5 澄んだ花のようなひと
ホールに戻ったレナードは、手始めに一塊になっていたローエンベル家の当主らと歓談を始めた。
周囲からの視線は感じたものの、ワルツは会場を満たしていたし、あぶれる令嬢がほとんどを占めるのは目に見えていたため、伯爵家が自腹を切って彼女らの好みそうなスイーツビュッフェを設けるなど対策を講じていた効果は大きい。
また、大手宝飾品店のマダムや、ゼローナ王都の流行を牽引する人気の服飾デザイナーが王妃から派遣されていた点も奏功した。自然、少女たちはおおむね、自由に楽しんでいる。
付き合いでダンスをする令嬢たちもちらほらとおり、場はそれなりに落ち着いていた。
* * *
(よかった。無法地帯ってわけあじゃなさそうだ)
給仕から飲み物を受け取ったレナードはあえてすぐに踊らず、いぶし銀の紳士諸氏らと語らった。
これにローエンベル伯が「ところで」と、横合いから話しかける。
「いかがでしょう? レナード殿。目当ての令嬢に声をかけづらいのでしたら、私から同伴者を通して打診してみますが」
「いいえ、それには及びません。ありがとう」
「しかしっ」
よほど王妃からきつく言い渡されているのか、余裕のない壮年男性に、レナードはとっておきの甘い笑顔を披露する。
「お気持ちは嬉しいのですが、妹がまだ到着していませんから。せめて、最初は妹と踊らせてください」
「! ああ……、それはたしかに。考えが行き届きませんでしたね。失礼を」
「いえいえ」
ほっと息をつき、大扉のひらかれた入口を見遣る。
なにしろ、個人差はあっても令嬢たちの魔力は強い“香り”となって発露していた。
言葉を飾るならば百花繚乱。
ありのままを述べれば、無秩序な匂いの競演は近付いたが最後、激しい頭痛をレナードに引き起こした。(※すでに実証済み)
憂える若君と化したレナードは、さいわい紳士たちからも令嬢たちからも好意的に映った。
――これで調子に乗って、手当たり次第に声をかけて、踊りまくるほうが、じつは体裁が悪い。
長身の若君が懸命に紳士集団に紛れているのは照れ隠しにも見えたし、妹ぎみを気遣う姿は微笑ましかった。
しかし、ふだんから人の恋路を勘繰るのが大好きな輩は、そこにまた別の可能性を見出していた。
ひとつ、レナード・エストは男色家である。
ひとつ、彼には――――
「あ」
ふと静まる、一瞬の間。
曲と曲の境目に誰かが漏らした呟きは、やたらと響いた。
カツ、コツと、ふたりぶんの華奢なヒールの音が並び、ひとりは愛らしくふっくらとしたミュゼル・エスト嬢だと知れる。彼女の歩調に合わせ、人の波は面白いように割れていった。
なお、ミュゼルはそれが自分だけのために起きた現象だとは考えなかった。
無論、遅参したのが自分ひとりであっても道はひらいたろう。
――――けれど、いまは。
足音が止まり、にっこりと笑ったミュゼルが洗練された礼をとる。
中央に向けて一度。主催者に向けて一度。流れるような仕草だった。
「ごきげんよう、皆様。遅くにお邪魔してしまって申し訳ありませんわ。――ごきげんよう、ローエンベル伯爵。お招きくださってありがとう存じます」
「これはこれはミュゼル嬢。ようこそおいでくださいました。よかったですぞ。貴女の兄君ときたら『ファーストダンスは妹でなければ』と言い張られまして。ええと…………そちらは? もしや、ガーランド男爵夫人の」
「ええ」
すい、と身を滑らせたミュゼルのやや後ろから、ほっそりとした女性が現れる。
白地に薄桃色の刺繍布をかさねたミュゼルのドレスとは調和のとれた色彩だった。
卵型の面に上品に配された目鼻立ち。眉は楚々として彼女の人柄をよく表し、勿忘草色のドレスは儚くも可憐である。
すっきりとした胸元から腰のリボン。裾へと縦に伸びる白銀のラインは凛として、並み居る令嬢がたに決して引けを取らなかった。
艶のある、やわらかな黒髪は頬の横に一筋垂らし、あとは見目よく結い上げて。
その美女が膝を折る。うるわしい淑女の礼だった。
「遅れまして、誠に申し訳ありません。ローエンベル伯爵様。ガーランド女男爵が娘、ソラシアにございます。このような身までお招きくださり、感謝申しあげます」
「いやいや……! お会いできて嬉しいですよ、ソラシア嬢。また、お母君にもぜひお顔を出して欲しいとお伝えください」
「はい」
両家はエスト公爵家一門という共通の立場にある。
そつなく挨拶を済ませた令嬢ふたりは、満を持して今夜の『主役』と向き合った。
レナードは、はっと表情を改める。
「やあ。待ってたよミュゼル。それに…………ソラシア殿?」
「は、はい」
――見違えたと言っても失礼だし、そもそも衝撃的すぎて声にならない。とにかく。
レナードは手にしたグラスを、そっと給仕の男性に預ける。
扇を口元に当てたミュゼルは一歩退き、「どうぞ?」と彼女を手のひらで差し示した。
両手と予定の空いたレナードは、どぎまぎとソラシアにダンスを乞う。
「……綺麗だ。とても。よかったら、踊っていただけないだろうか」
「喜んで」
うっすらと頬を染めた一対は、手をとりあってホールの中央へ。心得た楽団がことさら優美なワルツを奏でる。
結果、余人の近寄らない安全結界ともいえる空間で、ふたりは見事に心躍るダンスをしてのけた。
羨ましそうな視線、やっかみの陰口がなかったわけではないが、そんなまなざしも絡め取るほど。
その日、ローエンベル邸の華やかな夜は、ふたりだけのものとなった。




