13 危ないのはどちら?
「マリアンを迎えたのは、もう七年前。義姉上の実家のジェイド公爵領で、『月華草の群生を見た』という噂を何件か聞きつけてね。目星をつけて、山中を転移しながら幾晩も張り込んで。やっと手に入れた開花前の株だったんだ。懐かしいな……」
「回想はいい! 御託もたくさんだ! どうする。四の五の言ってる間に囲まれたぞ……!??」
「なんだ。もういいの? 折角、こんなに元気なお転婆に育った彼女との思い出話だったのに」
――わさわさ、わさわさ。
いまや部屋中を埋め尽くす勢いで蔓を伸ばす月華草は、わざとトールとシェーラの退路を断っているとしか思えない育ち方をしている。
ちらりと窓を見れば、外にも。
シェーラは懐剣を引き抜きながらトールを背に庇った。なるべく距離を保てるよう後ずさる。
あちこちに蕾を付けた茎がはびこるさまはまるで悪夢のようで、ここまで来れば美しさも逆効果だな、と、皮肉な笑みが浮かぶ。すると。
「!! っく!」
初撃の鋭さを上回るスピードで複数の蔓がシェーラに打ちかかり、三本までは切り落とせたものの、一本は防げなかった。足首に巻き付かれて引き倒されそうになり、慌ててそれを横薙ぎに切る。
「シェーラ! 大丈夫か」
トールはその場でしゃがみ、未だにシェーラの足首を拘束していた蔓の残骸をむしり取った。立ち上がり、うねうねと波打つそれに目を細める。
そうして一言。場違いなほどの穏やかさで言い切った。
「悪い子だ」
“――――……!”
トールの上向けた掌に魔力が凝る。
白く光る。声音とは裏腹の烈しさだった。
恐怖、悲しみ、驚き――もろもろの思念を伝える声なき声も同時に押し寄せ、シェーラは思わず自由なほうの左手で耳を覆った。当然、耳障りな思念は鳴り止みはしなかったが。
ボッ! と発火した蔓は瞬く間に炭化する。それをはらはらと床に落としたトールは、シェーラの腰を抱いて引き寄せた。
シェーラは、ぎょっとする。
「!! 何を」
「離れないで。燃やしてわかった。マリアンは、もう植物とは――『月華草』とは呼べない。僕の魔力の影響とはいえ、すっかり進化した亜種だ。知恵のある魔生物みたいな」
「冷静だな。じゃあ、やたらとべらべら喋っていたのは、時間稼ぎをしながら解析でもしていたのか……? そもそも、こうなるとは一片も読めなかったのか。七年も側に置きながら」
「うーん、耳が痛い…………。でもね、こんな事態を予測できたなら、彼女をむりやり自分のものにはしなかったろう。可哀相なマリアン」
「言い方」
「ああ、ごめん」
女神もかくやの美貌が憂え、悲哀を帯びる。
それすらも何処まで本気なんだか……と疑うまなざしに、ふと、トールが申し訳なさそうに首を傾げた。
「あのね。それはさて置き、君に伝えなきゃいけないことがある」
「何だ」
何でも言え。どうせ碌でもないことだろう、という予想に寸分違わず、トールは淡く微笑んだ。
「彼女は、七年かけて僕の“転移”魔法に対する耐性を身につけたらしい。おそらく、彼女をずっと、その時々の『未来』に転移させ続けた弊害で」
「??? すまん。言っている……意味がわからん」
きょとん、と素の声。抱き寄せられた密着感や距離の近さに、感覚が麻痺しつつある。
シェーラは至極無防備な表情となり、ありのままの心を告げた。
とたんに、トールのなけなしの防波堤が瓦解した。
「シェーラ、可愛い」
「――は?」
あっという間にいつも通り。いつもより剣呑に訊き返したのに、なぜかぎゅうぎゅう抱きしめられる始末。
しかも、剣が王子を傷付けないように注意をとられているため、思うように引き剥がせない。
「やめろーー!」
「あはは」
よくわからない熱が頭にのぼったシェーラは気付かなかったが、月華草だったマリアンは苛立ちの思念とともにじわじわと包囲網を狭めていた。
その蕾がやんわりと膨らみ始める。
日暮れが近い。
開花が、迫っていた。
* * *
同じころ、玉座の間ではオーディン王とセネレ王妃、主だった重臣がたに、段の下で片膝をつくクロエがいた。まだ『昼の』彼女だ。
その後方にはルピナスとミュゼルが控えている。
クロエの「とにかく、国王陛下に目通りを」という願いを最短で叶えたのが彼ら二人だった。それぞれの公爵家の権力は、こういうときに遺憾なく発揮される。
「面を上げなさい、クロエ殿」
「は。国王陛下におかれましては、謁見を賜り恐悦至極でございます。けれど、いまは囚われのご子息について速やかにご報告したいことが」
「それだ。おかしいとは思っていた。王家の能力を使えばすぐに出られるはずなのに。心当たりが?」
「はい」
俯き加減のクロエが唇を噛む。
発言を許されているのは、いまはクロエだけ。
傍らのルピナスとミュゼルは、黙って見守ることしかできない。
クロエは自身が『ドリュアド』という種族であること。植物の思念をある程度読めること。
現在トールの塔を覆ってしまったのは彼の月華草であること。また、それはすでに変異しており、王子の“転移”を何かしらの効力をもって封じているのでは――という推論まで叩き出した。
「なんと」
居並ぶ面々に緊張が走る。
皆、心のどこかで「トール王子だから」と緩く構えていた。それだけ、ふだんから想像の斜め上をゆく前科を量産されたかたなのだが。
(〜〜どうしよう。物理で押し通る? それとも陛下ご自身が魔法を……? クロエ殿は『できれば月華草のドリュアドと名乗りたくない』と、仰っていたけれど)
やきもきと気を揉むミュゼルに視線を流し、ルピナスは意を決したように前に進み出た。「畏れながら」
「申してみよ」
「は。私も先ほど塔の様子を見て参りましたが、あれでは流石のトール王子も難儀でしょう。ならば、こちらのクロエ殿に協力を仰がれては」
「! ジェイド家の若君」
はっ、と、クロエが暗緑色の瞳をみはる。
ルピナスは頷きながらクロエを見つめ返した。
「直接、あれに包囲を解くよう働きかけていただくのです。トール王子たちの無事を最優先に……――うっかり、塔の危険な種子や薬品などを使って、王子が無双してしまわれないうちに」




