月海
燦燦と日光が降り注ぐ中、深くフードを被った人物がある建物の扉を開いた。
開き戸がガララと音を立てると同時に、全身を冷ややかな風が包み込む。汗ばんだ額をぬぐうと、そのまま一歩、店内へと歩みを進めた。
「もう、ギブアッポォ」
バタン、と盛大な音を立て椅子ごと倒れる男を尻目に、歩みを進めていく。
「あら、いらっしゃい。一年ぶりかしら?」
全身を真っ白な服に身を包んだ男が話しかけてきた。中肉中背で、頭には目立つ縦長の帽子をかぶっている。
「復讐よ」
その言葉は、普段からは決して発せられることのない低い声色で発せられた。
フードをバサリと脱ぐと、そこから現れたのは金髪の女の子である。目つきは鋭いが、整った顔つきで誰もがその顔を見れば振り返る事が必須である。
そんな彼女の名は月海。
この飲食店に復讐をすべくやってきた少女である。
「ふふ、ちっとも背が伸びてないようだけど、大丈夫? ちゃんと食べてる? お子様ランチでも用意しましょうか?」
男は挑発的な言葉で煽ってくるが、そんな彼の台詞に臆することなく、月海は言い放った。
「唐揚げ定食、並盛よ!」
「……う、うおぉぉぉぉ!」
「やるのか!」
「まさか!」
一瞬でボルテージが一気に上がる店内。
昼下がり、食事に来ていた領民たちは一斉に月海の卓へと群がった。
「並盛、はいりぃまぁぁぁすぅ」
ソプラノボイスが店内に響くと、調理場から「ウゥス!」と野太い声が複数聞こえてきた。
「精々恥、かかないようにね」
そう言い残し、男も調理場へと姿を消していった。
「必ず……」
グッとこぶしを握り締め、着席する。
そして小声でもう一度、呟く。
「必ず、完食してやるわ」
暑い暑い夏の昼下がり。
一つの物語が始まろうとしていた。
しかし、何故この唐揚げ並盛定食をオーダーしただけでこんなに店内が盛り上がり、月海がこんなにも真剣にテーブルへついたのか、その理由は少し時をさかのぼる。
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壱週間前
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帝都から少し離れた場所に存在する、田舎町。
人口は3万程と、そこそこの人口を誇るこの町はいつもギリギリの食料事情だったが、領主がうまいこと切り盛りをしていた。そんな領主の頑張りを知っている貴族は皆々、食に関しては煩かった。
月海の家も例には漏れず、食に関しては非常に煩かった。
「食事を残す事は恥と知りなさい」
「ええ、今日も米粒一粒たりとも残しませんわ」
田舎町の貴族が、毎日のように食事前にやりとりするこの会話はそう珍しいものではなかった。
そんな食事を残す事が恥としていた常識がある中、帝都からやってきたある人物が一軒の飲食店を出店した。
店は毎日のように賑わい、縦長のコック帽を被った男が造る料理は特に絶品だった。
しかし、領民は次々と悲鳴をあげ倒れていった。
「チャーハンセット 並みで」
「チャーハンセット、並み一つ」
「ウゥス!」
コック帽をかぶった男がオーダーをとり、店内へと戻っていく。
店内はカウンター席が十席、テーブル席が四席、そしてお店の中央に丸テーブルが二席程あった。
来店した客は、この丸テーブルからオーダーをしていた。他のカウンター、テーブルへの客は専用のホールスタッフがオーダーを聞き、厨房へとオーダーを通していた。
客はまだ知らない。
この丸テーブルの秘密を。
「お待ち同様」
「おっ、美味そうだな」
丸テーブルには手のひらサイズの茶碗一杯に詰められた「白米」と、大皿に乗ったチャーシューが一本。
「あれ、俺ってチャーハンセット頼んだよ、な?」
続いて、「きゅうり」が一本、「沢庵」が一本、そして大きな深皿に並々と注がれたトマトスープ。
「ちょ、ちょっとお兄さん!?」
「はい? 何か?」
客は戸惑いを隠せない。
自分は「チャーハンセット 並み」を注文したにも関わらず、チャーハンは一切出て来ない。
それどころか、無駄にワイルドな数々の食料が運ばれ困惑が隠せなかった。
「俺、チャーハンセット 並み を頼んだよな!? 何なんだよコレ!?」
そう言い放つと、はて?と頬に手を当てて首を傾げて見せるコック帽の男。
「はい、チャーハンセット 並み、確かに承りましたよ?」
「承りましたよ! じゃねぇよ!」
「食事中はお静かにお願いします、お客様」
キッと睨みつけられると、何故俺が怒られている感じになっているんだと逆上しそうになる食事客。
だが、それで終わりでは無かった。
「お待たせウゥス」
「なっ」
客は絶句する。
「はい、お待ちかねのチャーハンよ。そこにあるオカズと一緒に食べてくださいね」
オカズ? 白米が? チャーシュー一本が? いや、きゅうりに沢庵も一本丸丸とか、おかしいだろう!?
