、今は無理に話さなくていい」
私は少し肩の力が抜けた。
誰にも見せられなかった気持ちを、たった一人の信頼できる大人に吐き出せたからだ。
楊は、どう対応するか頭の中で整理する。
職員室。
新田は楊に話しかける。
「天宮の件ですが、少し話を聞かせてもらえますか?」
楊は慎重に言葉を選ぶ。
「実は今日、本人から、手首を傷つけてしまったことがあると聞きました。」
新田は一瞬言葉を失う。
「……本人からではなく、あなたから、ですか」
「はい。本人が安心できる相手として、私に話してくれました」
新田は深くうなずき、胸の奥に小さな焦りと責任感が生まれる。
“直接聞いていない”ことに、少し戸惑いながらも、支えようという決意を固める。




