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辿り着いた井戸には、やはりまだぬえがいた。井戸に付けられた屋根に座って、日向ぼっこでもしているのか、うつらうつらとしていた。
「あれが……捕えます」
僕の後ろから風が吹いたかと思うと、セロが走り出していた。
「誰だ!?」
「遅いです」
セロはソーイングセットから大きな、木刀サイズの待ち針を取り出すとぬえの足元に投げた。
「逃げっ」
「残念。手遅れです」
屋根から飛んで逃げようとしたぬえだったが、その体はまるで何かに込まれているように固まる。
次に取り出したのは縫い針。その手元には糸が付いていた。セロは空間を縫うようにぬえの周囲を針で囲むと、一瞬でぬえを捕縛してしまった。
「……何が目的?」
糸でぐるぐる巻きにされたぬえが、僕たちを睨む。
「タイヨウ様から取ったサマリーを返してください」
「サマリー? あぁ、食べ物かと思ったから取ったのに、違ったから捨てたよ」
「どこに?」
「さぁ、わかんない」
どうやらぬえはこちらに協力する気はないらしい。そっぽを向いて態度も適当だ。
「思い出せないですか?」
「うん。無理」
「そうですか」
セロの声のトーンは変わっていない。はずなのに、無性に背筋が震えた。
セロがまたソーイングセットに手を入れた。取り出したのは、セロの主要武器であるハサミ。元になっているのは、布を裁断するハサミで、その刃は非常に重工に出来ていた。
「これでも思い出せないですか?」
セロは相変わらず、変わらない声のトーンのままそのハサミをぬえの首元に向けた。
ハサミの口を開けた部分、切る個所がちょうどぬえの首元に来ていた。
「返答次第では、分かりますね?」
ハサミが動き、ぬえの茶色く、ごわついた毛がぽろぽろと落ちる。
「分かった。降参だ」
ぬえはごそごそと、後ろ手に縛られた手を動かすと、背中からポロリと何かが落ちた。
「これは?」
セロが手に取ったそれは、小さな布で出来た巾着。
「あ、それ、僕たちがサマリーを淹れてた袋!」
セロはそれを聞いて袋を開いた。
「確かに。これはサマリーですね。ちゃんと持ってたんですね」
「ぬえも、死にたくはないからね。ほら、返したんだからこれ、外してよ」
「気を付けて。外した途端奪われるかも」
「ですね。このまま放置しちゃいましょうか」
「ちょっと! ぬえは返したよ? 外すくらいしてよ!」
「いえ。生憎危険な可能性は一パーセントでも排除したいので」
セロはそう言うと、ハサミで井戸の屋根を斬り落とした。
「ちょっと! やめ、助け!」
井戸に屋根ごと落ちていくぬえ。突然のことに呆然としていた僕だったが、慌てて井戸に駆け寄った。




