7 贈りものと、未来への ☆
高級住宅地から雑多な市を通り抜け、港に近づくにつれて長閑さを増す路地を行く。白い石壁に挟まれた段々道はゆるやかな下り坂で、水色の空と紺碧の海がくっきりと切り取られていた。
レナードが上着を脱いでいたのもわかる。
東都エスティアは一年を通して陽光がまぶしい。ところどころに垂れる花や葉を繁らせる緑のアーチは、通行人の目を楽しませつつ、つよい日差しから身を守るためにあった。
ソラシアは、その木漏れ日の下を選んで歩いた。
レナードが口をひらいたのは、そんなときだった。
「ソラシア殿。私……いや、僕には、ちょっと変わった“能力”がある。妹から聞いている?」
「はい。魔法や魔力を『匂い』として感じとるお力ですね。素晴らしい賜りものです。でも、王都で不調になられたと」
「――ソラシア殿」
「おひとりで、我が領で生産された品を大量に検分されたとも伺いました。魔力暴走に近いのではないでしょうか? わたくしどものせいです。……本当に、申し訳ないことです」
――――――――
申し訳ないこと。
そう言うなり俯いてしまった彼女に、レナードは唇を噛んだ。
違う。そんな顔をさせたいわけじゃない。
“能力”は昔からゼローナで時おり見られる、貴賤を問わずに個人が授かるという不思議の力だ。
いちばん有名なのはゼローナ王家に伝わる“転移能力”だが、本当は、誰しもが特別なギフトを備えるのだという。ただ、発現するのが稀なだけで。
少なくとも神殿ではそう説かれているし、発現の有無でひとの優劣を競うことは推奨されていない。
そもそも、大きすぎる魔法の力じたい、平和なゼローナにおいて使われることはほぼない。
例外として、ルピナスの生家であるジェイド公爵家の所領――北方国境付近――に生息する、獰猛な魔獣を討伐するときくらいだろうか。
レナードのギフトも、そう。
自分にとっての『これ』は長らく無用の長物でしかなかったが、外つ国に赴いた途端、事情が大きく変わった。
たとえば、商会の仕事で偽の魔道具を掴まされそうになったり、精神魔法のたぐいを仕掛けられそうになったり。
そこで、ようやく役に立つものだと理解したのだ。
春の事件――アデラの元・暗殺者シェーラや、彼女が作り出した呪いの品々を見つけた際も。
いまの暴走気味の『これ』だって。
不調というよりは――むしろ。
ぐっ、と眉間に力を込めたレナードは、(届いてくれ)と願った。
届いてほしいのは真意だ。
社交や商売にありがちな駆け引きなんかじゃない。
紛いものの恋の数々でも、作法として要求された『ことば』でもなく。
「……信じてもらえるかな。僕は、こう見えて鈍感で」
「はい?」
きょとん、と空色の瞳が瞬くのを見て、胸のなかで喜びと不安の両方がせめぎ合う。
足はとっくに止まっている。彼女の下宿先は角を曲がったすぐそこだ。伝えないままに機会を手放すなんて、あり得ない。絶対にわかってほしかった。
ふと、見下ろした茂みに咲く白い花を手折る。どの庭にも属さない様子から、自生のようだった。みずみずしい花弁からは清涼な香りがした。
「じつはね。妹にも言ってないんだが。ほかの令嬢たちと違い、君の魔力には香りがないってわけじゃない。母や妹は無臭だったけれど、それは僕の血縁だからだと思う」
「え? あぁ、なるほど。ミュゼル様や夫人は、魔力の質がレナード様と似ているのですね。わかります。では、わたくしは?」
「はっきり言おう。好きなんだ、すごく」
「!!!!? す……ッ!??」
色白の彼女の肌が首の上から耳の先まで、みるみるうちに染まってゆく。
自分も同様だとはわかった。しかも、道行く人びと(※少数)までが、ババッとこちらを二度見した。あげく、すばやく目を逸らされた。錯覚か。(※違います)
向かいのベンチで世間話をしていたご婦人がたも黙ってしまったが、なんで聞こえるんだと内心突っ込みつつ、このまま彼女に意識を集中させる。
――――ロマンチックさに欠けるのは仕方ない。彼女のタイムスケジュールは過密すぎて、ガードも堅かった。こんな移動中でもなければ警戒心を解いてくれそうになかったのだ。
レナードは、そっと手にした花を差し出した。
