月海と常時
「またのお越しを」
そんな言葉を背に、お腹を抱えながら歩く田舎町の貴族娘と男はゆったりとした歩みで正面にあるカフェへと移動していた。
カラン、と耳触りの良い音と共に扉を開けると、一番近場の二人掛けの席へと腰を落ち着けた。
僅かな距離を歩いただけにも関わらず、ブワリと汗ばんだ肌がエアコンで冷えた店内の空気に夏独特の心地よさを感じる。
正面に向き合うように座り、そこでやっと初めて男の姿をじっくりと観察するに至った月海。
私、この人に貰われちゃうの……?
そんな事を思いながら男を観察する。
スキンフェードカットな黒髪のせいか、少し強面である。
眉毛は太目、鼻はちょっとこの辺りではみかけない団子鼻。大量の料理をペロリと平らげてしまうだけあり、口は大きめで唇が分厚い。
頬は特出すべき点は……潤い肌なのか、ツヤツヤである。
暑いのはわかるが、何故か両サイドが反りかえっている茶色のウェスタンハットを冠っている。白の無地のシャツに、ベージュの襟の立ったの長袖ジャケットとパンツを履いており身なりは非常に整っている。
残念ながらずっとグラサンを着用している為、どんな目元なのかは判断がつかない。
そういえば、まだこの人の名前すら私、知らないのよね。
そう思い、無言で向き合ったまま座っているわけにもいかず、月海は声を掛ける事にする。
「ねぇ、貴方は一体どちら様なの、ですわ?」
「……喋れるくらいには回復したか?」
「え、ええ」
「そうか、上々だ。そこの君、すまない、水をピッチャーで貰おう」
ウェイターにそう声を掛けると、店内に小走りで消えていく店員。
「まだ名乗っていなかったな。俺は常時という」
ガタンッ!
男が名乗りをあげた瞬間、別卓に座っていた客が机を叩きながら立ち上がり叫んでいた。
「まさか! まさかまさかまさか! 先ほどの食べっぷり、やはり拙者の目に狂いはなかったで御座る! あの伝説のハンター常時! この帝都の田舎町で出会えるなんて、何という幸運、何という僥倖。何という果報者でござろうか! こうしてはおれぬ!」
何やら興奮した客の一人が血相を変えて店内から飛び出していった。
「えっと、、、」
「気にするな。改めて、俺の名は常時。最高の食を求めて旅をしている」
「常時さん、ですか。先ほどは食事をシェアすることで、私を助けていただき、ありがとう存じますわ」
誠意をもって、頭を下げる月海。お腹がつっかえ、思ったよりも頭が下がらなかったが特に常時からはその事については指摘はされなかった。
「お水、ピッチャーで置いときますね。何か注文はいかがですか?」
「そうだな、このチーズスフレを二つ」
「はーい、オーダーいただきましたー」
月海に相談もなく注文をしたことで、困惑顔の月海だ。
「気にするな。ほら、水でも飲んでおきなさい」
「え、ええ」
押しに弱いのか、この人を前にすると何故か頷いてしまう月海である。
「まぁ助けた事については今はどうでも良い。ルナ、お前朝食抜いてきただろう?」
「……なぜ、それを?」
「あの食べっぷりをみてたらスグにわかる。考えた結果の行動だったんだろうが、朝食抜きをしてたら食べれる物も食べれなくなるぞ」
「どういう意味ですの?」
「先ほども教えたが、人間の胃袋は基本的にはほとんどが同じサイズだ。俺とお前の胃袋も基本的には同じサイズだ」
「嘘!? 私の五倍は食べてましたわよ!?」
「嘘ではない、ただ胃袋は鍛える事で拡張することが可能なだけだ」
「かく、ちょう?」
「ああ、拡張だ。胃に食料を落とせば落とすほど、胃は膨らんでいく。そしてその膨らみは徐々に広がり、キープすることが可能なんだ。その拡張をキープするには朝食は必須、一食抜くだけで居のサイズは元通り、常人のそれに戻るのさ」
全く知らない知識の前に、常時の言葉に思わず聞き入る月海。
「まぁ最後にモノを言うのは決して折れないマインドだ。ルナ、お前の胃袋はまだまだ常人のソレだが、マインドだけは本物だった。だから」
グビッ、とコップに入った水を飲み干した常時は告げる。
「俺はお前が欲しい。責任をとるから、俺に付いてこい」
常時は力強く言い放った。
そんな告白に、月海は顔がほてってしょうがなかった。はち切れんばかりのお腹事情も忘れ、月海もグビビッと水を飲み干す。
月海は生まれて初めて、ここまでまっすぐで熱い告白を真正面から受けた。結果、身なりだけは良いだけのそれほどタイプじゃないオジサンから、何だかキラキラした存在に見えだしていた。
「あぁ、そのピッチャーの水は全てのみ干す事だ」
ジャアア、と勢いよくコップに注がれる水を前に、月海は弐杯目も一気に飲み干す。が、ここにきてウプッと限界を告げるげっぷが出てしまった。
だが。
「まだだ、まだ3杯分はあるからな」
ジャアア。
「も、もお無理ですわ」
「俺の言う事、聞けないか?」
「……鬼畜ですわ」
チビチビとコップに口をつけ呑み始める月海。何故か、瞳から涙が零れそうになる。そしてジッと見つめられながら水を飲み干すと容赦なく注がれる水。
「お待たせしましたぁ、チーズスフレ弐つでーす。ごゆっくりー」
目の前に置かれたチーズスフレに、思わず白目を剥きそうになる月海。私、まさかここで生き恥をかいてしまうの!? そんな心の悲鳴が終わる前に、月海の目の前の皿はスッと取り上げられる。
「水を続けて飲み続けなさい。ゆっくりでも構わない、休まず呑み続けるんだ」
そう言うと、弐つのチーズスフレを食べだす常時。
私を弐度も助けてくれた!? という謎の感想を抱くが、目の前の水地獄はまだ続く。
「あの、もぉ、入らない、ですわ……」
「焦らず、ゆっくり飲み続けろ」
「ぅ、ぁ、、、もぉ、きつ、、、うぷ」
白目を剥きそうになりつつも、ピッチャーの水を飲み干す月海。
「出来るじゃないか。流石、俺が見込んだだけはある」
常時は素直に目の前の田舎娘を褒めていた。まだろくに特訓もしていない、大食いの常識も無い無垢なる少女が、いきなり胃拡張の訓練をスタートを受け入れているのだ。
常人は満腹になると、それ以上は決して口にしようとしない。どんなに強い精神力があっても、決して口に運ぶ事すらできないのだ。
それを、月海は素人にも関わらず最初から乗り越えているのだ。
常時は間違いなく、この子は育てれば立派なファイターになると確信していた。
そう、立派なフードファイターになると!
そんな育成計画を心に秘めつつ、チーズスフレを食しながら月海の健気な挑戦に、暖かな目で胃拡張チャレンジを見守るのであった。
続く!