12 密室求愛未遂(未遂?)事件 ☆
――少し、時を遡る。
クロエたちの視察は無事に完了した。彼らを見送った塔の主は、やれやれと自室に戻る。当然、その後ろには付き人よろしくシェーラが従っているわけで。
客人の来訪に合わせ、多少は片付けたらしい床はきちんと掃き清められ、丁寧に磨かれていた。これだけでもメイド長は「わたしの勤務人生最大の快挙よ」と、涙ぐんでいたとか、いないとか――
トールは、どさりと窓際の長椅子に身を横たえ、ふぁ、と欠伸をした。
「やっぱり、僕は草花の相手のほうがいいな。安らぐ。安らぎしかない……」
「最終的に全方位質問攻めに遭ったのは気の毒だったが。あんな美女に言い寄られても、か?」
ちろりと窓辺の月華草とトールを見比べ、腕組みで後者を見下ろす。
シェーラの凍てつくまなざしに、トールは流し目で薄く笑った。
「言い寄る……? たしかにクロエ殿は美人だけど。あれは、困った姉妹の代わりに謝ってくれたようなものだ。彼女自身の言葉じゃない」
「姉妹」
呟き、ふと沈黙。
シェーラはまじまじと窓際に視線を移し、極力感情を乗せないように尋ねた。「どうする? 処分するのか。『それ』は」
トールは半身を起こし、少しだけ真面目な顔つきになった。
「どうしようかな。日が落ちるまでにやらなきゃ、また襲われるって話だったから」
「……つまり、襲われたくはないという解釈でいいか? なら選べ。簡単なことだ。手伝いが必要なら手配する。魔法は貴方の領分だが、俗世のことは面倒なのだろう?」
「その通り。ところでシェーラ、ほかにも気になることを言われたよね。『おいで』?」
「――うわっ! な、何を」
シェーラは当惑した。
記憶では、片肘をついて半身を起こしたトールがにっこりと笑った。それしか覚えていない。
なのに、いつの間にか距離を詰められている。正確には自分が喚び寄せられて。
視界を埋めるのはまばゆく輝く金の髪。夢のように澄んだ海より青い瞳。
はっきり言って同じ人間とは思えない。なのに、どうしてこの男は生身で触れるのか……!
ぎりりと歯噛みしたシェーラは、抑え込まれた体勢からもがくように身をよじった。
誓約上、傷つけるわけにいかない。相当の手加減をしての全力の反抗に、トールはうれしそうに微笑んだ。
――――いったい、どこでそういうのを学んだんだ、こいつは。さっき、植物しか相手にしたくないとか抜かさなかったか?? (※混乱)
勝手に口づけられてもおかしくない至近距離を、王子は耳元へと唇を寄せた。反射で背筋がぞくりとする。
「ね。心の奥底に抱えた感情があるって、本当?」
「――何のことだ。変態王子」
「君が、ひょっとして、僕を好きでいてくれてるんじゃないかってことだよ。勘違いだと悲しくなるくらい、僕は君と一緒に居たい。それこそ、動物なら番であればいいのに。人間の女性なら、君だけを知りたいんだ」
「つ、が…………っ!?? 馬鹿かお前! いったい、どの口が」
「この口、だけど」
「っ」
反 則。
触れるか触れないか、ぎりぎりの近さまで顔を寄せられているし、なんなら鼻はとっくに触れている。これは罠か。
(落ち着け、落ち着け。目を逸らしたり、閉じたらやられる)
らしくもなく心臓が大暴れするのを鉄面皮でやり過ごすと、トールは面白そうに瞳を輝かせた。
「すごいね。目、閉じないの? まぁいいや。シェーラ、一つ提案がある」
「………………なんだ」
「うちは、基本的に政情不安な国からは妃をもらわない。なぜかわかる?」
「……王家の能力とやらの流出を防ぐためだな。“転移”は、ゼローナ直系王族のみに現れると聞く。政争に明け暮れる国ならば、喉から手が出るほど欲しがる力だ。くれてやる気はないのだろう」
「そう。でも」
「……」
両手首を掴まれていたうち、片方の拘束を解かれた。その手がするりとこちらの輪郭をなぞり、喉元に触れる。
思わず目をみはった。そのことに、トールが再びふわりと笑む。
「シェーラ。僕は」
「!!!? 危ないっ」
――シュッ
シェーラは、こんな場面でも長年培った暗殺者としての勘が働くことに盛大に感謝した。直後、激しく後悔した。
なにか、緑色の蔦めいたものが王子を直撃しようとしていた。とっさに自由なほうの腕を伸ばし、彼を胸もとに抱え込んでしまったわけだが。
(〜〜……っ)
「触るな阿呆!!」
「え? 違うの? てっきり無言のプロポーズが成功したのかと」
「そんな煩い無言は知らん!! わからんし、聞いてもいない。それより、あれ……あの花は、元から動くものなのか?」
「あの花」
やたらと真剣な表情をしていたトールは、物騒な問いに思わず顔を上げた。
客観的には、どう見ても睦み合う男女の体勢だった。
果たして、それがお気に召さなかったのか。
「………………マリアン、か」
呆然と名を呼ぶ。
溜めに溜め込んだ魔力の爆発だった。
出どころは窓辺。流れる時間ごと区切られ、花が枯れぬように、ずっと封じられていた月華草だ。
その封印を、彼女自身が打ち砕いた瞬間だった。




