第7話 これからよろしくお願いしますね
寿崎和弦は昨日、彼女の家でキスする直前までいった時の事を、昼休みの時間に中庭のベンチに座りながら考え込んでいた。
今振り返っても、胸が熱くなってくるし、変に気まずくなるのだ。
あまり考えない方がいいかもな。
和弦は今、一人で食事をとっていた。
そんな時でも、昨日の事が走馬灯のように襲ってくるのだ。
今は考えないようにして……。
和弦は首を横に振り、全力で考えないようにし、食事と向き合う事にしたのだ。
今日はちゃんとお金を持ってきた事もあり、食事にありつけていた。
先ほど購買部で購入してきた、クリームパンを食らいながら校舎の方を見やる。
中庭近くを歩いていた六花の姿が、たまたま視界に入るのだった。
渡辺六花の方も中庭のベンチに座っている和弦の存在に気づいたらしく、二人の視線は重なる。
和弦はパンを食べるのをやめ、ベンチから立ち上がった。
昨日の件もあり、後輩がいる場所まで向かうのだ。
「昨日はごめん、色々と」
「別にいいんですけどね」
六花はそっぽを向いていた。
昨日の事を気にしているらしい。
「でも、悪いことをしたと思って。ごめん」
和弦は頭を下げる。
「そんなに言うなら、別にいいですけど。でしたら、キスしたら許しますから」
「……え?」
何かの聞き間違いかと思った。
「だから、謝罪としてのキスを――」
やはり、聞き間違いではなかったらしい。
そのセリフは、現に六花の口から放たれたものだった。
「さ、流石にそれはさ」
「嫌なんですか?」
六花は、その場に佇む和弦の方へグッと近づいてきて、目をまじまじと見つめてくる。
「そうじゃないけど。俺ら付き合っているわけでもないから」
「そうですけど」
六花の機嫌が再び悪くなり始めるのだった。
このままでは危ないと思った。
目の前にいる後輩の六花は不満げに頬を膨らませているからだ。
「その、き、キスは無理でもさ。そのさ、今日は付き合うっていうのは?」
「付き合う?」
六花は、和弦の言葉に期待を抱いた顔付きになる。
「付き合うっていうのは、恋愛的な意味じゃなくて、街中で遊ぶっていうか。何か奢る程度になると思うんだけど。それなら俺でも可能だからさ」
次に和弦が発した言葉に、六花はやっぱりですか、というため息をはいた顔付きになっていた。
「でも、それでもいいですけど。遊ぶって事ですね」
「そ、そうだよ」
「まあ、それなら、考え直してもいいですけど」
六花は考え込んだ後、和弦の目を注意深く見つめてきたのだ。
「な、なに?」
「先輩が本心で言っているのか、確認のために見つめてたんです。でも、約束ですからね」
何とか六花の感情を宥める事は出来たらしい。
重要なのは、ここからなのだ。
次からの失敗は許されないと思う。
「それで、寿崎先輩、どこに連れて行ってくれるんですか?」
「街中の……どこかになると思うんだけど。全然決めてないんだけどな」
「では、私、ハンバーガーを食べたい気分なので、そこにでも行きませんか?」
「ハンバーガー? 好きなのか?」
「はい。それと、カラオケとか、衣服店とか、後ですね――」
「ちょ、ちょっと待て、要望が多い気がしますけど」
和弦は慌てて、彼女の暴走を止めようとする。
「そんなことないですから。一緒に遊ぶっていったら、そこまでして貰わないと、私、納得できないので」
「それはちょっと勘弁してほしいんだけど」
この頃、出費が多いのだ。
できれば安価に済ませたかった。
「そうですか。でしたら、考え直すのを辞めますけど?」
六花は余裕のある笑みを浮かべ、和弦の心を揺さぶってくる。
「わ、分かった」
和弦は何とかすると言い、一応、受け入れる事にしたのである。
「まあ、立って話すのも疲れるし。あっちのベンチに座るか」
「そうですね。その方がいいかもですね」
六花と共に、いつも通りのベンチに座る。
「六花は、昼食はとったのか?」
「まだですけど」
「何か買ってくる?」
右側のベンチに腰を下ろしている後輩は、和弦の手にしているパンを目にしていた。
「どうした? これがどうかしたのか?」
和弦は手にしているクリームパンを見ながら答えた。
「それ、食べさせてくれませんか?」
「もしや、お金ないのか?」
「……今日、忘れてきたんです。決して金欠とかではないですから」
六花は、和弦から視線を逸らして言う。
「でも、それ食べたいんです。私だって、たまに寿崎先輩のために飲み物を渡してますよね? 今日くらいは奢ってくれませんか?」
考えてみれば、六花から助けてもらっている時もある。
たまには自分の方からも何かをしようと思った。
「ありがとうございます、寿崎先輩!」
しょうがないと思いながらも、和弦は袋に入ったパン、隣のベンチに座っている後輩に渡す。
六花はそう言って、両手で手にしているクリームパンを頬張っていた。
しかも、よくよく見れば、和弦が口をつけたところだったのだ。
「え?」
「何か、問題でもありましたか?」
六花は何も知らないといった感じに首を傾げていた。
「そ、それ、間接キスみたいな」
「問題なんですか?」
「そうだよ。普通は、別の部分を食べるんじゃないのか? 口づけとか嫌だろ?」
「私は別に気にしませんけどね」
「そういう問題じゃないんだよ」
和弦は焦る感情を通り越して唖然としていた。
驚いた顔を見せる和弦の事を、彼女は上目遣いで見つめている。
「顔赤いですよ? もしかして、私の事を意識しているとかですか?」
「そ、そんな事はないけど」
和弦は否定的に言うが、やはり、間接キスみたいな事をされると、嫌でも彼女の事を意識してしまう。
和弦は次第に冷静さを保てなくなっていた。
「ですよねー、私の事を意識しないですよね。寿崎先輩には付き合っている人がいるんですもんね?」
「そ、そうだよ……」
「じゃあ、浮気はよくないですよね?」
「そ、そうなるな」
和弦は六花から何を言われるのか、緊張の連続だった。
「もしですよ。ここにあの先輩がいたらどうしますか?」
紬の姿が浮かんだ。
ここは中庭であり、考えてみれば、彼女に見られていてもおかしくない状況だった。
和弦は辺りを見渡す。
が、彼女の姿はどこにもなかった。
「お、驚かすなよ」
「別に私は驚かすなんてしてないですよ。ただ、寿崎先輩が勝手に焦ってるだけですよ」
六花は微笑んでいた。
彼女と間接なキスだったとしても、その行為が紬に知れてしまったら手遅れるのだろう。
ここは六花の意見に従い、今後は後輩の動向を見ながら行動しようと思うのだった。
六花は残りのクリームパンを返しながら、これからよろしくお願いしますねと、意味深な声で囁いてきたのだった。