17 トールの目覚め
お待たせしました。あと一話で「番外編 トール王子」が終わると思います。
もう少しお付き合いいただければと思います……!
四日後。
迎賓館の一室で、魔族領からの技術者たちとともに研究所に収蔵予定の植物図鑑を編集していた王妃セネレは、名を呼ばれて顔を上げた。
天窓からの日光に照らされ、線が細く少女のような美貌が白く露わとなる。
淡い金髪をきちんと結い上げ、瞳は海の青。まさに第二王子トールの女性版といえる容姿だった。
昼近くではあるが、食事にはまだ早い。ドワーフたちとはもっと細部まで話し合い、予算に応じた施設建設に向けての折衝事案が山ほどある。
(トールったら、きっと雑談ばかりしていたのね。しょうのない子。あとは目録を作って、それぞれの危険度設定に所蔵方法を…………ああ、忙しい。この忙しいときに!)
――などという心の愚痴は出すわけがない。
表面上はゆっくり、穏やかに問いかけた。
「何かしら?」
「申し訳ありません、王妃様。急ぎ、お知らせが」
侍従は目を泳がせた。
大きなテーブルに茶器や菓子の類いは一切なく、所狭しと広げられた図面に分厚いファイル。さながら繁忙期の建設事務所だ。(※想像)
仕事の鬼の巣窟――もとい容赦ない作業室と化したサロンの入り口で、若い侍従は恐縮しきって言葉を濁している。
王妃は、ぴん、と来た。
「話しなさい。トールのことね?」
「は、はい」
「「「!!!」」」
ババッと視線が青年に集中し、より緊張の度合いが増した。王妃の向かいに座っていたクロエも立ち上がり、期待と不安を込めたまなざしで彼を見る。
侍従は畏まった声音で告げた。
「お目覚めです。いまは完全な覚醒にあると。どうなさいますか? 陛下とともにお渡りでしょうか。それとものちほど」
「行くわ。すぐ」
「は」
やや食い気味に答えた王妃に一礼した侍従は、ほっと表情を緩ませた。そのまま王のいる執務室へと向かう。王子が眠っていた医務室へも先触れは必要だ。
セネレは一同を振り返り、たおやかな面を伏せた。
「皆様には当方の不手際で滞在を伸ばさせてしまい、本当に申し訳ありませんわ。ちょっと息子に引き継ぎをして参ります。続きはまた明日」
「わかりました。我々のことはどうぞお気になさらず。トール殿下に……――」
「ええ。ありがとうございます、クロエ殿」
ふわり。
微笑を交わしての一区切り。
成人済みの三男一女の母であるはずの王妃そのひとは、年齢を感じさせない軽やかさと相応の優雅さで迎賓館をあとにした。
* * *
あの日、昏倒したトールは目覚めなかった。
正確には何度か目をひらいたのだが、意識は定かではなく、会話もできない状況だった。
塔を覆っていた植物が幻のように消え失せてすぐに突入したルピナス筆頭の騎士たちに救出されはしたものの、明らかに公務に復帰できるようには見えない。
かと言ってクロエたちを放置するわけにいかず、急遽代理責任者となった王妃がこれにあたった。
そのことを、こんこんと聞かされながら寝台のなかで起きられずにいたトールは、母王妃に謝罪した。
「申し訳ありません、母上」
「そうね。でも……良かったわ。貴方まで眠ったままになってはどうしようかと」
「セネレ」
そっと目頭を押さえる王妃に、オーディン王は気遣わしげに寄り添った。控えめに肩を抱く。
仮にも王族が寝付いていた部屋だ。医務室は、いまは貸切状態で余人はいない。医師と、それぞれの護衛以外は。
もちろん、そのなかには件の魔法薬をばら撒いた張本人も居るという不思議な図。
「ところでシェーラ殿」
「はっ」
シェーラは王に呼ばれ、さすがにぴりりと姿勢を正した。
「君にも礼を言わねばなるまい。クロエ殿から聞いたよ。必死に魔獣化した月華草から王子を守り通してくれたと」
「いえ……、私にできたのは微々たることでした」
「謙遜しなくてもいい。それで? トールが寝ながら離さなかったという『瓶』は」
「ここにありますよ、父上」
「! 何だ、本当に肌身離さないんだな。あんな目に遭ったというのに。呆れたやつだ」
「――大事なものですから」
いかにもトールらしい、少しやつれてしまったとはいえ、どこか飄々とした言い草だった。
そのことに安心しながら国王夫妻は苦笑する。
「どうだ、明日は起きられそうか」
「はい。もちろん」
トールが枕の下から出した小瓶には、通常の『月華草のエキス』とは異なる色彩――仄かに光るルビーレッドを帯びた透明な液体が揺れている。
それが、光の加減でもとの真珠色に見える瞬間があるのが印象的だった。
トールはこれを『赤月華草のエキス』と呼び、再び大切そうに握った。確固たる意志を込めて。
「まったくの突然変異種ですし、偶然と僥倖と、マリアンの賜物ですが。これを用いて解呪薬を作れば、かの魔法薬中毒者たちを完全に癒やせる可能性があります。彼女は、僕の“転移”魔法をはね退けたようにシェーラの術も克服していましたから。………つまり、この中には、呪いへの抗体が含まれているんです」
「「!!!!」」
居合わせた面々は、シェーラ以外の全員が驚愕に打たれたようになった。
それは、つまり。
「お前、まさか。その可能性を見越して……?」
ぶるぶると震えながら、オーディンが問う。
トールは、にこりと微笑んだ。
「お叱りはいかようにも。僕は、必ずや彼らを治してみせます。仕置きはそのあとでお願いします」




