クロワッサン《後編》
帝都、大食堂横。
厨房。
千人分の食事を賄うため常にフル稼働する中、オーブンの前で目を瞑り棒立ちにの料理人が居た。
不動かと思われたその人物は、ピシリという僅かな音を聞き分けると次々とオーブンからソレを取りだしていった。
「クロワッサン、どんどん取りだすからね! 」
乙女部隊の料理長を務めている星々は次々と焼きたてクロワッサンを焼きあげていた。
「こ、このクロワッサンはぁぁぁぁ」
料理人の一人が、眩い光を放つソレに思わず声を荒げる。
それもそのはず、どんなにベテランの料理人だろうとコレが現実不可能な一品だと諦めてしまうような出来上がりであった。
「食しなさい、私の奇跡クロワッサンよ!」
出来立てのソレを構わず食べて見よとベテラン料理人に差し出すと、恐る恐るそのクロワッサンを口元に運んでいき、そして。
サクゥ!
歯がクロワッサンの中央へ一気に吸い込まれていく。
「ホワァァァ、なんじゃこりゃぁぁあ!? いち、にぃ、さんっ、よんっ……とんで三百……もぉ、ここから先は数えきれんほどに極薄じゃあああああああ。それぞれしっかり層が出来上がっているのが摩訶不思議過ぎる、奇跡じゃ、一体どんな魔法を!?」
「私の愛読書を参考にしたまでさ」
表紙には手から謎の光を輝く少年のイラストが描かれた本をチラ見せする星々。
「毒身は終わりだよ! さぁ運んだ運んだ!」
「……ハッ! スグに提供だぁ!」
こうして、長机に向き合うように座り合う常時と雨女の真ん中へ次々と出来立ての奇跡クロワッサンが運ばれていく。
「ルールだが、十五分間により多く食べた方の勝ちとするが、注意事項が3つある。一つ、クロワッサンは最低でも3口にわけて口に運ぶ事。もし胃に落とす前に2口目、3口目にかぶりつくのは反則負けとする。一つ、1つのクロワッサンを食べ終えたら必ずこのミルクを一杯飲み干す事。一つ、食事中はいかなる理由があっても席を離れない事。これらのルールを破ったら即刻負けとする。どうだ?」
「ええ、何も問題ないわ。あぁ、カッコイイ」
「そういえば、俺が勝った場合の話をしていなかったな」
腕を組んで悩もうとする暇もあたえず、雨女は言い放つ。
「私が負けたら私を好きにして良いわ! 一生ついていくから。そして私が勝ったら私の旦那様になってもらうからね!」
「……雨女、お前はここの要の人物だろうに、迂闊にここから離れるような事は言うべきじゃないのではないか?」
「お、お前、お前って、まだ早いわア・ナ・タ!」
両頬を押さえ照れ隠しをする雨女。外野からはヨシッ、よくやった! とか、練習通りうまくいっているなどヒソヒソ話が飛び交う。
「それでは、突然で御座るが拙者が、この勝負のレフェリーを務めさせていただく」
本当に突然現れた白色ハチマキを額に巻いた男が、渦巻き眼鏡を取り外して常時の元へと近寄っていく。
「邪魔はさせないぃぃぃぃ」
乙女部隊が一斉に行動し、謎の男を拘束、そのまま場外へと連れ去っていった。
「流石だな、雨女」
「乙女部隊の隊長を務めるには、勝負に負けは許されないからね」
本当は謎の男の登場に、常時に何かあったらどうしよう、負けてでも何かが起こる前に助け出したい! と逡巡するも、先ほどのルールを飲んだ後でうかつに席から離れる事が出来なかった。
そう、あの男を捕縛しようと行動していたら、その瞬間雨女の負けが確定していたのだ。
「それでは、いざ」
「ええ」
パクッ、モグモグモグモグモグモグモグモグモグモグ、ゴクン。
パクッ、モグモグモグモグモグモグモグモグモグモグ、ゴクン。
パクッ、モグモグモグモグモグモグモグモグモグモグ、ゴクン。
ゴキュゴキュゴキュ、ぷふぅ。
パクッ、パクッ、パクッ。