「君の魔力はやさしくて、たおやかで、可憐で。静かなのに広がりもあって。側にいると……その、どうしようもなく幸せになるんだ」
「レ、レナード様!?」
「それで、気がついた。最初から君を好ましく感じていた。妹の付き添いとして図書館に行って、話すようになってからも、ずっと」
「……ですが、それは……今のご不調が治られれば」
「消えない。絶対に」
「!」
わななき、涙目になる彼女をいとおしく感じる。この気持ちがなくなるだなんて、到底思わない。
――ギフトの変調が治れば? そんな仮定すら意味をなさない。
吹っ切ったレナードは、だが一つだけ格好のつかない事実に気が付いた。困り眉で肩をすくめる。
「もし。迷惑でなければ受け取ってほしい。すまない。もっとちゃんとした贈り物を用意しておくべきだった」
「そんな。いいえ。……いいえ、レナード様」
ソラシアは、目じりの雫を指で払ってから、はにかみながら花に手を伸ばした。「ありがとうございます」
唇の形。吐息だけで囁いて。
「!!」
もう、衆目なんて関係なかった。
満面の笑みで彼女を抱きしめるレナードの耳に、腕のなかから可愛らしい叫び声と、辺りからやんやの拍手と口笛が飛び込んできたのは、そのすぐあとだった。
* * *
「ふうう〜ん? おめでとうございます。おふたりとも。わたしも嬉しいわ」
「ありがとう、ミュゼル」
「あ、ありがとうございます……ミュゼル様」
後日、相当遅れて報告を受けたミュゼルは、呼び出された大図書館のカフェでふふん、と余裕の笑みを浮かべた。もちろん、あの日の直前までもだもだと迷いきっていた、兄に向けてだった。
兄がソラシアを憎からず想っていることなど、身内として一目瞭然。なぜ行動に移さないかのほうが疑問だった。
問い詰めて聞き出した理由が「自信がない。唐突すぎる」なのだから、繊細にもほどがある。
よって、今回の王妃の善意について滔々と。
ほか、公爵夫人である母もみずからの伝手を駆使して見合いの場を設けるに決まっていると唆し、さんざん焚き付けた甲斐があったというものだ。
そうして一転、にこりと目もとをほころばせてソラシアを眺める。
…………幸せそうで仕方ない。
その眼福と罪深さ(※主にレナードが背負うべき)を堪能し、レナードへと視線を戻す。
「で? 良い方法はあって? お兄様」
「ああ。ソラシアの継ぐべき領地と爵位。それに、私の立場だね。婿にはなれないから」
「そうよ。お忘れかと心配になりましたけど。わたし、来年からは北都で花嫁修業ですからね?」
「わかってる」
蜂蜜色の瞳を剣呑に細めた兄が、いったい誰を思って声を低めたのか。
ミュゼルは、やれやれとソラシアに問いかけた。
「ソラシア様。こんなに大人げない兄ですけど、大丈夫かしら?」
「もちろんですわ。わたくしだって、ミュゼル様が遠くに嫁がれるのは、本当は寂しいですもの。兄君でいらっしゃるレナード様は尚のことでしょう」
「…………ええ。わたしもよ? ソラシア様、ありがとう。兄を好きになってくださって」
「??? は、はい」
目をぱちくりとさせる黒髪の可憐な美女。
彼女はのちにガーランド女男爵にして、エスト公爵夫人と呼ばれるようになる。
豊かとは言えない所領では、新規産業の目処も立っている。
万事控えめでほっそりした外見ながら、的確な経営手腕は持っていると見た。やがて彼の地をみごとに盛りたて、男爵位そのものはエスト公爵家に『委ねる』のだろう。
由緒正しく栄え続ける東公・エスト家には、いくつもの爵位や飛び地がある。
ガーランド男爵領もその一つとすることに、彼らの親たちが異論を唱えるはずもない。
――つまり、そういうこと。
「ところでソラシア。もう、下宿先から公邸に移ってもいいんじゃないかな? いまみたいに、僕がお忍びで通うのも楽しいんだけど」
「〜〜!!! だっ、だめです! ちゃんと公爵様たちが戻られて、きちんとお許しをいただいてから」
(うわあ)
思いっきり目の前で繰り広げられる未来の兄夫婦のやり取りに、ミュゼルが扇の下で赤面してしまったのは、当然のように秘密。
こんなことがあったのよ、と。
その夜、王都でがんばっているに違いない婚約者殿に向けて、嬉々と手紙を書くのだった。
fin.




