3 婚約披露宴と、そのあとで
「ご婚約おめでとう、おふたりとも」
「ありがとう存じます、フィリエ伯」
「ありがとうございます。卿も、今夜はゆっくりとお楽しみくださいますよう」
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その夜、エスト公爵の王都邸では盛大にミュゼルとルピナスの婚約披露宴がなされた。
急ごしらえの夜会とは思えぬほどホールやサロンも人員も整えられており、挨拶に訪れるおとなの貴族たちは皆、嬉しげだ。
いっぽう、王太子成婚の日にふたり揃って仲を切り出され、「喜んで」と未来の婿ぎみと握手を交わしたミュラーは一貫してにこにこしている。
その隣には父よりも長身のレナードが立ち、招待客をもてなしては如才なく振る舞っていた。
――この一週間、妹の婚約話には終始乗り気ではなく、未来の義弟ぎみへも氷点下ばりの態度を崩さなかったのだが。
そんな面影は、いまは欠片も見当たらない。さすがは次代のエスト公爵といった風情である。
一通りの接待を終え、ちょっと休憩とばかりにダンスの輪に加わったふたりは、ここぞとばかりに内輪の話で盛り上がった。
傍目には、すらりとした貴公子と小柄でもっちりした令嬢の取り合わせ。
ホールの端で、涙目でハンカチを噛む(※比喩)令嬢たちが固まっているのは知っているが、だからこそミュゼルは殊のほかおっとりと微笑んでみせた。ステップも完璧に。
「もてもての婚約者を持つのって、結構つらいものなのね」
「つらい? どの辺が」
「胸の辺りかしら」
「…………それは由々しいな」
「まじまじご覧にならないでくださる?」
「うっ」
「冗談よ。ふふっ。ごめんなさい」
意地悪を言ってのけたミュゼルは、いたずらが成功した子どものように瞳をきらめかせた。
まんまと視線誘導されたルピナスは頬を赤らめ、ふいっと目を逸らしてしまう。
すると、そのさまがやたらと色っぽかったためだろう。柱の影からは順次「いやーー!」「きゃーーーー!!!」「どうしてなの、ルピナス様ぁぁ!!」など、さまざまな叫び声が聞こえた。もちろん無視する。
「ねえ、ところで。昼間にトール殿下に言われたことだけど」
「――通訳のこと? 妖精のこと?」
「差し迫っては後者かしら。ルピナスは王城で一年近く暮らしたでしょう。知ってた?」
「いや全然」
「そう……。じゃあ、本当に最近のことなのね。目撃談があれば噂になりそうなのに、わたしも聞いたことがないもの」
「たとえなのかな。『妖精のような』っていう。殿下が長年、手元で丹精している魔法の花に名前を付けて愛でていらっしゃるのは有名な話だ」
「あ、それは知ってるわ。『マリアン』でしょう? あのお部屋にあった、蔦の花かしら。白銀の」
「そうそう」
月華草という、発見も採取も稀な魔法植物の株を丸ごと手に入れ、本来ならば一夜で枯れるそれを魔法でむりやり留めるという力業を涼しい顔でこなしている。それが第二王子トールの素の部分だ。
そんな彼が、あんなにもどんぴしゃに“恋”に落ちた空気を醸した。
そのことが信じがたい反面、もし、あの花のように月光をかたどった『妖精』と見紛うばかりの美女がいたとしたら。
また、それを何かの拍子に見てしまったのだとしたら。
「……」
「…………」
ふたり同時に口をつぐみ、黙ってしまう。
先に嘆息したのはルピナスだった。
「捕まえるって仰ってたね。やばい。手に入れる気満々だ」
「そうね……」
ほんの少し、実在するかもしれない相手に同情する。
それが人間か、はたまた幻の類かは調べてみないと何とも言えないが。
曲の終わりが近づき、ミュゼルはくるりとターンをした。流れる視界に、否応なくぴりぴりとした感情を放つ面々が見て取れる。やや苦笑した。
(つらいっていうのは、半分は本当なのよね。正直、わたしがこのひとを好きになるなんて想定外だったから。親交がなかったわけじゃないのに、王都の令嬢がたにはすっかり根回しを怠っちゃったわ。どうしよう)
「ミュゼル」
「はい? ル、ルピナス。ちょっと」
気がつくと抱きすくめられ、ホールの中央で頬に口づけられた。衝撃のあまり顔が火照り、わなわなと二の句が継げなくなる。
「ル」
「私が妻にしたいのは君だけだし、君は気付いてないみたいだけど、私だって見せつけたい奴らからはここ数日、さんざん嫌がらせされたんだ。――わかる? この意味」
「わ、わかった。わかります」
「なら宜しい。好きだよ、未来の奥さん」
甘さがこぼれんばかりの笑みに、どことなく不敵さも混じる。
――――嫌がらせ。
兄以外にそんなことをしそうな輩に心当たりはなかったが、それ以外の答えは許されない気がして、やっぱり瞳が揺らぐ。
こうして、当人たちと良心的なおとなたち、それに幸いにも心を乱されることのなかった令息令嬢たちは、つつがなく宴を楽しんだ。
この夜、ちょっとした無作法や自棄酒を咎められた若者たちがいたのは、また別の話――……
宴のあと、寝室はまだ別々ではあるが、別れ際にきちんとした婚約者のキスを交わしたふたりは、王子の用命に関してはひとまず、『妖精』のもうひとりの目撃者に詳しく話を聞くことにした。
「目撃者……?」
はちみつよりも甘やかな時間に名残を惜しむように、ミュゼルが繰り返す。
ルピナスは、ほどいたミュゼルのふわふわの髪に指を梳かし入れ、やさしく瞳を細めた。
「うん。シェーラ殿だよ。彼女はいま、殿下の護身役も兼ねてるから。こういうのは第三者の意見が必要だと思う。どうしてそんな時刻に迎賓館にいたのかもわからないし……。だから、明日、あらためて尋ねてみよう」
番外編なのに、突然の糖分お許しください……!! (作者)