ゴキュキュキュキュキュキュ。
パクッ、パクッ、パクッ。
ゴキュキュキュキュキュキュ。
開始早々、よく噛みゆっくりミルクを飲んでいく常時。
一方、クロワッサンをかみ切ると飲み込むように胃にとすと、すぐさまパクリと二口目、三口目とすすめていく雨女。更にミルクも一気に飲み干し、常時の倍の速度でクロワッサンを食していく。
僅か十八秒で二つのクロワッサンを食べる雨女に対し、十八秒で一つのクロワッサンを平らげた常時。
思わずその差に、誰もが常時の劣勢を悟る。
「が、がんばってですわぁ、常時ぅぅぅ」
思わず応援に入る月海。
「良いぞ隊長! 勝っても負けても大勝利じゃん、頑張れー!」
「がんばれウメタイチョォ」
圧倒的な乙女部隊の応援に、決して負けないと月海も応援をする。
パクッ、モグモグモグモグモグモグモグモグモグモグ、ゴクン。
パクッ、モグモグモグモグモグモグモグモグモグモグ、ゴクン。
パクッ、モグモグモグモグモグモグモグモグモグモグ、ゴクン。
ゴキュゴキュゴキュ、ぷふぅ。
パクッ、パクッ、パクッ。
ゴキュキュキュキュキュキュ。
パクッ、パクッ、パクッ。
ゴキュキュキュキュキュキュ。
パクッ、モグモグモグモグモグモグモグモグモグモグ、ゴクン。
パクッ、モグモグモグモグモグモグモグモグモグモグ、ゴクン。
パクッ、モグモグモグモグモグモグモグモグモグモグ、ゴクン。
ゴキュゴキュゴキュ、ぷふぅ。
パクッ、パクッ、パクッ。
ゴキュキュキュキュキュキュ。
パクッ、パクッ、パクッ。
ゴキュキュキュキュキュキュ。
パクッ、パクッ…………っっ!?
突然、雨女の手が止まる。
「鋼の胃袋を過信し過ぎたな、雨女」
「なっ、なんで!?」
八分を経過しようとしていた頃、50個程のクロワッサンを完食しようとした雨女の手が止まる。その光景に、乙女部隊の皆々がざわめく。
「うそっ、隊長の手がたったあれっぽっちの量で手が止まるなんて!?」
「一体何がっ?」
「まさか、一生ついていきながら好き勝手されたいという欲望が!?」
様々な声が聞こえてくるが、雨女は突然襲い掛かる満腹感に、冷や汗を流していた。
「俺は止まらんからな」
「あ、う」
掴んだクロワッサンを口に運ぶことが出来ず、プルプル震える雨女。
そして十五分が経過する。
「常時、六十二個、雨女、五十一個。勝負、ありじゃな」
「なんでぇ、どうしてぇ……好き」
「鋼の胃袋といえど、三百層を超えるこのクロワッサン。濃厚なバターをタップリと含んだ各層の生地は胃の中で大量の乳製品を吸収し、想像を絶する速度で膨らんでいく。その吸収率はまさしく鋼の胃袋殺し、時期にお前ならば食事を再開できるだろうが、スパートをかけるのは最後にしなければ、この勝負に勝ち目はなかった。それに、ルールにない手段を使わず勝負に挑んでくれたことは評価するぞ、雨女よ」
「うん……私の負け。好き」
鋼の胃袋を持つ者達は、カロリーを力に変える力もずば抜けている。そのため、何かしらの力を使う事でカロリーを一気に消費し、空腹状態へもっていく事も可能なのである。だが、雨女があまりにも巨大な力を駆使したばあい、椅子は砕け散りルールから違反してしまう可能性が非常に高かった。ポッコリと膨れ上がったお腹のラインをさすりながら、雨女は人生初めての敗北を味わう事となった。
「うん。好き」
「浮気の予感しかありませんわぁぁぁ」
月海は、そんな雨女の蕩ける表情を目にし、常時を守るかのように立ち塞がるのだった。
「そろそろ、そこの嬢ちゃんの事も気にかけて止んねぇの?」
そして王様は未だ、酢飯を手にとった姿のまま悔しさに明け暮れる秘妃美を案ずるのであった。
落ちていませんわぁ!
続く!




