1 秋晴れの旅
ふたつめの番外編となりました。
二話、書けています。
二話目は今夜22:00に投稿します(*´∀`*)
よろしくお願いします。※ストックとは
よく晴れた九の月の末。爽やかな朝。
久しぶりに可愛い妹とともに馬車に乗り込んだ東公家の嫡男、レナードは浮かれていた。
この数ヶ月、死ぬほど忙しかった。領地である港湾都市エスティアで起きた事件を皮切りに、被害者は王都でも頻出。父である公爵が国王陛下より直々に調査を任じられ、当家一丸となって犯人を追う日々だったのだ。――王太子殿下ご成婚の儀の直前までは。
それはつまり、今年の四の月。
突如遊学先の外つ国から呼び戻されて以来の四ヶ月間を指している。
現在、季節は夏の終わり。
祝典のために王都で過ごした地方貴族たちも三々五々、帰路に就いている。
犯人が捕まってからもレナードは彼らとの社交や、東公名代という名の経営実務に駆り出されていた。
連日の激務は充足感と疲労となって体の隅々に降り積もり、言うなればとっとと帰りたかった。何なら、このまま著名な温泉旅籠で長逗留したいくらいだ。(※悲しいことに、領地に戻っても仕事三昧なのは理解している)
「ではお二方、長旅ですのでご無理なさいませんよう。休憩は挟みますが、何かありましたら小窓を叩いてお知らせください」
「わかった」
「ええ。ありがとう」
馴染みの御者が恭しく一礼して扉を閉める。
やがて、かけ声とともに蹄の音。車体が動きだし、カラカラと車輪の廻る音が響いた。車窓越しの景色はどんどん遠ざかる。
――父は商売の都合で王都に残らざるを得ず、母も王都邸に残った。
日程を決める際に母が「久しぶりだから」と言っていたのは、正確には『夫婦水入らずなのは』という意味合いなのだろう。
生粋の商売人でもある父と、天性の社交家である母が一つ所で過ごすのはとても稀だ。とっくに成人済みの自分と妹が気を利かせたのは当然の成り行きだった。
しかし。
「はあぁ……」
ちいさくとも深い溜め息。妹の表情は冴えなかった。
いわゆる童顔。年齢十七歳。淑女となっても愛らしいままの丸い頬は、憂いを湛えてもどこか幼い。
妹――ミュゼルは、優美な尖塔が連なる王城へと視線を注いでいるようだった。
ゼローナ王族が住まう城は広大でうつくしく、壁面も仄かに白く輝く。都のどこに居てもその象徴である尖塔は目についた。
レナードは苦笑し、座席の背にもたれて脚を組む。組んだ手を膝の上に置いた。
「そんなに離れがたい? ミュゼル。『あいつ』と」
「! お兄様ったら」
パッ、とこちらを向いた妹のストロベリーブロンドがつられて跳ねる。長旅でも負担がないよう、結い上げてはいない。両サイドの髪だけを掬い、ふわふわとした三つ編みにしている。それで余計に、ちょっとした動きに反応するようだった。
(……なんだこれ。可愛すぎる。こんなの、絶対『あの男』に見せるべきじゃないな)
レナードは、にこにこと畳みかけた。
「まったく。せっかく婚約したというのにルピナス殿は冷たいね。母君のジェイド公爵閣下だって、ご子息の今年いっぱいの東都入りは認められたのに。何も、王太子殿下から余暇までいただく身で、わざわざ王城に留まらずとも」
「それは……仕方ないわ。だって、王妃様のお呼び出しだもの。用向きだってはっきりしてる。きっと、ご公務でお忙しい第二王子殿下の補佐とお目付け役なのよ。誰にでも出来る仕事じゃないわ」
「ふうん? トール殿下には、とびっきり優秀な外つ国の呪術師で、元暗殺者一族だった護衛官がいるじゃないか。彼女――シェーラ殿だったか。相当な切れ者だろう? 何しろ、改心したとはいえあの事件の首謀者だ」
「根に持ってるのね」
「当然だよ」
ふん、と顔を顰めると、今度は妹のほうが大人びた微苦笑を浮かべた。
「たしかに、シェーラ殿は優秀なかたよ。過ちもありました。けど、ちゃんと贖いを済ませていらっしゃるわ。いつまでも事件についてあげつらうのは良くなくてよ? お兄様」
