月海と常時《後編》
喫茶店を出た二人は、すぐに足を止めしばし見つめ合っていた。
月海の重い足取りから、常時が気を使って歩みを止めた形である。
「その、本当に来るのですか?」
「ああ。挨拶は大切だからな」
交差する二人の視線。月海の頬はほんのりと赤みを増し、高鳴る鼓動が常時に聞こえてしまわないかとドキドキしている。
「いっその事、聞こえてしまえば良いのにですわ」
月海はぷいっとそっぽ向くと、歩みを再開させた。
行き先は我が家、つまり月海の実家である。
ピッチャーの水が全て月海の胃袋に落ちた頃、常時がこんな事を言ってきたのだ。
「俺に付いてきてもらうからには、ルナのご両親に御挨拶せねばな」
月海の思考は完全に混乱に陥っていた。
『ご挨拶!? 付いてこい!? 責任をとるぅ!? つまり、ですわ!? 間違いなく、完全に告白ですわぁ!?』
顔を真っ赤にして、耳たぶをわさわさと触ってしまう月海。
恥辱にまみれ、満腹状態で正常な判断が出来ていなかった月海だが、ここにきてやっと完全に理解をしてしまった。故に、誠実にお答えしなければとジッと常時の瞳を見つめ、声を発していた。
「私、理想は高いですわよ?」
「ああ」
「えっと、収入は別に気にしないの、これでも私お金はありますもの。だからこそ、内面が大切というか」
「俺は懐も中身も誰にも負けんぞ」
「はふ。そ、そう、まだ貴方の事、何も知りませんわ」
「大丈夫だ。俺に付いてくれば全てを知れるだろう」
お残しをするという恥辱から救い出してくれた人。二度と同じことが無いように色々と教えてくれる人。そして、今まで生きてきた誰よりも私を求めてくれた人。
こんなの、断れる理由がありませんわ……。
「わかりました、ですわ」
「うむ。では早速だが挨拶に伺わせてもらおうか」
「え゛っ。今からですの?」
「ああ、今すぐだ。挨拶が終わったらそのまま次の目的地へ移動するぞ」
まさかスグすぐにご挨拶だなんて、私の心の準備はいつしたら良いのぉ!?
「立てるか、ほら行くぞ」
差し出してくれた手をそっと掴む。
この人の手、大きくて力強いですわ。
そうして心の準備も整う事もないまま、こうして歩みを再開していた。
田舎町といえど、道はしっかり整備されている。アスファルトが日光をしっかり吸い込み、地熱がじわじわと体温をあげてゆく。フードを被りなおす事も忘れていた月海の頭に、ポンと何かが置かれる。
それは先ほどまで常時が被っていたウェスタンハットだった。
「あら……」
そして、そのウェスタンハットを被った瞬間、大地の火照りが感じられなくなり体への負荷が一気に減ったことを感じていた。
「その帽子は体温調整をしてくれる優れものだ。暑いだろう? しばらく貸してやる」
「ありがとう、存じますわ」
そう言い、常時を見ると汗だくになっている姿が目に映る。
私、本当にこの人の事を……。
未だ、心の準備も決心も、何もかもが追いつかない状況の中、常時に物凄い勢いで惹かれていく思いを確かに感じていた。
そうこうしていると、いつの間にか二人の移動は終着点を迎えていた。
「ここがルナの実家か?」
「はい、ですわ」
立派な門構え。鉄柵で囲まれた土地の中央に、二階建ての戸建てが堂々と建っていた。
この大陸の建築物の例にもれず、鉄筋コンクリートの戸建ては耐久性が非常に高い。
人の膂力では容易に破壊する事は出来ず、大地の魔法で分解される事も無く火の魔法にも耐え、水の魔法は弾き風の魔法を通さない。鉄筋コンクリートは人類の英知が詰まった個を守るシェルターであった。
そして、月海の実家は田舎町といえど貴族の館。
ざっと見て200坪(660㎡)はあるだろう大きさの館と、隣にバスケットボールのコートとゴールまで設置されている立地具合だった。
そんな豪邸を前に、一切怯む事無く常時はインターホンのボタンを押そうとしたところで月海が手を伸ばし制止をしていた。
やはり、両親へいきなり見知らぬ男を連れてくるなんて、絶対に何か言われますわ!?
