第7話 今なら鳥にもなれる(シア視点)
「ったく。アイツ、サボりやがって。」
そう言って、淡々と子供達の縄を切っていく彼を見ていた。
「おねーちゃん。どうしたの?」
「ん?なんでもないよ。」
泣き疲れて寝てしまった子を起こしてしまったらしい。比較的綺麗な床に寝かせて、そっと背中を撫でてやる。
「安心して、おやすみなさい。」
「うん…」
うとうと、と夢の世界へ向かった子を見守りながら、彼との出会いを思い出した。
────
ルイゼンフォーグ伯爵家。
長子のアナスタシア・ド・ルイゼンフォーグ。
これが私の役職だ。
バシッッ
「お嬢様!こちらは先ほども教えましたが!?」
腕を教鞭で叩かれる。
「…申し訳ございません。」
「ほんとうに、私はあなたの事を思って言っているのよ?
伯爵家の人間がこんなでは──」
ここは教えられていない。ただの八つ当たりだろう。
この教師は父の愛人らしい。真実の愛とやらをしているそうだ。
そして恋している人を奪った母を憎んでいる。しかし、母の実家は位が高いため、教師の立場を利用して子供に狙いを定めたらしい。
叩かれた腕がじくじくと痛む。アザが残ると不味いのか手当てはしっかりとされる。
(呆れたものよね。)
父も父で、娘の教師を自分の愛人に任せて、報告のため部屋に招く。
そして、それを母は察している。私が過激な体罰をされていることも、自分の夫が自分に気がないことも。全て見て見ぬふりをしている。
そんな父と母のせいで私に皺寄せがいった。虐めても、お咎めがないことが分かり、教師の体罰は助長していった。
「仕方がありませんね。本日はここまでとします。」
「お越し頂き、ありがとうございました。」
そう吐き捨てて、足早に去っていった。父に報告する時間が惜しいのだろう。
誰も居なくなった部屋から窓を眺める。
「キャー!」
「あっはは!」
外から子供の遊ぶ声が聞こえた。
「…いいな。私も、思いっきり走りたい。」
“貴族令嬢は優雅にお淑やかに歩くものだ。みっともなく、走り回ったりしては行けない。”
そんなくだらない価値観に縛られて、生きてきた。そして、これからも縛られていくのだろう。
(…考えても仕方がない。)
小さい時は、貴族は立派で人を引っ張る存在だと思っていた。自分が貴族であることに誇りを持っていた。
でも、現実は違った。
高貴な自分に殺されるのだから、有り難く思え。そう言って親が召使いを剣で切り付けていた。それを見た時、初めて貴族という生き物が化け物であるということに気がついた。
貴族は見栄のために宝石を重ねて、虚勢のために言葉を重ねただけだった。
今は自分が貴族であることに、吐き気を感じる。
「もう、逃げたい。」
ポツと言葉が溢れた。
ふと、ある物が目に入った。
薄汚れたローブだった。どうやら、古くなったから捨てられるらしい。
(…そうか。)
気がついたら、それを盗んで走り出していた。
長い長い廊下を抜け、屋敷の隅に着く。
しかし、そこには見上げるほど高い塀があった。
(どうしよう…超えられそうに無い…)
「あ!」
近くに背の高い木があった。
(これなら。)
ゴツゴツとした部分に足を置き、幹を掴む。
ある程度登ったところで、塀を見る。
手が震える。自分の身長よりずっと高い場所にいる。
落ちたらひとたまりも無い。
それでも、と思いっきり飛んだ。
(届け!!)
一瞬、自分が鳥になったと思った。今ならどこにでも行けるだろう。
「い、行けた…!」
なんとか塀に捕まる。
バクバクと心臓がうるさい。身体の熱が上がるのを感じる。
(できた…できたんだ!!)
後ろを振り向くが、誰もいない。まだ脱走には気づかれていないらしい。
(今なら、行ける。)
そこからは無我夢中で進んだ。塀を抜け、角を曲がり、道を走る。
何も考えていない。食料や商品を買うときに必要な“お金”も持ってきていない。
(それでも、それでも!!楽しい!)
美味しそうな香りや、活気に溢れた声。全てが輝いて見えた。
そうしているうちに、道に迷ってしまった。
馬車で通った事はあるものの、徒歩でなんて初めてだ。
大通りに戻ろうと、あちこち歩いてみたが一向につく気配はなかった。
周りを見るも、薄暗く不気味だ。
「なあ?お嬢ちゃん、俺らが案内してやるよ。」
「いえ、結構ですわ。」
明らかに近づいてはいけない人だ。
断り続けていたら、相手がナイフを出した。
「そう言わずにさ…な?」
「や、やめて。」
今まで、刃物を突きつけられる事はなかった。人生で初めて命の危機に侵され、恐怖で身がすくむ。
とん、
壁に背が当たる。追い詰められてしまった。
(どうしよう、どうにか、)
視界の隅に、人が見えた。
「あ!」
「た、助けて!!」
一斉に男たちが振り向く。
(うそ、)
焦りあまり、どんな人に助けを求めたか確認していなかった。
そこにいたのは自分と同じくらいの男の子だった。
男達が瞬時に目配せをして、1人があの子供に走り寄る。
その子も逃げようとしていたが、大人の方が速かった。一瞬で追い詰められ、壁に背を付けた。
(ごめんなさい…!私のせいであなたまで….!)
ジリジリと後ずさっていたが、もう逃げ場はない。
(ああ、ついに。ここで終わるのね。)
死を覚悟し、ゆっくりと体の力を抜いていく。
急に、手を掴まれた。
「早くいくぞ!!」
「えっ?」
あの子供だった。
引っ張られる形で走り出す。
「待て!!」
後ろから怒声が聞こえる。
「先入れ!早く!!」
走っている先には壁だ。ただ、そこに小さい穴があった。
彼の意図を理解し、急いで潜り込む。
すぐに彼も入るが、同時に男の手が伸びた。
(まずい!!)
反射的に手を掴み、引っ張る。
伸びた手が彼の服の裾に触れた。
しかし、掴む前に少年を引き込む。
(よ、よかった…)
ギリギリで避けることができた。
全身砂だらけの彼はすぐに私の手を掴んだ。
「っ、いくぞ!」
そこからは、全力で走った。
息をあげながらも、前を進む背中を見た。
(…今は、今だけは。
貴族でなくただの子供として振る舞えている。)
シアはカルロ達と過ごす時間が幸せだったんでしょうね。




