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穂先が複数にも見える速度の突きも、横なぎの一撃も、影法師には届かない。
烏色の脳裏に浮かぶのは弟弟子たちの死に際。
自分をかばい、影法師になすすべなくやられたその姿だった。
錫杖が空を飛ぶ。一瞬、力が抜けた隙を狙われた。
空を舞う錫杖が地面に乾いた音を立てて落ちた。
影法師は烏色の絶望を楽しむように、ゆっくりと錫杖を構えた。
構えから滑る様に打ち出された錫杖は、鳥色の顔を貫く前に、その軌道を急激に変えて、背後に向けて振られた。
「うそっ!」
背後から忍び寄っていたタイヨウの手元からナイフが真上に弾かれた。
それを見た烏色は自分の飛ばされた錫杖まで走り出した。
ツキは真上のナイフへとその首を伸ばす。
烏色が錫杖を影法師へ投げるのと同時に、ツキがナイフを咥えて刺した。
錫杖は弾かれてしまったが、ナイフがその首へと突き刺さった。
「やった!?」
傷口から黒い影が傷口から漏れ出した。
影法師はその場に膝をつく。
タイヨウが影法師から離れると、炭酸が噴き出すみたいに黒い影は空へと吹き出した。
ナイフは噴き出した影に飲みこまれ見えない。
「早くとどめを、刺さなければ!」
烏色は錫杖を手に持ち、全身の力を込めて突き刺したが少しだけ遅かった。
突き刺した体は実態を失い、空へ噴き出した影に溶けて混ざり合った。
空に漂う黒い影は漂い続け、霧散する気配はない。
雷でも降りそうな暗雲はぐるぐるとうごめいて、一つの大きな鴉へと姿を変えて、東の空へと飛び去った。
「……え、行っちゃった」
大丈夫なのかと烏色を見たが、なんとも言えない表情で、呆然と飛び立った先を見ていた。
「あれ、大丈夫なの?」
「…………大丈夫。な訳はない。とは思いますが、こんなこと初めてですし、どうにか、出来るんでしょうか?」
ハハハと乾いた笑い。烏色は力なくその場に腰を下ろした。
「とりあえず、あれをどうにかしないとですね」
五重の塔は一階が完全に炭化していた。
いつ倒れてもおかしくない。
「せめて私の手で、終わらせましょう」
烏色は立ち上がると、錫杖を地面に突き立て、お経を唱え始めた。
単調な音程とリズムで流れたお経。
五重の塔はお経が進むにつれてまるで成仏するみたいに光の粒となっていき、お経が終わった時には、元からそこに何もなかったみたいに完全に消えてしまった。
「烏色さんは、これからどうするの?」
「追いかけようとおもいます」
「追いかけるって、あの影法師?」
もうあの大きな鴉は遠くへと飛び立ってしまい、目をこらしても見えない。
「どうせここにいても、することが無いですから。東に、旅立とうと思います」
「そっか、それじゃあ、またどこかで」
「えぇ、またどこかで」
烏色は翼をはばたかせて空を飛んだ。
「――そういえば、五重の塔には私が招かなければ入れないようにしていたのですが、どうして封印は解けたのでしょうか。まぁ、いまさら考えても意味ないことですね」
海の上を飛ぶ烏色はふと湧いた疑問を、すぐに忘れて、空の旅に意識を戻した。




