7 美女の正体 ☆
夜の庭園は、うっすらと下生えに露を含む。きちんと手入れされていても、ふわりと広がったスカートの裾が濡れるのは仕方がなかった。
なるべく死角から近づこうという、ルピナスの提案に従っている。
そのため、植え込みの影伝いに少しずつ近づき、距離にして七〜八歩の位置まで詰められた。ずいぶんと不用心な妖精さんだ。
――それにしても。
(綺麗だわ。まるで、この世のものじゃないみたい)
ついつい見とれてしまう。月明かりそのものの波打つ豊かな髪は銀糸。見事としか言いようがない。夢みるような翠の瞳は妖しくもうつくしく、睫毛の先まで光が宿るようだった。それに、なんて白い。透き通った肌……!
彼女は、夜間も控えめにコポコポと音をたてる噴水の縁に腰かけている。水盤に手を差し入れては月にかざし、雫の煌めきと戯れているようだった。
嗚呼。
せっかく無邪気に楽しそうなところをお邪魔するのは心苦しいのですが…………と、予め手を合わせる。
意を決し、なるべく音をたてないよう注意しながら、茂みの影から立ち上がった。
「失礼。ちょっとお伺いしたいのだけど……!? って、待って! 逃げないで」
「っ」
「――そうですね、お嬢さん。我々はれっきとしたこの城に仕える者で、貴女が、なぜここに入り込んだのかわからない。教えていただけますか?」
「あ…………!」
彼女の唇から、悲嘆に暮れた声が漏れた。
前は噴水。後ろは夏椿。左右の小径を断たれた完全なる挟撃だった。
銀の妖精と形容して差し支えない彼女は、ミュゼルから素早く逃げようとしたものの、反対側の茂みから現れたルピナスに捕らえられた。
こうして見ると、決して手荒に扱っているわけではないだろうが、衛兵姿の彼の冷ややかな武人ぶりに対し、薄布一枚をまとうのみの美女はいかにも儚げ。絵的にこちらが悪者のようだ。
罪悪感が募ったミュゼルは、こそこそとルピナスに声をかけた。
「ルピナス、もう少し優しくしてあげて」
「? そうは言っても」
美形に免疫があるって恐ろしい――。
いつも通りな彼の感性に呆れつつ、ほっそりした背に近づく。
近づき、そして気が付いた。
「えっ、あれ? 貴女………………ひょっとして、クロエさん?」
「は?」
「!!!! ど、どうして」
ルピナスはぽかん、と口を開け、美女は打たれたように振り返った。やはり。
色彩も髪の長さも雰囲気も、昼間とは違いすぎる。
が、それでもわかる。美醜やもののかたちの真贋については、こう見えてさんざん教育されてきた。エスト公爵家の方針が骨身に染みているからこその『気付き』だった。
ミュゼルは、心からそれらに感謝した。「だって」と、まじまじ彼女を眺める。
「耳の形が一緒だわ。知ってる? これって、個人によって全然違うの。たとえ魔族でも同じだと思うのよ」
「髪と目の色も、肌の色も違うようだけど?」
横合いから口を出す婚約者殿には、ふふっと微笑んでみせた。
「それこそ魔族のかただもの。何か、理由があるのではないかしら。遠目ではわからなかったけど、ここまで近付けばわかるわ。顔立ちだって同じだもの」
「「え……顔立ち」」
双方に口走られ、ミュゼルは再度「失礼」と断った。
今度はルピナスに対してだ。ぼんやりしている彼のマントを取り外し、彼女の剥き出しの肩に掛ける。
真夏の夜だし、装いとしては涼しいのだろうが、嗜みとして隠してほしかった。
すると、とたんに美女の頬が赤らむ。「すみません」
「いいのよ。で? 貴女は、魔族領からの親善使節団のクロエさんでいいのよね?」
ぱち、とマント留めも装着させて完了。
やや現実味を帯びた白銀の美女と化した『妖精』は、観念したように項垂れた。
「はい。申し訳ありません、お騒がせして……。仰るとおりですわ、エスト家の姫君。私は、昼間もお会いしたあのクロエ。その…………『夜の姿』です」
「夜の?」
マントをつけさせた段階からルピナスは拘束をやめている。よって、ミュゼルは真正面から彼女と向き合っている。
言葉の意味がわからず問いかけると、困ったようにほほえみ返された。
「ええ。私は樹精――ご存知でしょうか、『ドリュアド』という種族の者です。ドリュアドは非常に数が少なくて、昼間は一般的な高位魔族の容姿なのですが、陽が沈むと本来の性にちかい姿に変わるのですわ。私は」
「!!」
「クロエさん。それって」
クロエは、たおやかな腕をもたげた。
どこからともなく星砂のような光が現れ、きらきらとこぼれ落ちる。繊細な貝殻に似た、薄桃色の爪が指す方向だった。
それまで何もなかった地面から、まぼろしのような植物が突然めばえ、しゅるしゅると蔦を這わせて噴水に絡みつく。やがてふっくらと蕾をなし、見るものを虜にする芳しい花を咲かせた。
一輪、二輪、三輪――鈴なりに。
ミュゼルとルピナスは、あまりの事態に何も喋れない。
この花を知っていた。
咲いてしまえば実体ともまぼろしともつかぬ美だ。忘れるはずもない。
クロエは、か細い声で告げた。
「私の本来の性は、これ。“月華草”です」




