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白い着物を身にまとった女性。それは白無垢と呼ばれる類の着物で、頭の上から白い布地を被っていた。
その顔は、まるで黒のクレヨンで塗りつぶされてしまったみたいに、見ようとしても見えない。
まるで、そこだけ完全に抜け落ちてしまったみたいだ。
しかし、その声にタイヨウは覚えがあった。
「うん! 分かったよ、ツキ!」
幼いタイヨウがその女性に駆け寄った。
タイヨウにとって、ツキはあの、白くつるりとした鱗の蛇である。人のツキという存在は、当然知らない。
「ちゃんとバイバイした?」
「うん。またね! ――――」
タイヨウは大いに困惑した。見知らぬはずの人物から、見知った声が聞こえる。
そして、あの翼の生えた少女の名前は……。
急速に色を失っていく世界。それは夢の世界の崩壊を示していた。
まどろみの中で、意識が急速に覚醒していく。
ぼやけた視界のなか、痛む頭をもたげてあたりを見回す。
「ねぇ、二人とも、なにしてるの?」
タイヨウが起きたのは空気の張り詰めたにらみ合いの真っ只中。
今にも戦いが始まるその直前だった。
「タイヨウ様! 起きられたのですね」
「だめ! こいつは私の獲物」
セロはハサミを片手にタイヨウに近づこうとするが、それを彼女の羽に拒まれてしまう。
彼女の羽はまるで不思議な加護にでも守られているかのようで、いくらセロがハサミで切りつけても、傷ひとつ付かない。
「ねぇ、そのリュック、私に頂戴?」
彼女は甘く、撫でるような声でタイヨウの背中に手を伸ばす。
「ごめんね、このリュックは下ろせないんだ。エルちゃん」
あの夢の中で、タイヨウは最後に聞いた名前を口にした。
「……ぇ? どうして」
彼女の、エルの手が止まる。その声はか細く、手は小刻みに震えていた。
「思いだした。って言うと少し違うのかな? 頭の中に、流れてきたんだ。エルちゃんとの思い出が」
「違う。そんなはずない。だってアンタは――」
彼女はそこまで言うと、まるで地上に引きずりだされた魚みたいに口を動かすと、小さく呟いてから、窓から飛び出してしまった。
「あ、待ってよ!」
タイヨウの呼びかけもむなしく、彼女は飛び立った。
「行っちゃった……」
「全く、あの小娘は……」
「ツキ!? 大丈夫?」
そこで初めてタイヨウは床にツキが倒れているのに気が付いた。
全身傷だらけでボロボロだったが、すぐにセロが処置に入って、幸い命に別状はなかった。
「タイヨウ、何か思い出したの?」
「何のこと? そうだ、僕ちょっと出かけてくるね、セロさん。ツキをよろしく」
ホテルのベッドの上、包帯に巻かれたツキの言葉に、タイヨウは首を横に振って、止めるツキの声を無視して、ホテルの部屋を出た。




