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意識が離れる寸前、ハンドルから離れた手が掴まれた。
ひんやりと冷たい柔らかな手だ。
「ここまで来たのよ」
ツキ様は私の手をハンドルごと包む。
「そう、ですね……!」
私は身体に無理矢理力を入れて、ハンドルをより引き上げる。
高度計に記された数字が凄まじい速度で増えていく。
空気が薄くなるのを肌で感じる。フロントガラスには急上昇により霜が張っていた。
ハンドルが重くなる。まるで、巨大な空気の壁に当たっているかのようだ。
「もう大丈夫よ」
その言葉と同時に、ハンドルがふっと軽くなった。
霜の隙間から見えたのは、懐かしきエデンの園だった。
青い空の海に浮かぶ巨大な島には、豪華な入り口などはない。
島を一周ぐるりと囲う気休めの城壁があるだけだ。
有るのは天使が使う小さな扉だけ。外界からの客など想定していない。
ここは鳥すら飛ばない遥か上空なのだ。
飛行機を扉の近くに止め、木で出来た質素な扉を開けた。
懐かしくも、記憶が消えたせいか、何処か他人事のような町並み。
ツキ様は、私が立ち止まっていると、先へと一人歩いてしまった。私はその背中を慌てて追いかけた。
辿り着いたのは巨大な庭園。黒いアイアンゲートの前には二人の門番が立っていた。
「誰だ。ここは大天使サキュエル様の邸宅であるぞ」
鋭い眼光。その手に持った槍を交差させ、門を塞ぐ。
「ツキだ。サキュエルに言えばわかる」
「お前、大天使サキュエル様になんて口ぶりだ!」
門番は眉を細かく動かし、歯を強く歯ぎしりしその槍で思い切りツキを突いた。
「危ない!」
その突然の行動に、私は手を伸ばすことしかできなかった。
ツキは、その行動を見て避けることもせずただその場に立っていた。
「な、どうなってる」
もう終わったかと、思わず目を瞑ったが、聞こえてきたのは、門番の困惑したような声だった。
目を開けると、ツキは相変わらずその場にたっていた。門番の槍はツキを貫くことができずに、ツキのローブに当たって止まっていた。
「はやく、サキュエルを呼んでくれる?」
「し、しかし」
「三度目はないよ」
すぅっと声のトーンが下がって、周囲の気温が何度か下がったように感じた。
「し、少々お待ちを」
その圧にやられて、門番の片方が逃げるように中へと入っていった。
しばらくして出てきたのは、メイドの彼女だった。