「残す事は、恥ではありませんから。では、ごゆるりと」
混乱状態にあった客も、男の言葉にハッと我を取り返す。
「チィ! 絶対に残してなるものか!!! イタダキマス!」
目の前には炊飯器をひっくり返して出来たタワーの如く、巨大な円柱型のチャーハンがそびえたっていた。それも弐皿。
しかし、そんな異常事態にも関わらず「残すのは恥じゃないから」などと煽られれば、この領地で育ってきた男は引き下がるわけにはいかなかった。
生まれれ27年、一度も飯を残したことは無かった。
飯を残す事は生き恥だと教わってきた。
飲食店でまかりになりにも、こんな異常な量をだされようと男にはシェアする・引き下がるなどと言った思考は一切合切無かった。
そしてこの日、飲食店からは悲痛な叫び声が複数上がる事となる。
そんな「事件」を小耳に挟んだ貴族の娘、月海は居ても立っても居られなかった。
お忍びとしてフードを深く被ると、ドレス姿のまま颯爽と駆けた。
「許しませんですわ。私の生まれ育った町で、生き恥をかかせるなんて」
そして彼女は誓った。
私が完食して、そんな嫌がらせをする店を弾糾してやろうと。
「もう、こんな食事を粗末にすることはしてはいけませんわ!」
と、言い放ってやるのだと。
彼女は信じて止まなかった。
完食できない食事なんか存在しないのだと。
そして一時間後。
「も、もぉ、食べれま、、、せんです、わ、、、くっ、るしぃですわ……」
生まれて初めて食事を残してしまった。
「大丈夫ですよ、残った食事は肥料として次に生かす仕組みを取り入れてますから」
大丈夫!? 何を言っているのこの男は!? 絶対に、許せないですわ……。
心に深い深い傷を負い、ヨロヨロと席を立つと周囲からの視線に恥辱を感じながらも、復讐を誓ったのである。
その後、月海は策略を練りに練った。
もう、弐度とあんな恥辱を味わわないように。
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そして今日
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復讐の時は、訪れた。
オーダーしたのは「唐揚げ定食 並み」。
唐揚げが十個大皿に乗ってくるこの定食だが、何故か一つの唐揚げが鳥丸丸壱羽なのだ。
そして白米が炊飯器三つ、それぞれ三合炊きの出来立てが提供される。
食べるタイミングで炊飯ジャーをあけて、茶碗によそうスタイルだ。
そして十個の唐揚げの底には並々と盛られた千切りキャベツ。新キャベツで歯ごたえは抜群、鮮度も高く謎の油が食欲をそそる。だが、きっとこのキャベツも1玉丸丸では収まっていないだろう。
そして必ずついてくる大皿のトマトスープ。ゴロリとホールトマトがこの深皿の奥底に眠っているのは前回の食事時に既に知っている。
「パァジ!」
人目も気にせず、月海は最初から全力を出すべくコルセットの紐を解く。
外を歩いてきたためか、熱気がブシュゥと音を立てながら封印が解き放たれていく。
「さぁ、始めるわよ」
唐揚げの乗った大皿、炊飯器、そして大皿で深皿のスープが届いていく。
目の前に、月海はおもむろに唐揚げを箸で掴んで見せる。
「はむっ」
もきゅもきゅもきゅ、ゴクリ。
パク、ムニュゥ、もきゅもきゅもきゅ、ゴクリ。
無心で唐揚げを食していく。
口の中で広がる深い味わいは、一瞬で心を穏やかにしてくれる。
ふわりと甘い油はきっと高級な油を使っているに違いない。
火加減も最高で、歯を通すとスゥと肉がほどけ、唐揚げを手前に引くとムニュゥと大した力も必要とせず口の中に適量な肉の塊となり流れ込んでくる。
ここの料理は絶品である。
だが、ただただ量が異常であった。
丸丸一羽分の唐揚げを食すると、既に満腹感が襲ってきている。
前回の記録はご飯二号と唐揚げ一つという、大敗を記した。
だからこそ、食べ方の勉強を月海なりに精一杯行った。
まず、糖質を持つ白米と同時に食べ始めるとどうしてもスグに満腹になってしまう。
ならばと、オカズと白米をそれぞれ別々に食べてみる事で、食べれる量が1.2倍程に膨れ上がった。
そして、満腹になればなるほど油が多い物を食べるのが苦しいのだ。
そう、苦しいのだ。
決して残してはいけないのに、食べ残してしまいそうになる程苦しくなってしまう。
つまり。
油分の多いものから食べ、流し込めるものを後に持ってくることで更に食べる事が出来る量を増やす事に成功した。
後は、封印を解くことで、無限に食事をとる事が出来るに違いないと月海は判断した。
こうして、彼女の計略は牙を剥いたのだった。
「うっ、くっ、、、もぉ、あぁ……」
そして唐揚げの三つ目に差し掛かった時、既に月海のお腹は膨れ上がっていた。
それはもぉ、人様には見せられない程に。
「あらぁ、残しても恥じゃないのだから、無理はしちゃーダメよぉ?」
「くっ……わた、しは、、、絶対に、負け、ない!」
唐揚げをそっと皿に戻すと、白米をよそった茶碗を手に取った。
だが、その手は震え、箸は一向に動く気配はなかった。
「なんで、なんでよ、私の手は、なんで私の、思い通りに、動いて、くれないのっ!?」
食べる意志はある、でも体が全力で拒んでいる。
また、恥をかけというの私!?
こんなはしたない真似を、二回も人生で味わわなきゃいけないの!?
「あぁ、、、あ゛ぁぁぁぁ」
絶叫。
そして、ゆっくりゆっくりと箸をテーブルへと置く。
こうして、人生二度目の完全敗北を味わう月海であった。
「へぇ……」
そんな絶望と恥辱を味わう彼女を見つめる人物は、そっとカウンター席から立ち上がると丸テーブルへと近づいていくのであった。
続く!