7 異国の女
濃い黄土色の縁に区切られた、縦縞の赤と紫。
極彩色の切れ端に見えたのは、砂色の外套から覗く幅広の帯だった。
ひらり、ひらり。たっぷりと房を付けたそれが、前を行く人物が歩くたびに腰の横で艶やかに揺れる。
(女のひとだ。……一人? どこへ)
――――ドンッ
「! きゃっ」
「おっと。危ねえなぁ」
「ご、ごめんなさい」
途中、相手を見失わぬように跡を付けるのは至難の業だとわかった。ミュゼルは肩をぶつけた男に謝り、慌てて視線を戻す。
すると、するり。
しなやかな猫のような足運びで異国の女は消えた。
否。角を折れて右側の建物の影に入ったのだ。
(いけない。追わなきゃ)
誘われるようにミュゼルも駆ける。飛び込む。
赤いレンガ造りの建物がずらりと並ぶ界隈。埃っぽい細道。そこは、この辺りでは一般的な貸し倉庫群だった。
――通ったことはある。知らない道ではない。
それが慢心に繋がったと言えなくもない。が、猶予はなかった。
女の姿はすでになく、それでも一本道だからと意を決して走り出す。
次の瞬間、ミュゼルは息を呑むほど驚いた。
「ねえ、ちょっと」
「!!!」
ザァッ、と足を滑らせて急停止。
いくらか通り過ぎた倉庫の隙間の暗がりに、すっかり見失ったと思っていた尾行の相手がいた。
(しまった。ばれてた……?)
引き返し、そろりと声のしたほうを覗く。
フードを目深に被り、ご丁寧に口布をしているので容貌はわからない。ただ、砂漠の民特有の飴色の肌なのはわかった。
走るのを止めても動悸は走ったままだ。さて、何と言おう。
平静を装ったミュゼルが忙しく考えを巡らせる間に、女は顎をそびやかし、居丈高に問いかけてきた。
「あんた何者? あたしを追って来たのよね。役人には見えないけど」
――役人。
その一言が、女が裏稼業の人間であることを如実に表していた。彼女が『当たり』ではなかったとしても、がぜん警戒心が湧く。
ミュゼルは、ぐっと肚を据えた。ここは。
「あなた、アデラのひとね。わたしは、ここよりずっと南のベルダンディーってところから来たの。いちおう商家の娘よ。王都で、女性向けに流行ってるアデラ渡りの品があるって聞いたから。仕入れに来たの」
「へえ。どこから?」
「東都の貴族のかた。名前は言えないわ」
「ふーん」
女は気のない相づちで首を傾げ、ごそごそと袖の袂を探った。チリン、と鈴が鳴って、帯とよく似た房が付いた香袋が出てくる。それをゆらゆらと所在なさげに揺らした。
鼻につく、ちょっとスパイシーな甘い香り。
ミュゼルは本能で少し後ずさった。女は半歩、にじり寄る。
「ああ、この香りね。気にしないで。うちの部族は、商談では必ずこれを使うの」
「――え? あぁ」
「で、商談。いいわよ、売っても。いくら持ってる?」
「!」
当たりだ、と内心で快哉を叫んだミュゼルは同時に素早く算段を立てた。
彼女とは後日、ふたたび連絡を取れるようにしなければならない。でなければ、尻尾を掴んだとは言えないからだ。
喜々と見えるよう演技しつつ背の荷袋を下ろす。中から、軍資金の入った小袋を取り出して見せた。
「相場はいくら? さっき別の薬草を仕入れちゃったから、手持ちが心もとないの。けど、商品を売り捌けばまとまった金額になるわ。時間をくれるなら」
「……白粉なら、一つ八千フルール」
「わかった。四万フルールあるわ。確かめて」
女が、香袋を出した袖とは反対の袂から、今度は白粉らしい小箱を五個取り出す。(便利だな)と、顔に出たのかもしれない。女は口布越しに笑った。呆気ないほどにスムーズな商談成立だった。
白粉を荷袋にしまう間に相手も財布の中身を確認したらしい。一つ頷いてすれ違う。香りが濃厚になった。
反射で、うっと呻く。あまり好きな匂いではない。
「まとまったお金ってどれくらい? いつ作れる?」
「……三日後なら。五十万フルールくらい」
それくらいあれば、父と兄に報告して騎士団への手配も完備できる。周囲をこっそりと囲んで捕縛できるだろう。
金銭ではなく『繋ぎ』を作りたかったミュゼルは、心で強く拳を握った。
よし。捕れる。
もう一度背格好を確かめようとして振り返ったが、なぜか視界が傾いだ。
(? あれ……? どうして)
ふわふわと意識が霞む。心の深い奥底ではやばい、と警鐘が鳴った。――記憶はそこまでだった。
どさりと落ちる音は、荷袋か。自分の体か。
くたりと横たわるミュゼルに、女が微笑む。
「ごめんなさいね、一応、人づてに警らの騎士でも呼んであげる。三日後はちゃんと、取り引きのことだけ覚えていてちょうだいね」