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ファスナー

 一般的なサラリーマンだが少し変わった職業についているとある男に起きた不思議な話。彼の仕事は短い言葉で広告や宣伝文句をつくるコピーライター、だが彼は窓際族。昔はそこそこいい仕事をしたのだが、ある時からモチベーションを失って、いまではほとんど簡単な仕事しかまわされなくなった。いつからか当人もそれでいいと思いはじめていたが、情熱は心のどこかにあり、いつのひか同僚や上司を見返してやろうといつでも手帳にアイデアを練ったり、試行錯誤していたのだった。しかし、つくってはきえてつくってはきえる文字をメモしては消したりしているうちにへきえきして、またもやモチベーションを失う悪循環に陥るのだった。


そんなある日、いつものように窓際の席で小さな、だれでもできそうな仕事をこなす毎日の中、時折思い浮かんだアイデアをメモしたり、ひじをついて考え事をしていると、目の高さに浮かんでいるファスナーを発見した。それにどこか懐かしさを覚えた。初めは見間違いかとおもって目をこするが、それはたしかに、空中にうかんでいた。何度見返してもきえないので、なんとなくそれにてをつけ、ツマミをつかみジリジリとあけると、まずなんの変哲もない向こう側の景色が見える。そのファスナーを同僚に指摘しても、“何もないじゃないか”で返されるだけだった。

“ついに妄想にとらわれるようになったか”

くやしさがにじんだ。才能があると思って入社したこの会社、いい成績を残したのは初めのうちだけで、最初は期待の新人と期待されたが、競争は激しく上には上がいるものだ。今ではぱっとするアイデアを思いつくことさえなくなった。日に日に消耗していく自分の神経や、よわっていく精神をみて、まだイケイケの同僚の背中を恨めしく見たこともあった。


そんなある日、いつものように窓際で小さな仕事をしたり、時にアイデアをまとめたりしていると、例のファスナーが空中に出現する。またか、と思いほかっていたが、あまりにアイデアを出すことの邪魔になったので、それを思いっきりあけてみた。

 『ん?』

何の変哲もない景色、の向こうに、文字が浮かんで見える。しかしそれには法則がるような感じがした。しばらく覗いたり覗かず外側からみて、その違いを確認した。そのファスナーからのぞいた“人”の周囲に文字が浮かんで見えるのだった。何度覗いても繰り返されるその光景に彼は“もしや”と思い至った。彼は昔から周囲の人間の特徴や、性格をよく理解するタイプで、彼の直感がそのファスナーの特異な能力をそう確信させた。

“これは、人間の考えていることがわかるようになるファスナーなのか”

と、よくみていると、躓きそうになるときには、危ない、という文字が浮かんだり、退屈そうにしている同僚が仕事のことばかり考えているようだったり、意外な彼らの思考の傾向にきづいて、それをメモしはじめた。そうするうちに売れている同僚の考えがわかるようになり、彼の手帳にはこれまでよりも数段レベルの高い文句やワードが書き込まれていくようになったのだった。


彼は徐々にだがまた、以前のように少しずついい仕事を任されるようになっていった。ライバルのB氏というのがいたのだが、彼を目の敵にしていて、彼が落ちぶれていくのをどこか喜んでいたようだったが、彼がまた這い上がるのを見ると、会社をやめ、どこか別の会社へ就職したときいた。彼は喜んだ。彼との間には因縁がいくつもあったのだ。


彼がいなくなって彼は生成したところがあったのにはもう一つ理由もあった。モチベーションを失った理由、それが人にネタを盗まれたことだったと思いだした。そう、そのB氏に自分の手帳を盗まれたのだ。彼は気弱だったためその事実を目撃しながらも黙っていた。B氏はもともとうだつのあがらないコピーライターだったが彼の手帳を盗んでからめきめきと頭角をあらわしていったのだという。

 

 そのB氏がいなくなった、いくにちかの夜、彼は、家に帰りすこし気が楽になったあと、夢をみた。件のファスナーが開き、そこから手がとびでてくる。一瞬彼はひるみ冷や汗をかいたのだったが、どこからか、自分の手帳、いつしかなくしたB氏に奪われた手帳を取り戻し、自分のてもとへ返すのだった。

 その朝すべてを思い出したのだった。件のファスナーである。それは口がうまく人気ものだった祖父が、いつもはおっていたコートのファスナーの形にそっくりだったのだ。祖父はいつもいっていた。

『苦悩はいずれ形を出す、それがどんな形かわからなくとも』

そういう祖父のいう事をきいて、窓際にいてもずっとメモをとりつづけ、苦悶しつづけた日々を思い、もうひとつ彼は記憶をたどった。小さいころ祖父のようになりたかったこと。誰よりも口下手で人見知りだった幼少期の彼は、祖父のように口がうまい人間になること、それが不可能だと理解していたのだった。そこで祖父の言葉をまねて、祖父の放った言葉や、それによって自分が思いついた言葉を、いつも持ち歩いていた手帳にメモしていたのだった。いつだったか、それを祖父がほしがっているのだと祖母からきかされた。自分はいやだったが、一枚だけならと、祖父の誕生日にそのメモの紙切れを渡したことがあった。祖父は大喜びして、それはきくところによると祖父は生涯大事に例のコートにいれて持ち歩いていたらしい。あれは時間をこえた恩返しだったのかもしれないと彼は思った。


 だがしばらくして、その効果を疑問に思い始めることもあった。ファスナーは相変わらず自分の目の前に現れ自分の手助けをする。だが自分が元気になる一方で会社が元気を失っていく気がした。そして彼はついにファスナーが同僚の分のアイデアまで吸い取っているのではないかと思いはじめたのだ。自分が再び頭角を現したせいか会社を辞めた人間や、能力が落ちているような人間が多いような気がした。そこで彼は一大決心をして、すべてを打ち明けようとした。


ある日、さけの席で、同僚たちにすべてを暴露した。かつて自分がこのような仕事をしようとおもったきっかけになった祖父のこと、祖父に関する夢のこと、それから、ある人物に手帳を盗まれたこと、同僚たちはほかの話は真剣に聞いていたが、ファスナーのことをわらった。

“そんなことか”“あなたはもともと観察力がある人だ”

と、すべては自分の勘違いだという。彼の考えたアイデアに近いものを誰も考えたことはなかったし、むしろ、自分たちの考えの先をいっていたと。それに、能力の波があるのはこの仕事だし、おかげでやめる人が多いのは普段のことだという。


彼は安心して、しかし前より人に気を配り、助けを求められたらヒントやアイデアをかすようになり、会社で人気の人物となっていったという。それから落ち込んでいたように思えた会社の雰囲気もよくなり、彼は手帳をより一層大事にしていると、いつのまにか件のファスナーは彼の目の前に現れなくなったのだという。





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