11 暴走する恋
三日前に迎賓館で夜明かしして以来、わずかではあるがご無沙汰な感がある。婚約者のルピナスに伴われながら王城の通用門をくぐったミュゼルは、「?」と小首を傾げた。不安げに周囲を見渡す。
ふだんはしない『何か』だ。別の音が聞こえる。
夏の微風が運ぶ喧騒は進行方向――すなわち、王子がたの居住区から届けられるようだった。
王子たちの塔は、現在第二王子のトールしか住んでいない。
……ということは。
ミュゼルは手にした香木の扇で口元を隠しながら、つんつん、とルピナスのハーフマントを引っ張った。
「ルピナス、聞こえる? たぶん、王子の塔よ。何かあったのかしら」
「ん? 私には…………ああ、風上だからか。ごめん。さすがに君ほど敏感には風の音を拾えない。でも、たしかに門からこっち、人員が少ないな。何かで駆り出されてるのか――あっと、失礼。聞きたいんだが」
「! はっ、はいっ!? 何でしょう」
ルピナスは、ちょうど向かい側からやってきた急ぎ足の侍女を捕まえた。
まだ、務めて日が浅そうな少女だ。近隣の貴族令嬢と思われるため、なるべく物柔らかに問う。
その美々しい貴公子ぶりに彼女がみるみる赤くなるのを、ミュゼルは複雑な思いで見守った。当然、顔の下半分は扇で隠したままだ。
…………思うところがないでもないが、今は、そんなことを言っている場合ではない気がする。
ぱりっとした侍女のお仕着せに身を包んだ少女は、よほど余裕がなかったのだろう。ミュゼルの視線に気付くことなく、しどろもどろになりながら答えた。
「塔が……、トール殿下の塔が! 急に、見たこともない植物で覆われてしまったんです。わ、わたくし、これから侍女長様にご報告を」
(!!!)
「わかった。気をつけて。呼び止めて悪かった」
「いいえ、失礼いたします」
せわしない礼を残し、少女はまろぶように駆けていった。
「行こう、ミュゼル」
「はい」
こちらも短い遣り取り。侍女とは反対方向へ、小走りになった。
* * *
ルピナスは、幾重にも布を重ねたドレスに華奢なピンヒールのミュゼルの歩速に合わせている。
マナーとしてはダメよりのダメだが、この際、そんなことはどうでも良かった。何だかんだと事件続きでもある。今更だ。
最短で敷石が詰められた路をゆく。ルピナスは素早く囁いた。
「予定通りなら、今日はクロエ殿と技術者たちが殿下の塔に来てるはず。もう終わってるなら、その………」
「そうね。ましね」
「ミュゼル」
「あら、ごめんなさい。つい本音が。でも、どうしたのかしら。殿下ほどの魔法の使い手のかたが……――ッ!?!?」
「うわっ。これは」
二人とも足を止め、ぽかんと口を開けて見上げた。
最寄りの建物の影から出たとたんに視界に映る、緑の塔。
遠目には何の蔓草か不明だが、壁がほとんど埋もれている。驚愕の光景に二の句を継げない。
なお、ここまで近づけば周囲の騒ぎはふつうに耳で拾えた。
――陛下に報せを。はやく!
――騎士団はどうした!
――いや、魔法士団だろう、それより王子は……。
彼らの台詞の端々から、中にはトール王子と護衛の者が一人だけ、取り残されているのだと知れた。護衛とはつまり、シェーラだ。なぜこんなことになったのか。
こうなっては、ざわざわと騒ぐ人員からやや離れ、遠巻きに見守らざるを得ない。もどかしさに閉じた扇を握る手に力がこもり、額に汗が浮かぶ。
そんなとき。
「すみません、エスト家の姫……?」
「! 貴女は」
ハッとしたミュゼルが振り返ると、そこには薄闇色のなめらかな肌。神秘的な尖った耳。凛々しい美貌をたずさえた『昼のクロエ』がいた。心持ち青ざめている。
クロエは、祈るように両手を胸の前で組んでいた。
「どうしましょう。どうか……、お力を貸していただけませんか。殿下の月華草が暴走してしまいました。もう、私の言うことも聞きはしないのです」




