6 月の光導く、その夜に
善は急げ。鉄は熱いうちに打て。
その日予定していた茶会などをそつなくこなし、ミュゼルは王城の侍女服をまとって迎賓館の一室に待機する。
夕食は済ませた宵の口。同じように見廻りの衛兵に扮したルピナスがいる。
ここは、ふだんは迎賓館の業務担当員の宿直室として用いられている。
――「妖精が本当に現れるかどうか、夜に張り込んで検証したいのですが」という申し出を二つ返事で快諾した王子が、存分に権力を駆使してもぎ取った結果だった。
宿直室なので一階。
館の出入り口にも近いが、何より魅力なのは、昼間にシェーラが話してくれた噴水近くをちょうど窓から見られる位置関係にあった。
「これなら怪しまれることなく一晩見張れるわ。良かった」
「そうだねミュゼル」
「きゃっ! や、ちょっと」
「ん?」
叫んでしまったことに自分で驚き、とっさに問う声を抑える。
構造上、窓は回廊にも面している。
本職の衛兵が定刻に見廻りに来るため、彼らに見つからないようにするにはカーテンを閉じておくしかない。その、薄く開けた隙間から覗くやり方だった。
せっかく真面目に観察していたのに、後ろからそっと抱きしめられ、つむじに唇を落とされては敵わない。――色々な意味で。
王城侍女の夏の制服は清潔感のある薄手の白襟が楚々としたデザインでパフスリーブの半袖。夜間に外に出ることを考え、真っ白なエプロンドレスは外している。ちょっとタイトなウエストラインと、膝下までを覆うフレアスカートの対比がシンプルながら女性らしい。
……用意された制服は、充分ミュゼルの体型に配慮されていた。それでも、目立つといえば目立つ。なにが、とは絶対に言わないが。(※自分から言えるわけがない)
ルピナスは、そんなミュゼルの羞恥心を露とも知らず、いつもと違う雰囲気と抱き心地を堪能している。
頭一つ下にある、結い上げてまとめたストロベリーブロンドは出来るだけ乱さぬよう。後ろから顔を寄せ、低めた声で耳元に囁いた。
「わからない? 私がすごく喜んでること。トール殿下に、感謝すらしてること」
「そ、そうなの? そう言えばあなた、今回は殿下のお願いを何の不服も漏らさずに聞いていたわよね。どうし……」
……。
…………………………。
キスは。
初めてではないし、むしろ婚約が決まってからというもの人目のないところでしょっちゅうされている。
だがしかし、ここまで深い、吐息が奪われるものは。
(!)
胸が熱くなって力が入らない。懸命に身をよじり、ささやかな抵抗を試みた。それでも離してもらえない。
「やめ」
「本当にね。これが殿下のお願いごとを全うするための、不寝番ですらなければね……残念。でも」
「(こらっ!? 何処さわってるの!)」
お役目上、大声を出すわけにいかない。ミュゼルは顔を真っ赤にしてひそひそと抗議した。
が、ルピナスは「可愛い」と微笑むばかりで、まったく取り合わない。
えーと、えーと、とぐるぐると思考が大暴れする。
脱がす意図がないのは辛うじてわかったが、さんざん悩ましくさせるだけしての『コレ』は『 無 い 』。
お役目からも意識が逸れてしまうし、いったい何の拷問なんだろう……。
ふつふつとした怒りに似た理不尽さに滾る必死の理性と、相反して押し流されそうになる激情に似た感情。
最終的に歯止めを効かせたのは――この場合は助かった、と言うべきか――曇っていた雲間に切れ目が生じ、しらじらとした月が夜空に現れたことだろうか。
情けないことに、すでに自力では立っていられず、支えられていた。摺り模様のある飾り窓のひやりとした感触をこめかみに受けたまま。
そうして、口づけの合間に二人同時に気づいてしまった。
樹下にまぼろしのように立ち現れたそれを見失わぬよう。未だ深くふれ合ったままなのだけれど。
「………!」
しがみ付くように、彼の背に手を伸ばしていた。
それを、意志の力を総動員して胸元まで引き戻す。何とか彼の胸との間にねじ込ませることに成功した。
「ルピナス、あれ」
「だね。うん。仕方ない」
最後に頬に片手を添えられ、顔をもたげられ、唇と反対の頬の両方にキスされた。するりと熱の隠る身体が離れ、ぽんぽんと衣服のあちこちを直される。
――危なかった。
危険水準を軽く飛び越えるところだった……!!
胸元を押さえ、すう、と深呼吸。自分でも髪やスカートの襞などを整える。それから、お役目臨戦態勢へと気持ちを切り替えた。
「行きましょう。彼女と話せるかどうか。消えてしまう幻や本当の妖精なら、きっちり殿下にお諦めいただくとして。生身の“誰か”なら、どうしてこんなところに居るのか、ちゃんと訊かなきゃいけないわ」
革鎧姿のルピナスは、そんなミュゼルを見つめる。
「うん。もし、シェーラ殿が話した砂漠の妖魔のような存在だったら、必ず君を守る。なるべく驚かせないように近づこう」
「ええ」
こくりと頷く。
窓硝子の向こうには、月の光そのもののような見事な銀髪の乙女。歩みながらも視線を流し、現れたときそのままの場所だと確認した。
(何だろう……。話せるような気はする。クロエが言ったような『魔のモノ』じゃあないわ。きっと)
高まる緊張。
二人はドアを開け、月光に蒼く染まる夜の庭へと降り立った。
〜2022.7.29朝追記〜
全年齢なのを思い出して、一部表現を変えました。
苦いのはその辺の作者の「しまったああ!!」だけで、あとはほとんどがお砂糖回でした。
(応援ポイント、ありがとうございます★)
できるだけR15にはならないよう、二人には言って聞かせます〜。




