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扉の先、私たちを出迎えたのは、隻翼の天使の男が椅子に座って資料を読んでいた。短く切りそろえられた茶髪に、薄汚れた白衣。すこしズレた眼鏡が、よりそのずぼらさを強調していた。
「おや、お客さんかい? 珍しい」
落ち着いた口調で、呼んでいた資料を置く。その眼は好奇心に満ち、私たちの容姿を全身くまなく観察していた。
「タイヨウはどこじゃ」
「タイヨウ? ……もしかして」
男は思い当たる節があるのか、少し悩んだ表情を見せる。
「あの~戻ったんですけど」
私たちの背後の扉が開かれた。そこに居たのは、まぎれもないタイヨウだった。
短パン短ズボンの服に、どこか幼げな表情。両手で水の入ったバケツを持っており、足元には小さな水たまりが出来ていた。背中にリュックサックが無いことを除けば何も変わらない姿だ。
「タイヨウ!」
ツキが叫び、その懐に飛び込む。
「わわっ」
飛び込んできたツキを慌てて受け止めるタイヨウ。咄嗟の事で、バケツが落ちてしまう。重そうな音を立てて落ちたバケツから水が流れ出し、玄関をより濡らす。
幸いタイヨウはまだ外に立っていたから、室内は濡れていない。
「君に来客だよ」
「はぁ」
久しぶりの再会だというのに、その反応は薄い。むしろどこか困った様子だ。
「そこの彼、タイヨウ君? は記憶がないようですよ」
「そうなの? 私のこと、覚えてない?」
「すみません」
申し訳なさそうにするタイヨウに、ツキはぐじゃりと力が抜けてしまった。
「おっとと」
そのまま地面に落ちそうになってしまうツキをタイヨウが慌てて支える。
「大丈夫ですか!?」
「えぇ、少し取り乱しただけよ。多分リュックを無理やりはがしたせいで、ショックが起きてるのね」
落ち着きを取り戻したツキが予測を述べる。
「記憶を戻す方法はないんですか?」
「いえ、あるわ。むしろここで良かったという感じね」
「もしかして――いえ、不可能ですよ」
ツキの考えていることが分かったのか、男が口を出す。
「どういうことですか?」
「エデンの園の中心にある屋敷に住む大天使のサキュエル様は記憶をつかさどる天使なのです」
「あぁ、その天使にタイヨウ様の記憶を戻してもらうのですね」
「そうだ。分かってるじゃないか」
ツキは男を覚めた目で見下ろす。ツキは男が何をうろたえているのか分かっていないらしい。かくいう私も、方法が分かっているなら何の問題があるのかと思っていた。
「あそこは駄目です、やめておきましょう」
その顔は真剣そのもの。口元がきゅっと引き締めて、タイヨウの腕をつかんだ。
怒っている? いや、怯えているのだ。
「あそこで私はすべてを失ったのですから」




