第18話 ひと段落着いたけど
翌週。テストの準備期間中も終わりを告げ、今日からはテスト本番の週になった。
これから三日連続テストをしなければいけないという絶望的な日々。
だが、これさえ乗り越えれば、後は来週のテスト返却と終業式だけである。
一個の赤点ならセーフ。
二個以上、赤点をとった場合、和弦の夏休み生活は最初っから終わったようなものであり、補習という名の地獄が待っているのだ。
それだけは絶対に回避しなければならない。
ゆえに、大きな夏休み前のテストだけは非常に厳しいのである。
その事をテスト週間期間中に知った後輩の六花は、あの一件から誘惑してくる事もなく、和弦は比較的平穏なテスト期間を過ごせていた。
だから、今回のテストは失敗しない。
絶対に――
その時の和弦の瞳に真剣さが宿り始めるのだった。
「変なモノは全部、後ろのロッカーにしまうように。それと、机の横のリュックやバッグも全部ロッカーな」
朝、九時頃。担任教師が教室の壇上前に立ち、辺り一帯を見渡しながら指示を促していた。
寿崎和弦も、周りにいるクラスメイトも準備を整えている。
席も名簿順に座り直し、普段隣の席である芽乃とは、テストをする時だけは離れられていた。
色々な意味で助かったと思う。
テスト本番の時だけは変な気分にならなくて済むはずだ。
「今から、テストを始めるから。答案用紙は渡り切ったか? ……問題なさそうだな。あと、一分か。それから始めるように」
担任教師はそれだけ言って無言になる。
教室全体が静寂に包み込まれ、いつもとは違う別空間にいるかのようだ。
これで夏休みの運命が決まる。
補習になるか。
明るい休みの日々になるかが――
和弦は机の上に用意された鉛筆を握り締める。
テストの時間はひたすら静かだった。
教室内の誰もが会話しない。
窓から見える景色も時間が止まったかのように静止して見えるほどだ。
今はただ鉛筆の音だけが教室内に響いているだけ。
隣のクラスからも、一切の話し声も聞こえる事なく、学校にいる誰もが集中しているのだと、わかるほどだ。
……ここは確か……そ、そうか、この答えであってる……はずだな。
和弦も真剣にテストの答案用紙と向き合い、鉛筆を走らせながら、今日からの三日間、対峙していくのであった。
テスト本番の週も終わり、今は翌週になっていた。
今週はテスト返却日の週である。
「では、今からテストを返していくから、名前を呼ばれたら前に来るように。それと、今回のテストの平均が、七〇点だったかな。まあ、まあ、普通だな。ああ、そうだ、今回は数人ほど赤点の奴がいるかもしれないが、今回の夏休みは覚悟しておいた方がいいかもな」
担任教師は、心に重くのしかかるセリフを投げかけてくる。
しかも、担任教師が請け負っている科目のテストで、すべての答案用紙が返却されたことになるのだ。
和弦は英語で一回赤点を取っていた。
それ以外は全部、六五点以上であり、何とか逃れられていたが、今回のテストが赤点だったら終了なのである。
ああ、絶対に赤点ではないように――
和弦は心の中で、瞼を閉じ、そう願っていた。
すでに答案用紙に点数という名の邪悪な数字が記されているゆえに、すでに運命は決まっているようなものだ。
「今から呼ぶから、まずは、足立、上野、工藤……佐々木――」
次々と呼ばれていく。
そして、和弦の番になる。
和弦は心を鷲掴みされたかのような状態で、席から立ち上がった。
「まあ、よかったと思うから」
と、先生から言われ、和弦は壇上前で用紙を受け取った。
答案用紙を確認してみると、点数は四〇点。
ギリギリ赤点を回避していたのである。
はあぁ……よかったぁ、これで助かったぁ。
数学のテストも赤点だったらと考えると、心がいくつあっても足りなかったと思う。
「ああッ! 終わったぁー」
その男子生徒は席に座ったまま、頭を抱えていた。
「お前、赤点なのかよ」
「そうだよ、これで三つ」
「というか、だったら、すでに終わってんじゃん」
クラスメイトの数人が脱落していた。
「ついでに報告しておくけど、明日は終業式だから遅れないように。それと、夏休み期間中に補修になる人らは、後で別の先生に呼び出されると思うから覚悟しておくようにな」