「寛大なことだ。だから許してあげたの? 『あいつ』にも居残りを」
「もうぅっ。さっきから、いじわるなお兄様ね。そんなに彼がきらい? ルピナスはいいひとよ」
「それはわかる。むしろ、嫌味なほどよく出来た未来の義弟ぎみだと思ってるよ。あぁ認めたくない」
「まあ!」
心底本音を交え、オペラ役者よろしく大げさな身振りで嘆いて見せると、色白の妹の肌にポッと赤みが差した。悔しそうな顔から一転、ころころと朗らかな笑い声をあげる。
レナードはほろりと笑んだ。「元気になって良かった」
「あ」
笑い止んだミュゼルは別の意味で頬を染めた。手の中で弄んでいた扇を広げると口元を隠し、ふいっと車窓に視線を流してしまう。
が、すでに寂しそうな気配はない。
もだもだと、これはこれで彼女の婚約者殿を絞め上げたくなる幸せオーラがにじみ出ていたので、レナードは何となく毒気を抜かれた。
訊くべきではない、思い出すことでもあったのだろうが――
「婚約ねえ。そんなにいいものかい?」
「そうね。わたしも、ずっとお兄様よりの考えだったのだけど。……………いいものよ? 時々、自分が自分じゃなくなっちゃうような気がするのを除けば」
「!!! 何ッッてことだ! 盛大に! 妹に惚気けられた!?」
「ふふふっ。ごめんなさい。あ、でも。お兄様だって、遠からずご婚約者を得られるのではないかしら」
「え? どうして」
脱力し、妹と同じ色のくせ毛をかき上げて背もたれに肘をついたときだった。不意打ちの話題に、あれやこれやと過去の自分を顧みる。
――……ない。
帰国後の夜会も晩餐も、ほぼ務め重視だった。
群がる令嬢がたの顔や名前は覚えたものの、未来の公爵夫人の座を狙う女性の“匂い”は皆、似たりよったりだ。
きょとん、と目を瞬く自分を、妹はびっくりした顔で見つめる。閉じた扇を顎先に当て、不思議そうに首を傾げた。
「どうしてって。先日、王都からお暇するご挨拶に王妃様のところへお伺いしたの。そうしたら、王妃様ったら、側付きのご婦人がたと熱心に令嬢の釣書きを選んでらしたわ。こう、山積みの」
「山積み……、釣書き?」
何とも、いやな予感満載な情報だった。
そういえば以前、王太子殿下からも何冊か渡されている。いちおう目を通した上で丁重にお断りしたが、出どころは妃殿下だと聞いていた。
曰く、王家と三公家で婚約者がいないのはトール殿下と自分だけだから、と。
――――つまり。
レナードは恐る恐る切り出した。
「まだ、あるんだね?」
「そりゃもう、たっぷり。行動派なかただもの。きっと、近いうちに実力行使なさるわ」
「何てことだ」
つい、先ほどと同様の答えを返してしまった。レナードとしては「え、もう?」というのが偽らざる本心だったりする。
なにしろ外つ国では、遠方ゆえの解放感もあって、擬似恋愛を楽しませてくれる職業美姫と懇ろになることがそれなりにあった。
それぞれに愛着はなくはなかったが、割り切った関係だったし、帰国後は理想的な伴侶をじっくり探す楽しみも抱いていたのに。
……というのはもちろん、口には出せない。
黙り込む兄を、ミュゼルは怪訝そうに眺めた。
「? なにか、不都合があって?」
「いやべつに」
「おかしなお兄様」
すっかり調子を取り戻したミュゼルは、クスクスと朗らかに笑う。
「思うに、今ごろ東都近郊のご令嬢がた全員にお達しが来ているのではないかしら。お兄様の運命のお相手探しですもの。わたしも協力するわね。どんなお家の裏事情だって、きっちり探って差し上げますから」
「あ、あぁ。ありがとう」
頼もしいね、と告げるレナードはこのとき、まだ知らなかった。
自他ともに認める『よりどりみどり』であったはずの選択肢が、じつは、そう多くなかったことを。
カラコロと車輪は廻り、気付けば馬車は郊外へ。
秋晴れの旅は、ちょっとだけ長かった独身期間の終わりへと、するするとレナードを導いた。




