4 紡がれる物語
「あ! ルピナス殿、お疲れ様です」
「うん。ありがとう」
翌日。
休暇明けに出勤した東公領騎士団で、ルピナスは至るところから歓待を受けた。今までも遠巻きに眺められることはあったが、より近くから声をかけたそうに見つめる新米騎士や、顔見知りの気安さで「聞いたぞ! 良くやった!!」と、背中をバンバン叩きに来る猛者も少なくない。
ゆえに、もの柔らかに労ってくれる一般兵卒の存在は何気なくとも有り難い。
――――いちおう、昨夜の捕り物は“非公式”となったので……。
科人、アドニス・バーゼット。
明確な罪状は王太子妃アイリスへの侮辱罪、ひいては王太子サジェスへの不敬罪。
アイリスの弟ルピナスを身代わりに手籠めにしようとしたことや、その際に薬を盛ろうとしたこと。また、同じ手段を用いて数多くの男女を辱めた点も罪として挙げられる。
つまり、アドニスは騎士団だけでなく、まともな貴族や商家においても要注意人物だった。
被害者は彼らにとって身内であったり、婚約者であったり、友人の縁者であったり。ほとんどが泣き寝入りを強いられた者たち。
結果、すすんでアドニスに抱かれたいと願うご夫人以外、誰も彼と関わろうとはしなかった。
それが、エスト公爵家の客分であるルピナスみずからバーゼット侯爵家に乗り込み、婚約者ミュゼルとともに彼の罪を暴き立てたのだから。
もうもう、ふたりとも完全に時の人だった。
ちなみにアドニスの淫行の犠牲者には、気の毒なメイドや下働きも含まれる。
よって、経緯は爆発的な勢いで広まった。
いくら侯爵家への配慮で非公式とされても、ひとの口に戸は立てられないものである。
「ルピナス殿。今日はもう上がっていいですよ」
「はあ」
やがて騎士団長からも早上がりを許可され、ルピナスは帰路についた。
まだ昼前。
降り注ぐ陽光の木漏れ日に、光そのもののような婚約者の姫を思い出して。
* * *
「――でね。アドニス殿には、親同士が決めたご婚約者がおありだったの」
「ふうん」
帰邸後、びっくりしつつも満面の笑みでルピナスを迎え入れたミュゼルは、すぐさま厨房でお弁当を注文した。せっかくだからピクニックにしようと言うのだ。
曰く、食堂や部屋ではいつ兄に乱入されるかわからないから、と。
コケティッシュな笑顔とお茶目な提案に、ルピナスはもちろん快諾した。
そうして、主に邸から景観として楽しむために造られた丘に布を敷き、バスケットから料理を取り出した。
(※エスト家のメイドたちは本日も優秀だった。彼女らは野外用ポットで紅茶を淹れたあと、全員持ち場に戻っている)
そよぐ秋風。春と見粉う陽気がぽかぽかとふたりを包む。蓋付きの器を両手で支えたミュゼルは、こく、と紅茶を飲んでから再び話しだした。
「おとなしいかたでね。家格がひとつ下の伯爵家だからと、派手やかな美貌を好まれるアドニス殿から軽んじられていたようなの。もう、わたし、頭に来ちゃって」
「……バーゼット候爵夫人に根回しを?」
「そうよ。いけない?」
「いや、快刀乱麻を断つやり方だったと思う」
「ふふっ」
褒めて褒めて、と言わんばかりの婚約者の姫がいとおしく、ルピナスはそっとミュゼルの肩を抱いた。ミュゼルは素直に寄り添う。
が、思い出したように頬を赤らめ、ぼそぼそとこぼしだした。
「あのね、現場を抑えるのが早かったのは…………その、心配だったからよ。信じてはいたし、手は打ってあったにせよ、貴方が、他の」
「うん」
「貴方にはとても不愉快な思いをさせるとわかっていたから。……ごめんなさいね。やっぱり踏みたかった?」
「もういいよ。こっちを向いて? ミュゼル」
――――声が。
表情が蕩けるほど甘くなっていることに、ルピナスは気づいていない。だから、おずおずと視線を上げたミュゼルがたちまち真っ赤になってゆくのを、ひたすら可愛いと感じていた。
自然にかさなる唇や、合間に漏れる吐息、クスクスという笑い声に満たされるものがある。(ここが野外で良かった)と、ルピナスは心底思った。
「はあ……早く結婚したい」
「気の早い未来の旦那様ね? 挙式は北公都で、しかも再来年でしょう。今、ルピナスが東公都に来てくれているみたいにわたしも行かなきゃ。色々と教えてね?」
「詳しそうなひとを紹介するよ」
「ありがとう存じます」
腕のなかでにっこりと笑うふくよかな美少女に、ルピナスは堪えきれず、もう一度深く、ゆっくりと口づけた。
(――……本当は……)
本当はわかっている。
人心掌握であれ、人脈作りであれ、場を読み、流れを作り出す。よい風を招く。その才がミュゼルには備わっている。
また、それこそが本来は一国の王妃に求められるもの。資質でいえば彼女こそが王太子妃に相応しかった。
認めれば認めるほど胸苦しく、切なく、だからこそ一層早くミュゼルと結ばれたい。
満たされる分、同じだけ不安になる自分がいた。
「ん、ルピナス」
「ミュゼル……」
流石にそろそろ。
どちらともなく、動きを止めて耳をそばだてた。
互いに目を見合わせて笑う。邸の方向からレナードの悲嘆の声が聞こえた気がしたのだ。
「戻ろうか」
「! っ、そうね。空耳かもしれないけど」
まだほんのりと色づくミュゼルの手をとり、てきぱきと片付ける。すっかり片手で敷布とバスケットを抱えると、もう片方の手で彼女をいざなった。
節度ある関係を維持しつつ仲を深めるふたりに、怒れるレナードも渋々と認めざるを得ない。
『本当にお似合い』と。
いまや公邸でも街なかでも囁かれる。
――――夜色の公子様と夜明け色の姫君の物語は、まだ始まったばかり。
fin.
短いエピソードでしたが、婚約期間中の事件ということで全4話にまとめてみました。
また、その後のふたりに何かあれば書く……かもしれませんが、一旦はここまで。
お読みくださり、ありがとうございました(*´ω`*)