なんて事を思い、何とか踏みとどまろうとしたのも束の間。
「話がある、月海も隣にいるから少し時間をくれないか」
「あぁぁ!」
制止は全く効果を得ず、常時はボタンを押し込み、そこから聞こえてくる女性へと話しかけていたのだ。
そこから先の記憶は曖昧で、気が付けば来客用の一室に私、月海と隣に常時、正面には月海の母親が鎮座していた。
急遽、父親にも連絡が行き仕事を切り上げ館へ戻っている最中だという。
「それで、この人は一体誰なのかしら月海ちゃん?」
「あの、この人は」
「私は常時という。縁あって月海とは先ほど出会い、俺が惚れ込んだ。そこで、俺に娘さんを預けてはくれないか」
「あら、あらあら……」
月海の母親もいきなりの告白に戸惑ってしまう。スグにパンクしてそうな反応が、何だか親子を感じさせてくれる。
「帰ったぞ! 月海ちゃん、大丈夫だったか!?」
「パパ……」
「君か? いきなりやってきて、一体何者なんだね君は」
「私は常時という。縁あって月海とは先ほど出会い、俺が惚れ込んだ。そこで、俺に娘さんを預けてはくれないか」
「あら、あらあらあら……」
「なっ」
一瞬、月海の父親も言葉を失う。そして、こうも真っ直ぐに言うこの男は、一体何者なのだと思案する。
「見かけない顔だが、君は一体何の仕事をしているんだね?」
「それは言えない」
「言えない? そもそも、いくつなんだね君は」
更に険しい顔つきにかわり月海の父親は質問を続ける。
「俺は今年で三十二歳だ」
「私の二倍でしたわぁ!?」
「なぜ月海ちゃんが驚くんだ」
思わず突っ込みをいれてしまう父親。しかしスグさま質問を再開する。
「えらく歳を取っているようだね。流石にその年齢差で娘は」
「俺は必ず責任を取る」
そう言って月海の腕を取りゆっくりと立ち上がらせる。
なされるがままに、立ち上がって見せた月海は重いお腹を思わず支える仕草をしてしまった。
「む……」
目ざとく、父親は何かの異変を察知する。
ドレス姿で最初は気づかなかったが、何だか腹部あたりに違和感を感じ取ったのだ。
そして。
「うっ」
お腹を支えつつ、口元を抑える月海。先ほど胃袋に入れた唐揚げ定食と水が逆流しそうになり、思わずとった仕草。だが、両親の二人の目にはどう映った事か。
「まさか、月海ちゃん……」
「お前、まさか!?」
ドレス越しに、お腹を触る父親。
そして確かに感じる膨らみ。
「貴様っぁ!? 月海ちゃんに一体何を!?」
「月海が食事を残しそうだったから、少しな」
「あら、あらあらあらあら」
大パニックだった。
食事を残しそう、つまり残していた場合は恥辱の極み。月海の両親共に、この考えに相違はない。
月海ちゃんが食事を残す、つまりは恥辱に屈したところに、この男はつけこんで……。いや、そもそもだ。
「月海ちゃん、まさか外で食事を残すなんて、そんな恥知らずな事はしてませんわよね?」
母親がここにきて、声色を変え問いただす。
先ほどまでの柔らかな目の形が、キッと鋭くなっている。こういうところは母親譲りなんだな、とそんな感想を抱く常時を他所に、話は進んでいく。
「その……ごめんなさい、私」
「聞きたく無い! 恥知らずな娘を私、育てた覚えはないわ。ねぇ、あなた?」
「あ、あぁ。食事を残した奴はすぐさま解雇してきたし、そんな奴は今すぐこの領地から出て行ってもらっている」
「そうよね、あなた。月海ちゃん、改めて聞くわ。ご飯、残したのね?」
「……はい、ですわ」
