4 飴色のシェーラ、薄闇色のクロエ
褐色の肌。きつめの黒っぽい瞳。同色の髪は幾筋もの細い三編みに整え、それらをひとまとめに背中で括る。
エキゾチックな風貌のシェーラは元々アデラの民ではあるが、ゼローナの言葉を不足なく話す。それが彼女の本来の立場――元・国主の姪であること――に起因するのか、叔父のメルビンの庇護下から出奔した際に身に付けた暗殺業務の一環なのかは謎だが。
宴の翌日。トールの塔。
その比較的片付いた一室に四名は詰めていた。
招かれたミュゼルとルピナスの前には、会議用の長卓を挟んで古書を積み上げ、喧々諤々と論ずる王子と元・暗殺者がいる。
眺める側としては組み合わせの不思議さに目を奪われるものの、本人たちは気にも留めていないようだ。
やり取りは喧嘩すれすれ。トールは机上の大きな紙に向かい、次々に難解な図式を走り書きしている。
「だからっ。そこは、君が捩じ込んだ“呪い”を打ち消すための魔法式が必要なんだ。いいかい? 昏睡してる人間に“眠り耐性の付与”をしたってその場しのぎにしかならないだろう。なんだって自分が使った術もまともな式に直せないんだ。…………っ!? まさか、覚えてないとか」
「〜〜うるさい、うるさい!! そもそも、“魔法式”なんてモノは我々のまじないには存在しないっ。これは、元をたどれば単なる“安眠の呪”だったんだ。たまたま効果が強く出すぎて…………使用者によっては、加減が」
「加減」
ペンを走らせていた手が、ぴたりと止まった。
シェーラは憮然と腕を組む。
トールは辟易と声を低めた。
「――つまり、失敗したんだね」
「そういうことになる」
「信じられない。どれだけの個人様式をぶち込んだんだ」
「まじない言葉のことか? 八割がた」
「馬鹿な。先人のわざを学ぶということを知らないのか」
「…………『貴様が言うことか。頭でっかちの大陸魔法使いめ』」
ボソッと呟くシェーラに、とたんにトールの顔が曇る。
やや離れた場所から見守っていたミュゼルに、さらりと振った。
「ミュゼル嬢。今のは悪口?」
「そうですね」
「訳して」
「ええと」
しょうがないので事実ありのままを伝えると、トールはがくりと項垂れた。
「頭でっかち……。大陸魔法使い。なんだ。『金髪ハゲ』とかじゃないんだね。意外に理知的な罵り文句だった」
「殿下はハゲてませんよ」
「まぁ、そうなんだけど」
トールは独りごち、くしゃくしゃと金糸の髪を乱して椅子の背にもたれた。ぐったりと天井を仰ぐ。
そのさまに、ルピナスが堪えかねたように口を挟んだ。
「失礼。おふたりが開発された気付け薬は、“眠れる美女の魔法薬”の中毒者に対して一定の効果が得られると聞きました。でも、そうではないんですね。解呪ではないと」
「うん」
「何が足りないんでしょう」
「何なんだろうね……。あぁ、心が荒む。こうなったら、一刻も早く『彼女』に逢いたい」
「彼女?」
「昨日、話しただろう? 妖精の君だよ。月光を浴びて、僕の大好きな花の化身みたいだったんだ」
――――それだ。
ミュゼルは、ぱっとルピナスと目配せを交わして頷いた。
トールと一緒では、シェーラは棘だらけなので聞き取り調査もしづらい。
聞けば、今、迎賓館には、来たる魔法植物研究所設立のための技術協力者の一団が逗留しているらしい。ならば、調査の順序を変えるのは有りだろう。
ミュゼルはそろりと尋ねた。
「迎賓館には魔族のお客様がたがいらっしゃるそうですが。昼間に庭を検分することは可能ですか?」
「いいけど。行く?」
「ぜひ」
こうして、四名は場を移すことにした。
トール自身は技術者たちを労いに行くという公務を兼ねて。
* * *
先触れを出したので、迎賓館での流れはスムーズだった。
侍従が立ち回り、急遽茶席が設けられてミュゼルたちも紹介される。
先方の代表は魔族の女性で、名をクロエといった。
友好関係にある北西の魔族領の人びとは、総じて異形をしている。が、彼女は尖った耳以外に魔族らしい特徴を持たなかった。
高位魔族特有の薄闇色の肌。大きな暗緑色の瞳。小さく形の良い鼻に、きりりと引き締まった口元。髪は大地を思わせる深い茶色で、少年のような短さ。すらりと細い四肢。外見年齢は十代後半くらいの美形だ。
一瞬、彼女が『妖精』かと思われたが。
(ううん……。違うかな。殿下もふつうに過ごしておいでだし)
トールは、先ほどまでのぐだくだぶりは何処へやら。穏やかな表情で美貌を振りまき、そつなく会話も進める。優秀な魔法士でもある第二王子の顔をしていた。
ふと壁側を見ると、こちらも完璧な女護衛と化したシェーラが不動の姿勢で佇んでいる。
そのくせ隙はなく、いつでも俊敏に動ける野性の獣のような力の抜き具合だった。
「これは……殿下が仰るのは、やっぱり月の光が見せた幻なのかしら」
「月……、幻?」
「! クロエさん」
こっそり隣のルピナスを窺うと、なぜか斜め向かいの客人に聞き咎められた。
ちょっと迷ったが、まあいいか、と開き直る。彼女にも訊くことにした。情報は多いに越したことはない。
「あの。クロエさんたちは式典のあとにお城に入られたそうですね。迎賓館の庭で、何か不思議なものをご覧になったことはありませんか?」
「…………いいえ、残念ながら。夜は出歩きませんから」
クロエは束の間、ほんのわずかだが視線を揺らした。
それからちらりとトールを流し見る。一拍の沈黙。
やがて揺らぎを消し去り、見事なおとなの微笑で応えられてしまった。
「妖精というのなら、こちらのトール殿下はとても美しくていらっしゃる。魔のモノに魅入られぬよう、ご注意されたほうがいいかもしれません」




