8 夜咲ける月華草の乙女
「何。なんだって? もう一回言って」
「ええと、だからですね」
明くる日の午前。
報告のため、ルピナスは単身でトールの元へと伺候した。ミュゼルが、この日はエスト家の門閥貴族の令嬢がたを集めた即売寄付会を主催するためである。
昨夜の侍女姿から一転、慎ましやかな装いながら公爵家にふさわしい華やぎと持ち前の愛らしさに満ちた彼女の心配そうな顔を思い出し、ルピナスは、ぐっと堪えた。
そうして、滾々と二度目の説明をした。
――迎賓館の妖精の正体は、魔族領からの親善大使でもあるクロエだった。
クロエは、他の人員からも話を聞いたところ上級魔族という括りで間違いはなかった。
人間の貴族社会と異なり、魔族領では魔王を唯一至上と仰ぐ各種族の自治が基本とされている。
従って、戦などの有事でもなければ支配はとても緩い。
それでも、いざ至尊の君から声がかかれば一族は全力でこれに応える。身命の限りを尽くして仕えるのだという。
クロエが属する樹精――『ドリュアド』は、半ばエルフ族と系統が似ているものの、その本質はしっかり『魔のモノ』なのだとか。
その説明の一部始終を思い出しつつ、ルピナスはできるだけ端的な言葉を選んだ。
「クロエ殿は、ドリュアドの大老の孫だそうですね。技術者団の大半は建築や錬金を生業とするドワーフ族です。昨夜、彼女を探しに出てきた口下手な彼らから話を聞き出すのは容易ではありませんでしたが」
「君が聞き出したの? 彼らと同じくらい寡黙そうなのに」
「いえ。たしかにそれはミュゼルが」
邪気のない王子の横槍に、かちん、とルピナスが眉宇をひそめる。
正面の椅子に掛けたトールは、いまだに信じ難い様子で手を組み、テーブルに伏すように呻いた。
「なんてこった。こんなにも近くに、あんなに焦がれた月華草そのものの乙女がいたなんて。でも、どうして昼と夜で、ああも姿が違うんだ……? こう言っては何だが雰囲気も体型だって…………っとと、失礼」
「ふん」
思わぬ正直さで中性的な『クロエ』と、細身ながら豊満たわわだった『彼女』の決定的な差異を指摘したトールは、次の瞬間、側に控えるシェーラから氷のようなまなざしで射抜かれていた。
ルピナスは、縮こまるトールに苦笑して言を継ぐ。
「それもまた、ドリュアドの女性ならではの特徴の一つだそうですよ。昼は本人の理性が形をとり、夜はその……、こほん。よりよい子孫を残すべく、条件の良い相手を捕らえられるように、自身のルーツである花に姿も意志も乗っ取られやすいのだとか」
「ん? いま、物騒なことを言ったね。つまり…………え???」
ぎょっと目をみひらいたトールが姿勢を正す。
無言のシェーラも、わずかだが片眉を上げた。
「ええ。彼女たちにとって美しさや魔力とは、交渉相手として何よりもの判断基準なのだそうです。だから、昨日の昼のクロエ殿は『自分は夜に出歩かない』とか、『王子が魅入られませんように』と、釘を刺していたんです。意識下で眠る、夜のクロエ殿に」
* * *
いっぽう、そのころ。
ミュゼルは王都の神殿の中庭を借りて催した初のバザーで、瞬く間に売上額一位を叩き出してしまった。
バザーそのものは昨年から準備を進めてあったもので、ここ数日トール王子の手伝いをしながらでも負荷はなかった。出店に関する各種業者との連携や手配などは、とっくに済んでいたからだ。
イベントの主旨としては、貴族女性の一般的な義務とされる社会への奉仕活動や、王太子の婚姻の儀に合わせて王都入りした一門の係累令嬢らの、社交の足がかりとして場を提供した側面が強い。
どの令嬢も自身の蒐集品のほかに趣味の小作品などを持ち寄り、集まった紳士淑女らと歓談しつつ買い取り――寄付を募っていた。なかには自領の特産品茶葉なども売り捌くやり手の令嬢がいて興味深かったのだが。
「これは……! 素晴らしいですねミュゼル嬢。まぼろしの魔法触媒とされる『月華草』の生成素材がこんなにたくさん」
「どちらで咲いたのですか? 他にもありましょうか。ぜひ、うちの店で卸させていただきたく」
「!! 卿よ、それは不粋だ。今日は寄進を旨とする神聖なるバザーであろうが……。というわけでミュゼル嬢。穏当に競売か、一業者につき購入量を定められては」
「まあ。おほほ。そうですね、では花のエキスを一瓶一万フルールから」
「「「っ!! 一万五百!!!!」」」(※一斉に挙手。雪崩れ込む競売会へと様相を変えるバザー会場に、他の貴族たちもやんやの喝采だった)
(流石、超希少品の魔法植物だわ。クロエさんったら『お騒がせしたせめてものお詫びに』って、昨夜咲かせた月華草を全部、ぽんっと精製してくれたけど。大丈夫かしら。口止め料って意味じゃないわよね……?)
盛り上げるだけ盛り上げて、あとは邸から連れてきた補佐の者たちに託し、自身はさりげなく他の令嬢がたの店を回って談笑と買い取りをこなす。
――流石なのは、まこと生粋の商売人である東公家の息女であることよ。
――北のジェイド公爵子息は、羨ましいほどの婚約者殿を得られた。
など。
ミュゼルの預かり知らぬところでこの日の風聞が広がり、水面下で燻っていた、敗れた恋敵たちの悪あがきを綺麗さっぱり一掃したのはまた別の話。
ミュゼルは、帰路、悶々と馬車のなかで考えた。
「トール殿下は、『妖精』を捕らえようとなさっていたけど。危ないんじゃないかしら? クロエ殿の口ぶり、あれってつまり、『夜のクロエ』殿に、逆に狙われてるってことだと思うんだけど……?」
つまり、お相手として。
(うわあ)
弾き出した推測に、ひとり、じたばたと赤らむ頬を押さえる少女と化した。




