10 花のことば
「殿下。昨夜は本当に、たいへん申し訳ありませんでした……!!」
「うわっ? クロエ殿、どうか顔を上げて」
「いいえっ。いいえ!」
ぶんぶん、と激しく頭を横に振るので、彼女の短い髪も一緒になってさらさらと揺れる。
いわゆる夜這いの翌日。
いずれ研究所で取り扱うことになる植物を見てもらうため、技術者全員をトールの塔に招いたところだった。
現在、トールとクロエは二階の一室。護衛のシェーラのみが側にいる。種々の魔法植物をプランターに植え、必要なら硝子ケースに入れて隔離栽培し、発芽から開花までの様子を丹念に楽し…………もとい、観察するための部屋だ。
ドワーフの人びとは階下でさまざまな培養器具や水栽培ポッドの循環器などに釘付けになっており、まだ追いつけそうにない。
昨日は昨日。今日は今日の精神で臨もうとしていたトールは、出鼻を挫かれてやや慌ててクロエの手をとった。むりにでも顔を上げてもらう。
何となく見つめ合う形になると、背後の壁際でシェーラに思い切り溜め息をつかれた。
「王子。私は、席を外したほうがいいんだろうか」
「!?」
「いや全然。むしろ居なきゃ困る」
「そうか」
それきり、また黙して不動の姿勢となる、ある意味壁の花。
シェーラは視線も寄越さなくなったが、一度発言によって存在を主張された今、クロエもあからさまな言動はとれなくなった。どこか口惜しそうにトールの手から自分の指を引き抜き、目を伏せて一歩下がる。その手を胸元に寄せ、もう片方の手で抱き込みながら。
「では……、随伴の彼らが上がって来る前に、手短に。殿下、お手元の月華草を処分するか別の場所にお移しください。今日中に」
「! それは、夜の『君』は諦めてないってこと? わかるのかな、そういうのは」
「ええ」
唇を噛んだあと、一瞬の躊躇。クロエは目を泳がせたあと、やはり壁際のシェーラを流し見た。「あるいは、きちんと伴侶ですとか………………その、内々の恋人を定めていただくとか」
「――は?」
「え、なぜ」
突然はっきりとした意識を向けられ、シェーラは思わずドン引きの表情で魔族の女性を凝視した。トールに至っては好奇心で目が煌めいている。
嬉々と問われ、クロエは、それはそれで身を引いた。おそらく、色々な意味で。
「夜の『私』は、ああ見えて気位が高く、ほかの女性の匂いがする殿方を嫌います。……〜〜、あ、あの、ごめんなさい。これ以上は言葉にしづらいのですけど」
「なるほど、察しました」
「ありがとうございます」
「…………っ、!?!? 待て、そこ! 勝手に丸く収まるな! なんで前提に私を使う? おかしいだろう。こいつは、こんな変人だがゼローナの王子だぞ。あり得ない」
「えっ。そう、なのですか? てっきり」
「てっきり、何だ」
今やすっかり殺気を滲ませた元・暗殺者の女性に、クロエは臆することなく首を傾げた。若干目が据わっている。
先ほどトールに取られた指を、そっとみずからの唇に当てた。ほんの僅かな挑発を忍ばせた口ぶりだった。
「失礼。私、ヒトの放つ感情には強い感応力があるのです。言わなくとも。だからこそ、ずっと、ずっと貴女のことは気になっていたわ。夜の『私』が焦ったのも、そう。どんなに胸底に秘めていてもわかってしまうもの」
「言ってる意味が……わからんのだが」
「まぁ、お気の毒。仕方がありませんわね。ヒトとはそういうものですから――あの、殿下?」
「何? クロエ殿」
後半から徐々に言葉の棘が見え隠れしていたクロエだが、トールに対しては一転、真摯にしおらしく頭を垂れた。そこには純粋な謝意が見えた。
「お礼申し上げます。あの月華草は、形としては歪に時に縫い止められていますが、殿下の真っ直ぐな気持ちを震えるほど喜んでいました。とくに、我々を見つけて目の色を変える人間は多いですけど。……殿下だけですわ。まるで、恋してくださるように愛しんでいただきました」
「クロエ殿」
トールの、戸惑うような。思いもよらない秘密を打ち明けられたような声音に、伏せたままのクロエが目を瞑る。
それから、やんわりと瞳を開けた。
顔を上げて視線が絡む。うつくしく微笑む。
「きっと、『あれ』も本望でしょう。殿下のことを好いていましたわ。……昼もなく、夜もなく」