「常時さんと言いましたね? 責任、本当にとってくれるのですわ?」
「ああ、約束しよう。このシェルダイヤモンドに誓って」
シェルダイヤモンド。
貝殻の形をしたダイヤモンドで、これ一つあればこの田舎町一つ容易く買収できてしまう程の価値があるダイヤモンドである。大陸外部の海底で極稀にみつかるソレを所持することは、それだけでこの大陸内での力の誇示に繋がる。
「……わかりました。ちゃんと責任を取って終わるまでこの家の出入りは禁じます、好きなところに行きなさい」
「ちょっと、ママ! 月海ちゃんにそこまで言わずとも」
「アナタ、お残しは恥の極み。今まで同様、追放するのが基本ですわ。それが私達の娘であっても」
「そ、そうだが」
「月海ちゃん、お母さんと約束。二度と、食事は残しちゃダメよ? 常時さんに迷惑を掛けちゃダメよ? それと、お腹は冷やしちゃダメよ、後激しい運動も控えなさい? 苦しい時はレモンをかじると良いわ」
「えっと、ママ……」
月海もやっと発言をしようとした時だった。
「流石、親子という訳だ。ルナ、良いご両親をもったな。では、私達は次の予定があるのでコレにて。また、責任を取って終わったら報告に来る」
「ええ、必ず」
あたふたと戸惑いを見せる父親と、本当にとんでもない事になったと思考がパンクする月海。父親と母親の口論を背に、屋敷から出る二人。
食事を残した時から、月海としても予感はあったのだ。
勘当されちゃうんじゃないかと。
それほどに、恥辱的な行為をした私。
本当の意味で絶望をする前に、この人は私を救ってくれた。
私との年齢差は倍程。名前は常時、優しくて自分のペースを貫き通す人。そして、沢山食べる優しい人。
これから、もっとこの人の事を知っていこう。
そう考えながら屋敷の外に出た時だった。
「ぐぎゅるるるるるぅ……はふっ」
体一つで外へ出た月海は蹲る。
「お手洗いに、行きたいですわ」
「大丈夫か?」
フルフルフル、と顔を横に振る。
とうに限界を超えた挑戦の後、水を胃袋に落とした体。
一度催してしまった今、緊急事態であった。
「歩けそうに無いですわぁ」
悲痛な声だった。
たった今、勘当され家から追い出されたばかりなのに、自宅のトイレを使うわけにもいかず、近場には公衆トイレも無いと来た。
手荷物も無く、一張羅にも関わらずこんな未知の真ん中で、十代の乙女がお漏らしなんてどこの誰が耐えれるというのだろうか。
まだ神様は、私の尊厳を奪っていくの?
そんな事を思っていると、常時から優しい声で話しかけられる。
「この先、便意・尿意コントロールも覚えていかないとな」
「うぅ、うううう」
「まぁ気休めでしかないが……」
そういうと、両手で月海の肩を掴むと、優しい光に包まれる。
「特級隠密魔法、完全認識阻害」
瞬間、月海はまるでプールの中にでも潜ったような感覚に陥る。
「これ、は……?」
「特級隠密魔法だ。これで術者と対象者は外部から存在を感知できなくなった。気配、音、匂い、全てを阻害するので、接触しない限りは誰にも感知出来んだろう。まぁ、解除魔法や魔力探知等には破られるが、そんな事を常時している奴なんて今の時代、居ないだろう」
「あ、ぅ」
「だから心置きなくパージしても構わん。俺はしっかり責任を取る」
そう言うと、蹲る月海の体を抱き上げお姫様抱っこをする。
瞬間。
耐え凌いでいた筋肉が緩み、朗らかな表情で月海は心の中でこう言っていた。
『いってきますわ』
続く!