18 睦まじいふたり ☆☆
――秋。
トールの見立て通り、『赤月華草のエキス』を用いた解呪薬は、根深い眠りの症状に悩まされていた患者たちをたちどころに癒やした。城の常駐医師も完治と太鼓判を押した。
もともと月華草のエキスは混成された他素材の薬効を『調合者の意を汲むかたちで』増強するという、夢のような役割を果たす。
マリアンについては解呪=呪いへの抗体そのものが主成分となった。
王城にいた患者全員に処方してもなお、エキスはたっぷり残っている。そのこともトールたちを安堵させた。
“眠りの美女の魔法薬”を常用した女性は、ゼローナ王城の外にもいるはずだから。
当初、監督人である王子みずから付き添う形での実行犯・シェーラによる診察兼治療に、訪問を受けた女官がたは微妙な顔で難色を示した。
が、最終的には彼女からの訥々とした謝罪の言葉や贖い金を受け入れた。
そのことに「ありがとう」と微笑むトールの――どこか今までとは違う雰囲気に、全員がドキッとしたのは、それぞれの秘密だったりする。
なぜならば。
退室間際の王子が見せるほろりとした甘いまなざしが、いったい誰に注がれているのか。恋の一つや二つは経験済みの王城の綺麗どころたちはすぐに悟ったからだ。
そうして二重の意味で心を込めた礼をふたりに送ることになる。
感謝と、そして――――
パタン。
最後の患者への治療と詫びを終えたふたりは、互いに深々と息を吐いてから女官がたの生活居住棟をあとにした。
空は高く澄み、風は涼やかさを含んでいる。まだ夏装束のシェーラがぶるりと肩を震わせるのを見て、トールは思わず吹き出した。
「寒い? シェーラ。砂漠生まれだもんね。こっちの秋は慣れないかな。今朝は急に冷えたから」
「べつに。ちょっと肌寒かっただけだ。砂漠だって夜は冷える。馬鹿にするな」
「馬鹿になんて」
「してる」
「してない」
「してる」
「してないったら」
「して――」
「〜〜ああぁっ、もう! 君ってひとは」
「なっ? 待て、何を」
王城の敷地は広い。棟を出たとはいえ、女官たちが住まう区画からはまだいくらも離れてはいない。
よって、そこかしこに目撃者たちは散見した。その全員があらあらと頬を染めている。
――初秋の装いのトール王子が、さらりとオリーブ色の裏打ちが施された白いマントをシェーラに掛けていた。
その掛け方が大胆というか、なんとも親しさと好意を滲ませたもので、ところ構わず見る者をどぎまぎさせる空気を釀していたので。
正面から斜めに傾いで顔を覗き込むトールに、シェーラの飴色の横顔はすかさず朱に染まっていった。
「くっ……! 離せ!」
「なぜ? 約束したよね、昨夜。今日の診察で全員の治療ができたら、君は晴れて自由の身。我が王家への贖罪が済んでるのは知ってる。もう、遠慮はしないって」
「えッ…………!?? 遠慮しろ、この不埒者め! 私はお前の護衛だぞ。なのに、なぜ護衛対象から身の危険を感じなきゃいけないんだ。おかしい」
(((…………)))
身の危険。
周囲の関心は、もう、ひたすらその一言に集約された。
そういえば、彼らはいつも一緒だ。これまでは罪を犯した外つ国の貴人であるシェーラを、トールが監視がてら護衛官として側に置いているという認識だったが。それが変わるということは……。
トールはマントごとシェーラを抱きしめ、容赦なく彼女をかき口説いている。
「さてどうしよう。これから報告の謁見だし。ついでに結婚を願い出てこようか。砂漠にも行ってみたかったんだよね。楽しみだ」
「貴様!? ひとの婚姻を何だと…………うわっ!」
反論のシェーラを、ひょい、とトールが横抱きにする。うるわしの顔には、とろけるような微笑が湛えられていた。
「ひとの、じゃないよシェーラ。僕たちの、だ。君は?」
「『――――』、二度と言わせるな。斬るぞ」
「ふふっ、そうか。良かった」
「もういやだ……。どうしてこんなものまで覚えたんだ。ジハークの民だって知らない者は多い。隠語めいた古語だぞ? ミュゼル殿は何を考えてる。厄介な奴に厄介な知識を与えて」
「まあまあ。彼女は僕の要請に応えてくれただけだし。今ごろは東都かな? ルピナスも年内はエスト領らしいね。仲が睦まじくて結構なことだ。
そうそう、陛下と約束したからね。命の危機でもない限り“転移”はしない。このまま行こう」
「!?!? やめろ、離せ! ついでにこれも返す」
「おっと」
ちょっと本気を出したシェーラはしなやかな猫のようで、苦もなく王子の腕から逃れた。
若干距離をとって不貞腐れ、つっけんどんにマントを突き付ける。
たしかに、充分温まったように見える。
相好を崩したトールはマントを受けとり、再びまとう。そのまま執政区画へと足を向けた。
――咳払いひとつで、かろうじて護衛官の顔を取り戻したシェーラを、うれしそうに伴いながら。
fin.




