最初のつまずき
【捕らえて僕の薔薇】
背後からそんな声が聞こえるのと同時に、ケイの胴体に濃い紫色の茨が巻き付いた。
「な、」
足元に大きな穴が開く。ケイは為す術もなく落ちていった。
『嫌だよ。せっかくこの世界を知っている人に会えたのに、このままお別れするなんて』
果てしなく続く闇の中。どこからか、男の声が聞こえてくる。
「なんで嘘をついたの?」
声が聞こえてきた方に向かって歩きながら、ケイは問いかけた。
『嘘? 何のこと?』
「初期装備を着てたでしょ。てっきり同じ職業だと思ったのに、こんな大規模な魔法を使うから驚いたよ。本当は、高クラスの魔術師なんでしょう?」
『……うん。でも、そんなことを明かしたら君は怖がって逃げてしまうと思ったから、隠していたんだ』
「矛盾してない? 結局こうやって捕まえるなら、最初からそうすれば良かったのに」
『……そうだね。僕も、こんなつもりじゃなかったんだ。でも……でも、仕方がないと思わない? 同じゲームをプレイした人は他にいくらでもいるはずなのに、その記憶を持って転生した人には1人も会えなかったんだから』
「思わない」
ケイはわざと冷たい声を出した。
「前世の記憶なんて、持ってる方が珍しいよ」
『酷いなぁ』
男の声は明るい。ケイが逃げられないと思っているからだろう。ケイは持っていた銅貨の袋を取り出して、紐を引いて袋の口を縛った。
『無駄だよ。ここは僕が作った空間だから』
「だろうね」
銅貨が詰まった袋を右手で勢いよく回しながら、ケイは大きく息を吸った。
「じゃあね」
そう言って、ケイはその手を後ろに回した。振り回している袋が後頭部に当たる。強い衝撃を感じて、彼女はそのまま真っ黒な床に倒れ伏した。
『ちょっと?!』
意識が薄れていく。慌てたような男の声が聞こえる。
(思いっきり打ったつもりだったけど、ちょっと足りなかったかなぁ)
周囲が明るくなる。血相を変えた男が、ケイの体を抱きしめて呪文を紡いだ。
【居なくならないで僕の宝物】
紫色の薔薇の花びらがケイの体を包み込む。視界のブレが消えていく。男が心配そうな顔でケイを覗き込んでいた。
「もう痛くない? 大丈夫?」
ケイはその問いには答えずに、周囲を見回した。置いてある調度品は全て高級そうで、趣味も良い。
(典型的な高ランクプレイヤーの部屋だ)
室内には帝国の紋章が描かれた赤い旗が飾られている。目の前の男が帝国に所属しているのは間違いない。
「ねえ、どうしたの? なんで、何も喋ってくれないの?」
「その前に名乗って。君の名前は、なんていうの?」
ケイは男の質問には答えずに、淡々とした声で聞いた。男は少し考えた後で口を開く。
「僕は……ええと、どっちがいいかな。今の名前はクルト・リュッテル。プレイヤー名はセムトだよ。君の好きな方で呼んで」
幸せそうに笑う男を見て、ケイの背筋に寒気が走った。