5 魔法と呪い
「本当に行くの? ルピナス」
「アイリ……姉上。ええ、行きますよ。命令ですから」
つつがない衣装合わせのあと、王太子サジェスは婚約者の頬にさらりとキスを残し、また別の公務へと去っていった。
かたや、王太子妃となるアイリスには、まだまだ髪型やアクセサリーなどの打ち合わせが残っている。
衝立を取り払い、着替えのための臨時カーテンも撤去した衣装室は、彼女を国一番の花嫁とすべく飾りたてるための戦略室と化した。――この場合は、本人よりも周囲の熱意が凄まじい。
自分のため、北都から王都まで同行させられた。あまつさえ専属騎士のように、日中のほとんどをともに過ごしている。
アイリスとしては、サジェスの命令は強引の一言に見えたが、その実ルピナスとしては良いことなのかも……と眉をひそめる。
そのさまに、当の弟はにこりと笑んだ。
「姉上。まーた、余計な心配をしてるでしょう。私は貴女の警護兼王太子殿下の未来の側近候補として、将来中央でも働くかもしれない。その地盤固めには、王城に連れて来られて良かったと思ってますよ。北公位を継いだあとのことを考えても、『ここ』に人脈はあったほうがいい」
「……本当に?」
「頑健たる我らが母に誓って」
「まぁ」
お茶目な口ぶりで二人の母公爵を引き合いに出され、アイリスは一瞬呆けたように間を空けた。
ふふっと目元をほころばせ、そういうことなら、と表情を改める。
「気をつけてね。どうやら、思った以上に大事で……。被害に遭ったかたも心配だけど、殿下も気にしていらっしゃったわ。本当は、ご自身が動きたいはずなの。どうか助けて差し上げて」
「はい」
――わかってますよ、と片頬を緩めたルピナスは一礼し、踵を返した。
王太子との婚約が決まり、妃教育のために王城で暮らすようになった姉に付き従った一年間。だだっ広い敷地の全容はほぼ網羅しており、与えられた自室に向かいながら、黙々と頭を働かせる。
ほうぼうに飛ばすべき小型竜。王都で先に調べておくこと。それから……
(やっぱ、あのひとかな。こういうときは)
磨き抜かれた通路の床を鳴らして立ち止まり、おもむろに進路を変える。王太子の住まいからいったん出て、第二王子の居室へ。
第二王子トールは学者肌で、とくに魔法や植物の研究に生涯を捧げると公言して憚らない変わり者だ。今回のおかしな化粧品や美容薬も、成分解析のためにいち早く彼の元に届けられている。
その結果、「薬効成分はありきたり」と、すでに通達は受けているのだが。
「……あの王子、粘って聞かなきゃ教えてくれないことがありそうだし。研究に夢中になったら報告がそっちのけになるって、以前、殿下もこぼしてたしな……」
キーワードは“眠れる美女”。
個人差はあっても必ず現れる睡眠障害。
販売元はおろか、なかなか製造者にたどり着かないもどかしさ。犯人が外つ国の中枢レベルだったとしても、侵略行為の前触れにしては中途半端すぎる。たんなる暴利めあての闇商人なのか。
――――なぜ、被害者を王国中央富裕層の。しかも、女性限定となるよう仕向けた?
たぶん、東公領でも翻弄されてる。
確信を抱いて、ルピナスは事にあたった。
* * *
「あぁ、いらっしゃいルピナス。兄上から聞いてるよ。例の業者対策だよね。はい、これ」
「……何ですか、これ」
あまりの晴れやかさに場違い感を拭えず、ルピナスは怪訝顔となった。
トールの住まう一画は半ば私設研究所と化しており、普段ならば客人の足の踏み場などない。だから、それ相応の覚悟をして来たというのに。
意外にも、今日は扉のすぐそばで待ち受けてくれていた。
さらに、白っぽい丸薬が詰まった指先ほどの小瓶を渡され、小首を傾げる。
彼は「兄上」と言った。
つまり、あのあとサジェスが先手を打ってくれたのだろう。驚きの根回しの良さだった。
トールは無邪気に微笑んでいる。
王太子が現国王に生き写しなのと対象的に、第二王子は現国王妃にそっくりだった。
垂らしただけのつややかな長い金髪も、やさしげな青紫の瞳も美女顔負け。二十歳は過ぎているはずなのに、妙にいたずらな気配をまとっている。
その、学者らしい薄い肩をすくめて、トールは楽しげに口をひらいた。
「連中、『もの忘れの香』を焚いてたんだろ? 中和薬だよ。やばいなー、と思ったらすぐ飲んで。丸飲みでも構わないけど、噛んだほうが即効性がある」
「まるで、私がいずれ使う局面にでもなりそうなお話しぶりですが」
「使うんだろう? 単身の潜入捜査って聞いた。すごいねえ、さすがは武門の誉れと名高い、北公家の跡取り子息殿だ」
「お、お待ちを。いったい、どんな説明したんですかあのアホ王太子…………っとと、失礼を」
大して悪びれもせずに不敬を謝罪すると、ふ、と大人の笑みを浮かべられた。
そもそも第二王子殿下は、王家の枠組みからは微妙に離れて(※基本的に)生きている御仁なので、これくらいでは目くじらを立てないらしい。
ルピナスは軽い咳払いで場を誤魔化しつつ、考えていた疑問点について単刀直入に切り込んだ。
すると、意外なほどあっさりと教えられた。
曰く、気づいてなかったのか、と。
「あれは主原料は大したことないけど、おそらく製造工程でやっかいな呪いをかけられてる。それで、使った女性はばたばたとやられたんだ。症状の誤差は彼女たちの魔法耐性によるものだろう」
「えっ」
――いやいや待って。そういうのは初耳だからと突っ込もうとした、その姿勢のままで固まってしまう。
腕組みしたトールはお構いなしに、延々と説明を続けた。
「アレは色々とひどいよね。魔法が持つ、うつくしい法則性は何もない。なのに作為的で、無秩序なエネルギー配列が人間の未熟な感情の塊みたいっていうか……。
ごめんね。そういう残滓があんまりあからさまだったから。てっきり、その線から調べてるんだとばっかり思ってた」