2 働き者のご令嬢
本日、二話め投稿です。
ソラシア・ガーランドは貧しい男爵令嬢だ。領地は東都エスティアの郊外にあって海側だが、切り立った崖地のために外洋船も漁船も停泊できず、小麦の質もいまいち。よって、わずかながらに香りの良い固有種のバラやワイン用の葡萄を作ることで糊口をしのいできた。民も、男爵家も。
そんなソラシアは現在領地を離れ、仕送りのために東都の大図書館で補助司書として働く。
しかも、休日は裕福な商家で家庭教師の副業までしていた。
その日もおしゃまな女の子に簡単な行儀作法や読み書きなどを根気強く教え、くたくたになったところを奥方が客間に招いてくれた。
真っ白なテーブルクロスの上には、街で流行りのケーキや紅茶のセット。それらを気前よく振る舞いながら、奥方はわくわくと声を弾ませる。その内容に、ソラシアは小首を傾げた。
「舞踏会、ですか。ローエンベル伯爵邸で?」
「ええそう! お聞きではありません? 何でも東公領の、年頃の娘を持つ貴族のおうちにはすべて招待状が配られたそうですわ。王妃様の御名で」
「そうだったんですか」
驚いて相槌を打ちつつ、なめらかな陶器のカップに口を付ける。芳しい香りと温もりに癒やされながら、ソラシアはのほほんと告げた。
「生憎と実家からはまだ何も。でも、なぜでしょう。王妃様が東都にいらっしゃるとは聞いていませんが」
「〜〜まぁ、まぁ、まぁ!」
いささか興奮ぎみの奥方が言うには、それは王族の行幸というわけではなく、ローエンベル家の『親』に当たるエスト公爵家の嫡男、レナードのためだという。
意図を理解できず、ソラシアは再び首をひねった。
「レナード様の……? お会いしたことはありますが。ミュゼル様の兄君ですね」
「ええそう! なんでも、外つ国でずっと遊学してらしたから、せっかく素敵な若君なのに、ご婚約者がいらっしゃらないのを嘆いた王妃様による大作戦なのですって」
「ええぇっ」
「しかも、ご子息様や公爵様がたにも内緒なのですって。粋じゃありませんこと? もうすぐ王都から妹君といっしょにお戻りだとか。日取りは帰還の三日後と――……あの、ソラシア嬢? ご実家からは、本当に連絡がありませんの?」
「ええ。まぁ」
かえって心配そうに声をひそめた奥方に困り笑いを浮かべ、ソラシアはお行儀よくお茶菓子をいただいた。
ふわふわのスポンジケーキに金色のフォークを入れる。しっとりとしている。
表面は上質な生クリーム。甘い果物が宝石のように飾られている。およそ庶民の手には入らない、芸術的なフルーツケーキだった。
(見返りの情報を差し上げられないのは心苦しいけれど……。そのうち爵位も買ってしまわれそうなお家だし。きっと、まだ幼いお嬢様のためにも色々と調べていらっしゃるのよね。お力になれず、申し訳ないわ)
――残念ですが、と、前おいてソラシアは微笑んだ。
「当家は貴族とは名ばかりの暮らしなのです。でも、図書館にいらっしゃる令嬢がたからは沢山のお話をお伺いできますわ。若君のご様子ですとか。どんなドレスが流行りだとか……。きっと、来週はお嬢様にお話して差し上げられます。もちろん奥方様にも」
「!! うれしいわ。ありがとう、ソラシア嬢!」
この日、上機嫌になった奥方は給金の他にもかなりの心付けを持たせてくれた。
* * *
下宿先に戻り、片付いてはいるが小ぢんまりとした部屋を眺め、ふう、と息をついた。
階下で食堂を営む女将の好意で朝夕の食事を出してもらえる。(※もちろん別料金)
お腹は満たされているし、職もある。体も見た目より頑丈だ。春からもろもろあって大変だったが、件の事件のおかげで領地経営の立て直しの目処もついた。うっかり屋の当主である母には、親戚から信用できる者を選んで補佐に当たらせている。
憂いはない。ないはずなのに。
「舞踏会……。私には、縁がないわね」
クローゼットの中身は実用的な衣服に図書館司書の制服。それに最低限のドレスが一着だけ。これもずいぶんと流行遅れのはずだ。デビュタントした年に仕立ててもらった一張羅だから。
ふるふる、と頭を振って自分宛てに届いた手紙の束を確かめる。
はたして奥方の耳が早すぎるのか、我が家がのんびり屋なだけなのか。ローエンベル家の舞踏会の招待状は実家経由で、ちゃんと届いていた。しかし。
「日付、明後日なんですけど? 困ったわ。お断りのお手紙も書かなきゃいけないのに………………ローエンベル家ってどこだったかしら。あら? これは」
ふと、自分の部屋には不似合いなほど上品な色合いの便箋が目についた。
ごく淡い桜貝色に細い金の縁取り。筆跡は文句なくうつくしい。差出人を見て、ソラシアは思わず声を上ずらせた。
「!! ミュゼル様? あっ、そうか。レナード様と一緒にお戻りになったのね。帰邸後すぐしたためてくださったんだわ。ありがたいこと」
エスト公爵家とガーランド男爵家は、古い古い親戚関係にあった。もちろんローエンベル伯爵家が『子』なら、我が家は『曾孫の妻の姪』くらいの遠さだ。
とはいえ、公爵家の姫であるミュゼルの気質は幼い時から知っている。父が亡くなり、社交から遠のいて以降は付き合いも疎遠だったが、こうして何くれとなく気にかけてくれる。
彼女は、ソラシアにとってある種の恩人だった。
貴族云々関係なく、前を向いて動けるようになったのは彼女のおかげだと思っている。
さて。その便りは。
「ええと……明日!? やだ、どうしましょう」
――――嫌でもなんでもなく、言葉の綾だったりする。
それは、今をときめくエスト公爵家令嬢ミュゼルとその兄、レナードからの茶会の誘いだった。