一部のクラスメイトは絶望染みた顔を浮かべていたのだった。
翌日の事である。
今は正午を過ぎた頃合い。
先ほど終業式が終わり、そして今、一学期最後のHRも終了したのである。
後は帰宅するだけだったが、最後に一つだけやる事があった。
それは、日直としての業務だ。
今日は日直という事になっており、隣の席の人と一緒にやることになっていた。
「あとの掃除はよろしく」
壇上前で片づけをし終えた担任教師が言った。
「はい……わかりました」
和弦は教室を立ち去って行く担任教師に挨拶をする。
気づけば、他の人らも教室からいなくなっていた。
幼馴染も紬も、後輩の六花も帰宅していた。
日直の影響で遅くなると、今日の朝の段階で伝えていたからだ。
殆ど人がいない教室を見渡すと、不思議な気分になる。
和弦は机を教室の後ろの方へ全部下げる事にした。
掃除しやすいのはいい事なのだが、隣の席の遊佐芽乃と二人っきりというのは非常に気まずかった。
「早く済ませよ」
芽乃も、和弦と同様に、机を教室の後ろの方へ下げながら言ってくる。
「え、あ、ああ……」
「どうしたの、そんなに動揺して」
「別に、なんでもないけど」
「そう? それで返事は決まった?」
芽乃は、自然な会話の流れで、以前の話を切り出してくるのだ。
「アレの話の?」
「そうよ」
「でも、夏休み期間中でもいいって」
「そうなんだけど、やっぱり、早く聞きたいなぁって」
彼女の方から和弦の方へ、距離を詰めてきたのである。
「そう言えばさ、君は明日って時間ある?」
芽乃から積極的に質問される。
「色々と」
「色々って?」
「色々だよ」
和弦は何とか、その言葉だけで凌ごうとする。
「それだけわからないって。それと、これね」
芽乃から箒を受け渡された。
「あ、ありがと」
「それで、色々何?」
彼女は話を深く振り下げようとしていた。
「それは別にいいだろ。逆に遊佐さんは何するつもり?」
「私はまだ考え中かな」
芽乃は少し考え込んだ後、首を傾げながら言う。
「だったら、俺も考え中ってことで」
「何それ」
彼女からつまらなそうな目を向けられた。
「でも、遊佐さんも未定なら、何するか言わないってことでしょ?」
「そうだけど。じゃあ、そうだ、プールとかには行こうかなって」
「そういう予定なの?」
「今考えた予定だけどね。本当に行くかはわからないけど。君もプールは行くの?」
「行くかも……?」
「行くかもって、行く可能性もあるってことでいい?」
和弦の疑問口調に対し、彼女は首を傾げながら聞き返してくる。
「……俺も未定だから、ハッキリとは言えないけどね」
「えー、じゃあ、二人で絶対にする事を一つだけ決めない? いいじゃん。そうだ、ゲーセンに行かない?」
「なんで?」
「だって、ゲーセンなら好きそうかなって? 君もゲーセンになら行くでしょ?」
「まあ、たまには……でも、本当にたまにだけどな」
和弦は箒で教室の床を掃く。
「でも、なぜにゲーセン?」
和弦は共に箒を持っている芽乃に問う。
「そこにプリクラとかあるでしょ? 一緒に撮りたいなって」
「そこまで親しい関係でもないのに?」
「だからだよ」
芽乃は急に和弦の左手を両手で包み込んでくる。
そんな彼女の言動に動揺し、箒を持っている和弦は右手を止めた。
「一回でもいいからさ。何か一緒にやろ。一日だけでもいいから」
「……わかった。一回だけな」
「ありがと。その時に、付き合うかどうかの返答が欲しいかなって。やっぱり、高校二年の夏休みだし、早く楽しく過ごしたいなって。まあ、思い出作りみたいな感じに」
芽乃は二人っきりな為か、不思議と明るい口調で話してくれる。
他の人の前では普通なのに、和弦の前では声に抑揚があった。
以前よりも、少し明るくなったのかな?
まだ、彼女のすべて知っているわけではない。
未知なる存在に近かったのである。
和弦の夏休みの予定が一つだけ増えたのであった。
面倒な事にならなければいいのだけど。
夏休みの補習は免れたが――
芽乃の件に関しては早い段階で解決させようと心に誓いつつも、今は日直としての業務を終わらせようと思い、再び箒で床を掃き始めるのだった。