6 君を、待ってた。
「それで? それから、どうなったんですか?? ガーランド先生」
「え、ええとですね。公爵子息様は、とてもやさしくて。リードもお上手で。……夢のようでした」
「すてき! いいなぁ。わたしもいつかきれいなドレスを着て、キラキラのホールで踊ってみたいです……!」
「まぁ。ホリィさんったら」
翌週。
家庭教師先で約束通り舞踏会のことを話し出すと、ふだんからおしゃまな教え子の食いつきようときたら、お勉強のときの比ではなかった。いまや両頬に手を添え、うっとりと想像の世界に羽ばたいている。
でも、気持ちはわかるな、と、ソラシアは笑んだ。
――自分も、未だ夢見心地なのだから。
* * *
うららかな秋の日差しが心地よい一室は、バターの効いた焼き菓子とハーブティーの香り。それに、とめどない話し声と笑い声。とにかく朗らかだ。
今日は子ども部屋ではなく、模擬茶会という名目で奥方のサロンを借り受けている。
ホスト役を名乗り出てくれた奥方は、いそいそと紅茶のお代わりを用意してテーブル席へと戻ってきた。
開始から小一時間。もはや、ほとんどお喋り会でしかない。
(……これでお給金をもらうのって、どうなのかしら)
ぼんやりと心配になるものの、奥方もちいさな教え子も楽しそうだ。
じっさい、爵位ある家の者しか参加できない舞踏会は、平民層にとって敷居が高い。その仔細ともなれば関心の度合いも高いのだろう。
昨今は裕福な商人層もあちこちの夜会に招かれており、へたな貴族よりよほど羽振りが良かったりするのだが。
そこへゆくと、我がガーランド男爵家は立派な『へたな貴族』。
正直、一夜の夢が醒めてしまえば現実に帰るだけ。
いたずらに夢の余韻を引きずるの良くないと、戒めているのに――
「先生? どうなさったの? お話つかれちゃった?」
「! あ、いいえ。大丈夫ですよ。――そうそう、舞踏会には王都からのお客様もお見えでした。そのかたが仰るにはね、最近のドレスの流行は」
「「!!!」」
教え子の指摘に内心どきっとしつつ、ソラシアはことさら華やいだ話題を提供した。
これにはふたりとも目を輝かせたが、結局、ご婦人には敵わないというべきか。
帰り際、奥方にはこっそりと訊かれてしまった。
「ね、ソラシア嬢。レナード様とは、ひょっとして……?」
「いいえ。まさか」
ソラシアは笑顔で否定した。
あのときはお気を遣っていただけただけ。家格が違いすぎますもの、と。
そう告げれば皆、最終的にはすんなり引き下がるのを学習している。
――――だって、あの夜の翌日から今日に至るまで。
それはもう、ありとあらゆるご令嬢から突撃を受けた。「ごきげんよう」と、にこやかに去るまでがワンセット。慣れっこだ。
そうして複雑さも噛みしめつつ、ソラシアはとぼとぼと石畳を歩いた。
* * *
日は高く、治安の良い通りを選んでいる。
だから、最初は耳を疑った。
「やあ、お疲れ様。いま、いいかな?」
「――は?」
「おっと。なかなかの塩対応だ。流石、しっかりしてるねぇ」
「! えっ、ええええぇ!!? な、なぜここに」
「しっ。ごめん、驚かせて」
次いで、目を疑った。
家庭教師先を出て幾ばくも歩いていない。
そのひとは見慣れた街の景色に馴染んでいるようで、やっぱり、少しだけ浮いていた。
ストロベリーブロンドのくせ毛は、つばの付いた深緑の帽子に隠れている。顔はそのまま。
あの夜と同じ、『甘い』と感じるのは自分の甘さなんだろうか……? まるで夢の続きのようにやさしい微笑だった。
レナードは人差し指を口に当てている。
あっ、と、ソラシアも口を押さえた。あやうく人通りの多い場所で名前を呼ぶところだった。
いつもと違い、裕福な平民層という出で立ち。ストライプ柄の綿シャツに茶色のベスト。グレーのズボンに黒い紐靴。揃いの上着は軽く畳んで腕に掛けているので、暑いのか、走ったのか……――
そこまで考え、きょろきょろと辺りを見回す。
木陰にパラソルを立ててテーブル席を設けたカフェを見つけ、それとなく示した。
「あの、よろしければ飲み物でも? それとも、どなたかと待ち合わせでしょうか。護衛のかたはお連れしていないようですが……」
「いや、たしかに供はまいて来たけど。用があるのは君だよ、ソラシア殿」
「っ」
近い。
ダンス用のヒール靴ではなく、ふだん使いの靴では、レナードは更に長身なのだとよくわかった。
図書館で会ったときよりも、ぐっと迫る質量感。いつの間にか、ホールドを組んだあの夜と同じくらいに近付かれて。
息を飲んだソラシアに、レナードは再びほほえみかけた。
「あれから、僕の仕事を急いで片づけたってのもあるけど。ずっと、ふたりで会えないかと思ってた。なのに、君ときたら毎日働きっぱなしなんだから」
「あ……」
逸らした顔を覗き込まれ、身を引こうとした矢先に捕まえられた。そっと手を握られる。
レナードは、あの夜とはどこかが違う、まっすぐな瞳で告げた。
「せめて、君の下宿先まで一緒に歩かせて。その間に、聞いてほしいことがあるんだ」




