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001 支援術士と逃亡

「オラオラァ、待ちやがれこのくそ野郎がァ―――ッ」


 野太い怒号を背にして、俺は走り続ける。月の光を頼りに、息を切らしながら夜の森を逃げ惑うその姿は、きっと情けないものだと思う。

 実際俺―――根室一鉄(ねむろいってつ)には、この上なく情けない人間だという自覚があった。


 まず、俺は過去に、トラックに轢かれて死ぬという経験をしている。不注意だ。フラフラと見通しの悪い住宅街の交差点を歩いていたせいで、近づいてくる車両に気づくのが遅れた。

 ではなぜ今健脚をばたつかせているのかと言えば、それはひとえに、神様のおかげだ。


「根室一鉄よ。お前に、異世界転生者として生を謳歌する権利をやろう」


 地母神アーシア。ヴェルサイユ宮殿を彷彿とさせる優美で豪華な庭園に、俺の魂を召喚したその女性は、自らを女神と名乗った。

 彼女は俺に異世界転生の機会を与えてくれた。俺は20代半ばのサラリーマンではなく、18歳の冒険者、イッテツ・ネムロとして、この世界―――魔世(まぜ)ソルジアに生を受けた。魔世(まぜ)というのは、魔力の在る世界を指す言葉として神が使用しているものらしい。逆に、俺が住んでいた地球は無魔世(むまぜ)と呼ぶのだとか。


 女神は俺に、この世界の公用言語を理解し、使用するための知識と、冒険者として生き抜くための職業の才を与えてくれた。

 職業は任意で選ぶことができたので、俺は自分が最も後悔しないと判断したものを選んだ。

 支援術士。自他の能力を向上させる特殊な術を使う職業。ゲーム的に言えばバッファーだ。

 この職業を選んだ理由は、女神の前で俺が述べた言葉が明瞭に説明している。


「俺、戦うの怖いので、この”支援術士”とかいう職業で支援に徹します」


 女神からは、それならば治癒士という選択もあるぞ、と提案されたが、それは断った。治癒士なんて、実質医者だ。他人の命を握るなんて、俺には荷が重すぎる。

 支援術士は、元からある能力を向上させるだけなので、命を握るというほどではない、と思う。多分きっとそのはずだ。


 しかしながら正直なところ、俺はこの選択を大いに後悔している。肉弾戦を行う武闘家や騎士は論外としても、魔術師くらいにはしておくべきだった。


 端的に言って、冒険者のコミュニティにおける支援術士の扱いは、奴隷同然だった。

 魔力を消費して支援術を行使し、筋力や耐久力の強化を行う。もしくは、魔術師が行使する魔術の増幅を行う。しかし、それ以外にはなんの役にも立たない。この世界に存在する魔物の中で最弱として知られるウーズですら、一人ではろくに倒せやしない。

 俺は冒険者としてこのソルジアの大陸南西に位置するギン王国の王都、サンヴァレ―に降り立った後、都の南東部にある冒険者ギルドで冒険者登録を行い、いくつかのパーティに参加して魔物との戦闘を経験した。


 そのすべてにおいて俺は、人ならざる扱いを受けた。

 支援術を行使するだけの、便利な道具。あるパーティでは、最低限の食事と寝床だけを与えられ、物置小屋に監禁される日々を送り、あるパーティでは、両腕と両足を金具で拘束され、奴隷のように引きずられる日々。

 

 支援術士は自他に術を付与できる。なら、自分を強化すればいいと思うかもしれない。実際のところ、やろうと思えばできるのだろう。

 だがそれは、神が禁忌として定めた行為だった。

 支援術は、付与する対象の器に釣り合った内容を行使しなければならない、という原則がある。

 この器とは、支援術独自の概念であり、これを超過した術の行使は、対象の精神や肉体を崩壊させるという。


 器は鍛錬によって大きくなる。しかし支援術の使い手は、どれだけ肉体や精神を鍛えても、その器が大きくなることはない。

 つまり、自分に付与した支援術は、自身を崩壊させる、ということだ。

 支援術士は人口が少ない。にもかかわらず扱いが酷いのは、かつてとある支援術士が、禁忌を破って自己に支援術を行使した結果、化け物となって国を一つ滅ぼした、という史実の影響だ。


 支援術士の力はおぞましいものであり、暴走しないよう厳重な支配を施さねばならない、という認識が大陸中に蔓延している。国の法に一切の定めがないにもかかわらず、支援術士の扱いを奴隷同然のものとしたのは、史実を前提にした愚かしい差別の空気だった。


