秘妃美
常時と月海が気配を消した頃。
隣町のとある六畳間で少女が一人、畳の上で突っ伏していた。
「本当に来るの……?」
少女は一人、通信用眼鏡に描写される映像を眺めていた。
親が他界してはや弐年。大した貯金もなく、残された少女は節約の為と四階建の一室に引っ越しをした。家賃参万円、水道光熱費込みだが壁も薄く、エレベーターも無し、Li-Fiの光無線通信もない物件だが、奇跡的に近くの建物から無料のLi-Fiが受信でき、節約に節約を重ねてこの弐年間生きてきた。
そんな節約をしてきた少女にも、どうしても抗えない行為が一つだけあった。
「お腹空いた」
そう呟くと、情報が更新されない通信用眼鏡をつけたまま湯沸し器の電源をONにする。
そして徐に地べたに積まれた即席麺の袋に手を伸ばした。
「後ちょっとしかないや」
激辛、と書かれたパッケージは見ているだけでも口内がひりつきそうだ。
そんな即席麵を二袋あけると、丼に投下。そして湯を注ぐ。
「……」
まだかな、まだかなと麺の完成を待つ。
スーパーで人気が無く、投げ売りとして売られていた激辛麺。それを買うお金も既に尽きている。部屋の更新するお金もなく、明日以降の寝床も無い状況。
それでも、少女はワクワクが抑えきれない。
そう、食べる事だけは節約をせず全力を出していた。
食事を抜くなんて、絶対にありえない事である。
「まだかな、まだかな」
思わず声に出してしまう。
少女は食べる事が大好きだった。
貯金が少なかったと言え食事だけは必ずとるように、必ずお腹がいっぱいになるようにしていた。
少女にとって食事は尊いものであり、この世の全てであった。
人間、生涯の食事回数が凡そたった九万食しかない事実に気が付いた時から、一食一食がとても特別なものに思うようになっていた。
一食の食事量は増え、種類を食べ、それでも食事をする為にはお金が必要で。
少ないアルバイト代も、食費に全振りしているため住む場所さえ失おうとしているのだから笑えない。
それでも、どうしても食べたい欲が勝り正常な計画を立てる事が出来なかった。
せめて後数年、この少女の保護者が居たならば。せめて数人、この少女の行動を諫める事が出来る友人がいたならば。少女はまた違った人生を歩めていたかもしれない。
だが身内はおらず、ロクな交友関係も少女には無かった。
食の情報収集のためにと、格安の通信用眼鏡を装着するとネットワーク上で日々、格安の食料が手に入らないかと探しに探し回る日々を送った。
そんなある日、少女は珍しくある検索を行った。
「ラーメン風呂に入りたい」
と。
バスタブの中に一杯の水では無く、他の何かを入れてお金持ちを称する広告が流行っていた。
それを見たせいだろう。私ならどんなバスタブに浸かりたいだろうか、と妄想した。
その結果、思い至ったのが「ラーメン風呂に入りたい」という常識を逸した妄想だった。
だが、検索結果は少女が想像したような「ラーメン風呂」の存在は無く、よくわからない記事しか確認できなかった。
意気消沈した時、「君はどんなバスタブでバブリィする?」という例の広告をクリックしていた。
そこには、どんなバスタブに入りたいのかコメントを書き込める入力フォームがあった。
コメントと、アドレスを入れる入力欄。
少女はこの先生きる術を失おうとしている。
ならば、最後くらい好きに書き込んでも良いよね、と妄想を書き込んでいた。
入力欄「ラーメン風呂に入りたい。ラーメン風呂で浴槽の中にあるラーメンを全て飲み干したい」
アドレス「*****@***.**」
送信ボタンを押下すると、数秒後メールの受信音が鳴り響く。
やっぱり、とため息を吐く少女。
あからさまに怪しい広告にアドレスを入力したら、すぐさま業者から変なメールが沢山送られてくるのは当然だろう。予想は出来た事だ、メールを開く事も無く突っ伏す少女。
少女は迷惑メールが大量に送られてくるだろうとそう思っていたが、一通のメールが届いて以降特に受信音がなる事は無かった。
あのタイミングで誰か友人からのメールだった? と思いなおし、グラスに表示されるメールアイコンを押下。そして届いたメールの文面を読む。
「その夢、叶えたければ連絡をしてくれ」
短い文章。
そして、最後に連絡先が書かれていた。
最近の業者は何とわかりやすいのだろうか、こうやって連絡をとって悪い事に加担させたりするんでしょう? まぁ、でも……。
「秘妃美です。それ、本当ですか?」
と、返信をした少女。
すぐさま返信が来る。
「夢を掴むかどうかはお前次第だ、秘妃美。一度会いたい、どこで会えるだろうか」
いよいよ、胡散臭くなってきた。
でも、三日後にはここも退居するんだ。
だから、別にここを教えても何も問題は無いよね?
「私はここに居ます、三日以内ならここで会えます」
位置情報を送ると、はぁとため息をついてしまう。
「私、何やってるんだろう」
すぐさま、返信が来る。
「わかった。それでは三日後にそちらへ向かう」
その返信が最後で、迷惑メールも何もこないままこの一見は終わった。
そう、今日があのやりとりをしてから三日目。
昼も過ぎ、最後の食料も今しがた胃袋へ流し込んで終わった。
激辛麺は名前以上に激辛で、一張羅の白のノットフロント クロップドトップスが肌着を透ける程に汗でグショグショになってしまった。
胸の谷間に溜まる汗を手でぬぐうと、正面に大きなリボン紐のついたショートパンツに手を伸ばす。
ポケットの中にある一枚の紙。
汗で印字されている文字がじわりと滲んでいる。
【高時給、夜のお仕事は……】
グシャリ。
そうじゃない、私のしたいことはそんな事なんかじゃない。
夢? 理想? 理解かっている。
お金が無きゃ何も出来ない、理解かってる、でも理解かりたくない。
私は食べたいの、お腹いっぱい一食一食を大切にしたいの。
だから、どんなに怪しくたっていい、私はあのメールを信じてここで待つの。
どんなに馬鹿で、どんなに妄想にすがって、どんなに愚かな行動だと理解かっていても。
現実味の無い希望に、自然と涙がこぼれる。
「どうして、こうなっちゃったんだろうな……」
秘妃美、十四歳。
仕事もロクに取れず、身内も無し。
貯金も底を尽き、絶望しか待ち構えない日常。
それでも少女は今日を生きる。
「では、行くとするか」
「どこに行くの、ですわ?」
「本来の目的である隣町までだ」
「本来の目的?」
「ああ、秘妃美に会いに行く」
「ぴぴ、み? 女性の名前かしら? あれ、あらあらあら!? いきなり浮気ですのぉぉぉぉ」
続く!