3 兄の事情、令嬢のたしなみ
「ごきげんよう、ソラシア様。急でしたのに、来てくださってありがとう」
「こんにちは、ソラシア殿」
「ごきげんよう、ミュゼル様。レナード様。本日はお招きいただいてありがとう存じます」
* * *
初秋の港湾都市エスティア。
エスト公爵邸は丘の上に建ち、まだあたたかな海の風を受けて日だまりの中にある。周囲をよく手入れされた芝に囲まれた可愛らしい四阿で、三名はゆったりと礼を交わした。クリーム色の綿生地のクロスには、すでに人数分の茶席が整っている。
椅子に掛けてしばらくは王都や祝典の様子を聞いたり。手慣れたメイドたちの給仕を受けて、時はおだやかに過ぎていった。いまは昼下がり。
――本当は勤務日だったのだが、朝一番に上司に相談すると茶会に出席するよう勧められた。有給扱いにするから、と。
東都の大図書館は事実上エスト家の出資によるため、こういった措置は言わずもがなな空気がある。
昨夜、招待状を見たときは驚いたものの、ソラシアは何となく自分が招かれた理由を察していた。
おそらく、彼らが不在にしていた期間のことなどを訊かれるのだろうか……と。
そのため、ミュゼルから唐突に切り出されたときも動じずにいられた。
「――で、本題なのですけど」
「はい?」
「あのね。わたくしたちが帰って早々、ローエンベル伯爵家から舞踏会の誘いがあったの。でも、どうもきな臭くて…………伯爵、王都ではさんざん夜会だの賭博だのと遊興三昧でいらしたのに。資金の出所と動機づけがわからないのよね。ソラシア様は出席なさる? 噂ではかなりの規模だと」
「ああ、それでしたら」
ソラシアはティーカップを受け皿に戻した。にこり、と告げる。
「欠席します。ふさわしい装いを持ち合わせておりませんし、私では務まりませんもの」
「ふさわしい? 務まる、とは」
「あ」
まずかったかな、と、ソラシアはぎくりとした。
レナードは若君らしい鷹揚さで腕を組み、「ふむ」と呟く。
「やっぱり、私たちの知らないところで何らかの情報共有がされているのかな」
「あ、あの」
「白状なさったほうがよろしくてよ? ソラシア様。わたくしたち、手荒なことはしたくないわ」
「!! 手荒って!?」
「こら。物騒な冗談はよしなさい、ミュゼル。――でもね、ソラシア殿。知っていることは教えて欲しい。いま、我が家と表立って対立する勢力はないはずなんだけど……おかしなことに、使用人までだんまりなんだ。普段から妹が懇意にしてる令嬢がたまで、そろって捕まらなくて」
「ははぁ」
それはそうでしょうね、という言葉を飲み込みながら、ソラシアは困った顔でふたりを見比べた。
――――何というべきか。
生来、助けを求められると相手を無碍にはできない性格だと自覚している。
だからこそ東都に来てからは気を配り、周囲と一定の距離をとるよう心がけてきたのに。
(うぅっ。だめな私)
内心でひたすら王妃殿下に謝罪の念を捧げつつ、ソラシアは重たげな口をひらいた。
蜂蜜色の瞳を持つ兄妹は神妙な面持ちでそれを見守った。
「じつは――」
斯々然々。
説明を聞いたレナードは得心がいったように頷いた。
「さすがは妃殿下。根回しがえげつない。徹底してる」
「感心してる場合……? 王妃様は本気よ。これは、まちがいなく根こそぎ集めていらっしゃるわ。逆に言えば、明日、お相手を決められないようなら近隣の令嬢じゃだめだとか、変な噂になっちゃう」
「ええっ。そんな。もっとゆっくり決めたかったのに」
「え?」
「ごほん。いや何でも」
妹の鋭い一瞥と追及を、レナードはわざとらしい咳払いで一蹴した。
ソラシアは何となく不思議に思い、表面上は取り繕った感の全くない貴公子・レナードを見つめる。
(……公爵子息さまって、みんな、こんな風に気さくなかたばかりなのかしら。北公家のルピナス様は女性と見紛うばかりの容姿で、きらきらしかったけれど。レナード様は親しみが持てて。その上、しっかりしていらっしゃる)
――きっと、釣り合いのとれた家格の令嬢と素敵なロマンスを。
それは自分ではない。
落ちぶれ男爵家の名ばかり令嬢では。
「…………様。ソラシア様?」
「! はっ。すみません、私ったら」
いつの間にか考えごとに耽ってしまい、心配そうなミュゼルに覗き込まれていた。慌てて肩を跳ねさせる。
気遣わしげな兄妹はちらりと目配せを交わし、茶会のおひらきを匂わせた。
若干あやうい思考に溺れかけていたソラシアは、もちろんそれに従った。控えめに、退席を願い出たのだった。
* * *
「送りますよ」という言葉に甘え、図書館まで公爵家の馬車に乗せてもらう。用事があるからと、ミュゼルもレナードも同乗した。
会話は途切れることなく続き、道中は終始和やかだった。時折り、ミュゼルが兄に物問いたげな視線を送ることはあったが。
やがて蹄の音が止み、豪華な内装の扉がひらく。
気を利かせたレナードは御者に任せず、みずから先に降りて、はにかむソラシアの手をとった。
ま さ に 貴 公 子。
ひと気はなく目撃者もまばらななか、ソラシアはうつくしい淑女の礼で暇を告げ、凛とした立ち姿でにこやかに馬車の兄妹を見送る。
車中。
満足そうににこにことしているレナードに、ミュゼルは言葉少なに伺った。
「お兄様って、魔力とか、魔法の匂いがわかるのよね」
「? うん」
「春の事件からこっち、敏感になりすぎてるって話じゃなかったかしら。どう? いまは。大丈夫?」
「ああ……あれね。もう、平気じゃないかな。あのときは化粧品やら魔薬の匂いを嗅ぎすぎたせいで“能力”に影響があったみたいで。王都にいた間中、ずっとコントロールできなかったっけ。今日は何ともなかったよ。ありがとう」
「そう」
スン、と黙り込む妹に、レナードは瞳を瞬いた。
「……私はこのあと、港のギルドに行く。ミュゼルは?」
「わたし? えーとね。明日の準備」
「ふうん」
小首を傾げ、いつになくコケティッシュな妹に曖昧な相槌を返す。
レナードは、ご令嬢というのは大変だね、などと、やんわり淑女の嗜みを労った。
事実、そのあとミュゼルは行きつけの服飾店前で馬車を止めさせ、「では失礼」と、軽やかに微笑んで下車した。