 この支援術についての基礎知識は、サンヴァレ―の北部に位置する王立図書館にて得たものだ。この時も、所属パーティの監視をどうにか抜け出すことに精一杯だった。

 女神は何も教えてくれなかった。真顔で、俺が最も悲惨な選択をする様を眺めていたのだ。


 おかげで、俺はパーティを無言で抜けるのが得意になった。パーティの所有する家や宿舎から脱走しては、冒険者としての活動地域を変えていった。最初のうちはサンヴァレー。そこに居られなくなると、王国辺境の街、アルミエル。そこもダメとなると、国境に面する森林地帯を臨む、トランの街へと。

 自分では魔物を倒せないのだから、どれだけ扱いが酷かろうと、パーティ探しを続けるしかない。少しでもマシなパーティを求めて。そんなパーティは無いのかもしれないが。


 そして今俺は、そのトランの街の酒場で出会った冒険者パーティ―――狼の杯のメンバーから、脱兎のごとく逃亡中。

 とにもかくにも、この異世界にきてから俺は、逃げてばかりの人生を送っている。今に始まったことではない。前世でもそうだった。さすがに、日本でこんなにも息を切らして逃げた経験はそうあるものではないけれど。


「この森を抜けたら国境かあ、お隣の帝国は入国審査が厳重だと聞いたし、どうすっかなあ」


 走りながら独り言ちるくらいには、まだ精神に余裕がある。もしくは余裕があるふりをして己を騙さないといけないほどに、追い詰められているだけかもしれない。

 いずれにしても、場数を踏んで逃亡に慣れていた俺は、油断していた。


「おァッ」


 視界が激しく揺らぐ。迫りくる地面に、とっさに手をついた。石ころに躓いて、頭から転倒したらしい。口に砂が入って気持ち悪い。


「見つけたぞ、囲え―――ッ」


 追手の気配が複数、俺の周囲を囲う。起き上がった時にはすでに、逃げ道は狼の杯のメンバーである、血の気が多い男達に塞がれていた。

 左目を眼帯で覆った大男が、一歩前へ。このパーティのリーダーだ。その黒い布とは対照的に、月の光を反射する赤い右の瞳が、鋭くこちらを射抜く。


「非力なお前がどうやって鉄枷を破壊したんだ。おかげで散々追い回す羽目になったぜ」


 男はわざとらしく腕を振り、破損した鉄枷を見せびらかす。それはついさっきまで、俺をトランの街の物置小屋に留めていた鉄枷だ。

 確かに俺は非力だ。だが、支援術は物にも付与できる。器さえあれば何にでも。

 図書館で閲覧した書籍によれば、どうやら魔物にも付与が可能らしい。が、今の俺には魔物の器が見えない。


 ともあれ、その器にあふれんばかりの耐久力向上術を付与することで、俺は鉄枷を破壊した。支援術の釣り合いの原則を応用したのだ。

 そういう使い方ができるなら、パーティメンバーに危害を加えることだってできるはずだ。だが、能力的にできるからといって、社会的にもそうとは限らない。そんなことをすれば、俺はお尋ね者になってしまう。

 何より、他人を傷つけるのが怖い。俺は軟弱者だ。こんな状況ですら、暴力の行使に恐怖してしまうくらいに。


「ま、まあ、非力な人間がたまたま鉄枷を壊すことも......あるのかもね」

「なめてんのかお前は。この状況でヘラヘラしやがって。胡散臭ェ支援術士がよォ」


 誤魔化すように笑う俺を、男は不満げに眉を寄せて睨みつける。

 なめているのではない。こうでもしないと、俺のやわな精神が持たないだけだ。


「まあいい、同じ轍はもう踏まねえ。今回はこれを用意した」


 男は破損した鉄枷を地面に投げ捨てると、懐から別の鉄枷を取り出す。

 赤紫色の、禍々しい光沢を放つそれを目にし、俺は息を吞んだ。


「隷属の鉄枷だ。これは悪魔の力が宿っている貴重な代物なんだぜェ。どうあがいたってはずせやしねえ」


 悪魔は、この世界における非常に格の高い生命体だと聞いている。その力を宿すとなれば、いくら支援術を付与しようが、破壊することはきっとかなわないのだろう。

 それどころか、魔物の器が見えないのと同じように―――この鉄枷の器もまた、俺は認識できない。もしかすると、支援術士としての力量、熟練度のようなものが、あるのかもしれない。

 そして、この状況であがいたところで、俺は肉付きのいいこの男達の包囲網を突破できない。むしろ、抵抗することでより痛い目にあう可能性すらある。痛いのはごめんだ。


 どうやら今度という今度は、ついに運に見放されたらしい。そう悟った途端、全身から力が抜けた。

 不甲斐なさに、ため息が漏れる。何も説明をしなかった女神に非がないとは言わない。しかし結局のところ、逃げ癖の抜けない己の情けなさが招いた、相応の末路なのだろう。

 抵抗することを諦め、両手を差し出した―――その時。


 雷のごとく、俺の眼前に一人の人間が降り立った。 

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