5 夏の夜のジンニーヤ
――魔のモノ。
いわゆる『妖精』は、もちろん魔獣と呼ばれるモンスターなどではない。伝説や民間伝承の類に時おり現れる神秘の乙女の総称だ。
確かに、物語によっては悪戯好きな場合もあるが。
クロエの物言いは、そんな存在をあえて貶めるような響きがあった。
(なぜかしら……? ほかでもない、生粋の魔族らしい彼女が)
詳しく理由を聞いてみたい気もしたが、結局、その後は別行動をとるべく王子に誘い水を向けられた。
すなわち、午後からはべつの茶会を控えているミュゼルが第二王子の塔に忘れ物をしてしまったことを申し出て、そこまでの護衛にシェーラを借り受けると。
「慌ただしくして申し訳ありません、殿下。クロエさん。いずれまた」
「うん。またね」
「ええ、我々は一ヶ月ほどの滞在を予定しています。いつでもお越しください。エスト家の姫君」
* * *
ルピナスを残して迎賓館を出る途中、ミュゼルはちょっとした寄り道のように緑濃い夏の庭へと踏み入った。これに、本来はトールの護衛であるシェーラが付き従う。
「気をつけて。貴婦人の散策も想定しての造園だろうが、敷石はまばらだ。引っ掛けやすい」
「ええ。ありがとう」
中庭は四方を回廊に囲まれている。
中央には小さな噴水があり、景観の差し色に用いられたと思わしき敷石はあちこちで木漏れ日を白く浮かび上がらせ、木々や植え込みは全体的にすっきりと刈り込まれていた。密談や密会には不向きな場所と言える。
エスコートのようにミュゼルに手を貸しながら、シェーラは淡々と『あの日』について話しだした。
「あれは……、あの技術者たちがここに到着した夜だった。担当王族のトール王子が、非公式で挨拶に行きたいと言い出して」
「! それで、夜にこんな場所に?」
非公式というより非常識、とは、辛うじて言葉を飲み込む。
意を汲んだシェーラは、しれっと続けた。
「なにしろ、趣味の魔法の草花を任せられる未知の技の担い手たちだ。見てるこっちがドン引きするほど浮かれてたからな。翌日まで待てなかったんだろう。迷惑な話だ」
「そんな…………、そこまで???」
「そこまでだ」
「まあ」
ふん、と鼻で嗤うシェーラは、遮るもののない日差しの下ではかえって生き生きとして見える。流石は灼熱の大地生まれ。
言葉遣いは誉められたものではないものの、彼女のゼローナ語の発音はうつくしい。背筋もピンと伸びて、きびきびと動くさまは充分に魅力的だ。
トールは、いくら元犯罪者とはいえ、よくぞこんな女性に対して平常心を維持しながら顎でこき使えると思う。(※問題発言多数につき、控えめな心の声でお送りしています)
「――で、来たときは当然暗かった。代わりに満月が明るかったな。あそこ。ちょうど噴水のあたりで皓々と輝いていて……王子に、砂漠の草花のことなど尋ねられた。それで、つい長話を」
「!! ふむふむ?」
「話をしていたら、いつの間にか夜が更けてしまって。仕方がないから挨拶は明日にしないか、と促した。そのときだったな。あそこ。わかるか? 噴水の向こうに一本、夏椿の木があるだろう」
「あっ、はい」
ちょっと別路線で気の逸れたミュゼルに気づかず、シェーラは、すっと腕をもたげた。真っ直ぐに指す方向には青々と茂るつややかな葉。可憐な白い花房がいくつも抱かれている。
ミュゼルはすぐに頷いた。「あそこに?」
「ああ。日ごろ言動が胡散臭い王子だが、これだけは証言してもいい。たしかに『妖精』はいた。アデラの民なら『ジンニーヤ』とも呼べそうだが」
まるで、今もそこに神秘の乙女が居るかのように。
踝まで届く、波打つ白銀の髪。月の光が宿る白い肌。夢見るようなエメラルドの瞳。銀の睫毛も楚々とうるわしい女性が、四肢もあらわな薄衣一枚で現れたのだという。そのままふわふわとした足取りで庭を歩いており、驚きのあまり声も上げられなかったと。
「あいつはその間、雷に打たれたような顔をしていたな。乙女が木陰に消えてからは興奮が収まらなくて。帰りが遅いのを心配した兵が駆け付けるほどだった。大変だった」
「な、なるほど」
わずか数日前を思い出すまなざしが妙に遠い。
どことなく、苦いものを含む口ぶりでシェーラは告げた。
シェーラの話す『ジンニーヤ』とは、この場合なんとなく『妖魔』の女性形というニュアンスで記しています。
(ふんわり設定ですみません〜)




